ヘッドライン
[CSD]2005年8月21日《ヘッドライン》
[CSD]2005年8月21日《ヘッドライン》= 1面 =
★まず自分との和解を——被曝60周年 平和を願う祈り各地で
= 2 面 ニュース=
★自民党改憲草案と信教の自由——宗教団体への公金支援を意図か 記・櫻井 圀郎
★平和願い徹夜で賛美と祈り——聖公会神戸教区「ピース・ビジル」
★<教界ニュース>日本キリスト教協議会、世界教会協議会
★<落ち穂>W・M・ヴォーリズが遺したもの
= 3 面 ニュース=
★<宣教まっただ中>カナダ発[4]聖書研究から霊的成長を 記・鈴木 教子
★世界の貧困ほっとけない——ホワイトバンド広がる
= 4 面 牧会=
★<異文化体験とキリスト教信仰>[5]帰国前に日本人教会へ——「信仰と文化」心の準備が重要
★<牧会ジャーナル>「説教に目覚める—1」 記・大塚寿郎
★<オピニオン>今こそできる日本人による全人的宣教 記・趙 南洙
★<恵みのどんでん返し>主の流れはいつでも正しい 記・坂本 兵部
= 5 面 神学・社会=
★聖書が解き明かす「平和の契約」[3]平和をつくる行動を起こす 記・ウィラード・スワートリー
★米国:公立学校で進化論以外の授業も教えるべき——大統領発言に波紋
★<書評>『キリスト教帝国 アメリカ』栗林輝夫著(キリスト新聞社、2520円)評・渡部 聡
= 6 面 関西だより=
◎ユニオン神学大学日本校献堂・開校——実践重視の神学教育
★福音伝える詩集で恩を返していこう——メルおばさん小林安子さん
★大阪女学院:オープンカレッジ
★福音宣教協力会:10月に世界宣教大会
★<関西クリスチャンショップ巡り>香辛料たっぷりの本格派——スリランカカレー「ハレルヤ」Tel.06-6632-2200
= 7 面 PRのページ=
☆ミラクル・ライフ・フェスティバル2005
9月19日(月)—22日(木) セミナー
9月23日(金)—25日(日) いやしのフェスティバル・女性大会
会場:川口総合文化センター・リリア
Tel.03-3371-7558(新宿シャローム教会)
= 8・9 面 PRのページ=
☆聖句書道誌上展
☆聖句書道展
川口市:10月3日—6日、川口総合文化センター・リリア
金沢市:11月2日—7日、エムザギャラリー
東京:11月7日—10日、小津ギャラリー
大阪:12月5日—10日、大阪クリスチャンセンター
聖句書道センター Tel.06-6727-3219
= 10 面 今週の動き=
★<今日は何の日>6月19日—6月25日
★<日めくり元気の素>名著・聖書日課から一言メッセージ
= 11 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★EVENT:ミュージカル「葉っぱのフレディ—いのちの旅—」
★EVENT:バレエ「放蕩息子」出演:熊川哲也
= 12 面 ビジネスパーソン=
★自信が崩れて福音が届いた——柳下 公一さん[中](人事コンサルタント)
★<気持ちが伝わる話し方>[最終回]愛の人は「バカ」になれる 記・中野 雄一郎
= 13 面 教会学校=
★<いまどき子ども事情>病の子どもに授けた洗礼 記・西村 敬憲
★<CS分級>みことば宅急便 記・平田 和子
= 14 面 教会=
★手作りゲームで盛り上がろう——チャーチオブクライスト大阪教会
★<奉仕する恵み>教会報の編集にいそしむ——村上トシ子さん(同盟基督・霞ヶ関キリスト教会員)
= 15 面 家庭・あかし=
◎パプアニューギニアで聖書翻訳——ウィクリフ・吉川啓子宣教師が急逝
★1冊の信仰書通して信仰もつ——「夫婦関係が変わった」と黒田さん
★<巨いなる山の動く日来る>[最終回]求心力と求神力の融合 記・あんこや大塚
= 16 面 ひと=
◎春風みおさん(腹話術師)——8月6日広島で被曝体験を語る
ユニオン神学大学日本校献堂・開校−−実践重視の神学教育0508210601
成長している教会に出かけての実践的な学びを特徴として、今年4月開校したユニオン神学大学・教会成長大学院の校舎が大阪市内に完成し、6月20日献堂式を行った。献堂式には同校総長の申賢均氏(聖民教会元老牧師)や同大学院長の皮鍾振氏(南ソウル中央教会牧師)など韓国から多くのクリスチャンが駆けつけ、日本国内からも同校副総裁の奥山実氏や手束正昭教授、青木靖彦教授など約200人の関係者や来賓が参加した。開校の目的について申氏は、「アメリカや韓国にあるような大きな教会が日本にも誕生することが第一の願いです。日本に足らないのは霊的な力です。そのような神学教育が何より必要」と語り、皮氏は「日本は個人の内面重視、韓国は教会中心、伝道中心の信仰という特徴がある。この神学校を通して教会成長の力を日本に伝えたい」と抱負を語った。
奥山氏は「成長している教会を訪問して1週間滞在しながら学びます。りっぱな教会を形成したければ、実を結んでいるところに行って学ぶのが一番」と話し、手束氏は「日本教会成長研修所は理論中心の学び、ここは体験的な学びが中心。具体的現実的で役に立つものと確信します。たくさんの牧師が学んでほしい」と訴えた。
今年は4月と6月に韓国のソマン教会、鶏山監理教会を訪問、8月にはスポーツ伝道の学びのために神奈川の本郷台キリスト教会で研修を実施。10月には霊性訓練で知られるアメリカの愛の光宣教教会を訪問の予定だ。
神学大学の実際的な責任を持つ李炳鎬氏(ユニオン神学大学教会牧師)は、この神学大学のビジョンが現実のものとなり、建物まで与えられたことは主の恵みと感謝しながら、「日本民族の総福音化が私に与えられた使命です。そのために、ますます日本のクリスチャンとともに学びつつ、宣教のわざを進めていきたい」と熱く語った。
ユニオン神学大学・教会成長大学院=大阪市西成区萩ノ茶屋3ノ4ノ23。TEL:06・6754・3727、FAX:06・6754・3767。
Eメール=unionnakamura@hotmail.co.jp 【孫斉賢】
パプアニューギニアで聖書翻訳−−ウィクリフ・吉川啓子宣教師が急逝0508211501
日本ウィクリフ聖書翻訳協会のメンバーで、パプアニューギニアに派遣されていた宣教師、吉川啓子さんが7月25日、現地ウカルンパの自宅で心不全のため逝去した。54歳だった。28日にパプアニューギニアの首都ポートモレスビーで葬儀・火葬後、31日に吉川さんの母教会、日本バプテスト連盟熊本愛泉教会で教会葬が営まれた。吉川さんは1979年から84年にかけてレドクリフ宣教訓練校、英国SILなどで宣教師になるための訓練を受け、84年日本ウィクリフ聖書翻訳協会のメンバーに。翌85年8月にパプアニューギニアに派遣され、88年からウアレ語の聖書翻訳プロジェクトに従事していた。この8月で派遣からちょうど20年、宣教第4期の半ばで、来年1月に一時帰国の予定だった。吉川さんは7月に翻訳したウアレ語の「使徒の働き」を出版したばかりで、文法論文を執筆中、創世記の翻訳作業中でのことだった。
亡くなった25日はポートモレスビーへの移動日だった。同行予定の同協会の久米のぞみ宣教師が吉川さん宅に迎えに行ったが、応答がないので不審に思い、中に入るとバスルームで倒れている吉川さんを発見、すでに呼吸は止まっていた。
ポートモレスビーでの葬儀には、吉川さんの遺族、熊本愛泉教会の牧野新牧師、日本ウィクリフの永井敏夫総主事が日本から参列。また現地の村人や日本人クリスチャンら関係者、約100人が集まった。司式の牧野牧師は映画「ミッション」を引き、「十字架を持って行進していった神父が銃で撃たれた後、共に行進していた中から十字架を拾い、掲げて歩む人が出て行進が続いたように、ウアレ語プロジェクトも継続していこうではないか」と力強く語った。
葬儀の翌日には、現地の翻訳スタッフや村の翻訳委員会委員長、吉川さんの受け入れ先だったSILパプアニューギニア支部の関係者が同席し、「吉川さんの(聖書翻訳に関する)遺志を継ぎ」プロジェクトを進めていくことが確認された。
吉川さん執筆の最後のニュースレターとなった「日本ウィクリフこどもニュース8月号」には、派遣当時、現地の言葉を覚えられず苦労しながらも、村人に誠実に仕えていくことで信頼関係を築き、感謝された体験から「自分にできることで宣教師になれる」と子どもたちに語りかけている。
永井総主事は、「啓子さんはウアレ語を話す人々が、ウアレ語の聖書を読んで信仰に目覚めていくようにと、いつも願い、ニュースレターに書き、そして祈っていた。また自分の能力や健康の弱さを覚えつつ、だからこそ主に心から願いながら本当に地道に歩んでいた」と思い出を語る。 【藤川 義】
春風みおさん(腹話術師)−−8月6日広島で被曝体験を語る0508211601
60年目の原爆記念日に広島・平和記念公園で、人形のタミちゃんを相手に自身の被爆体験を語った春風みお(本名・宇根岡操)さんは、腹話術歴28年。だが、その体験はあまりにつらくて、結婚してから家族にも話したことがなかった。まして、腹話術で多くの人に話すようになるとは、考えてもみなかったという。人々が行き交う平和記念公園供養塔前。操さんは言葉を詰まらせながら、また話の核心を語るのをためらうかのように、一言ひとことかみしめながら証言した。
母を河原で焼いた
あの日の朝、爆心地から1・5キロにある勤め先の信用金庫にいた。掃除当番でいつもより早く出勤し、窓を開けたとたん強い光を見た。「その瞬間、何かものすごく危険な予感がしてカウンターから奥の通路へ全力で駆け出しました。途中で壁がどんどん落ちてくるなか、『ああ、20歳でこの世を去るのか…もったいない』と思ったのを覚えています」
不思議と熱さは感じなかった。が、その時にやけどした左目は今も見えにくい。あたりが静かになり、なんとか外へ出てみると、歩いている人はみんな爆風とほこりで髪が逆立っていた。裸足のまま歩いて家に帰った。途中の家は全部壊れ、自宅も8割は壊れていた。近所の人たちと一緒に逃げ込んだ防空壕で、やけどをして泣いている弟と妹、父と会った。「3人に会えたときは本当にうれしかったです。外からは壕に入りきれない人々の声が聞こえてきました。『水、水』と叫んでいるのです。やがて黒い雨が降ってきました。体が熱いのと、のどが渇くのとで、それを飲んで死んでいった人が大勢いました」
夜になって、会社に行っていた兄とも会えた。だが、爆心地から800メートルほどのあたりに建物疎開の片付けに行ったはずの母だけは、消息が知れなかった。翌日、父と兄が探しに行ったが、1日探し回っても分からない。3日目になって、国民学校の2階で母みや子さんは見つかった。すでに死んでいた。 「学校の中は焼けただれた人と血でいっぱいで、兄は死体とうめいている人の間を一人ひとり顔を見ながら歩いたそうです。お隣で借りた大八車に母を乗せて帰ってきました。その姿を見てみんなで泣きました」 「これはお母さんじゃない」と叫ぶ操さんに、父は変わり果てた亡骸の口を開け、歯を見て「お母さんだ」と言った。
翌日、操さんは兄と2人で壊れた建物の板を集め、河原で母の遺体を火葬した。「なかなか焼けなくて、ずいぶん時間がかかりました。ブリキのバケツに骨を拾って入れました。優しい母が亡くなったことは最大の悲しみでした。今でもこの場面を思うと涙が出てきます。もう一度、母の肩をたたきたかった。大人になった今でもそう思います」
クリスチャンになったのは10年後。ずっと「母に会いたい。母の魂がどこへ行ったのか知りたい」と思っていた操さんは、先にクリスチャンになった妹の勧めで教会を訪れた。賛美歌にひかれて礼拝に通い続け、しだいに母のことを主に委ねるようになっていった。半年後、信仰を告白して洗礼を受けた。しかし、被爆体験はその後も封印したままだった。
封印を解いて語り部に
腹話術を始めたのは夫に先立たれた後、52歳になってから。教会学校や子ども会、老人ホームなどでイエスさまの話をしてきた。転機は、ロゴス腹話術研究会の全国大会が広島で開催された2003年の夏。体験を語るようにと春風イチロー師匠に言われた。「正直、その話はしたくないという気持ちがありました。でも師匠の言葉は絶対ですから」
鏡の前で練習をするが、母のことを話すと泣いてしまう。涙を飲み込んで話し続けられるようになるまで、8か月かかった。 人形タミちゃんとの軽妙な掛け合いに引き込まれ、笑い声とともに子どもたちの目が輝く。やがて話が被爆の日の出来事にさしかかると、会場は静まり返る。真剣な顔つきで聞き入っていた子どもたちから、感想が届く。「つらい話を聞かせてくれてありがとう」「戦争は絶対いけないと思いました」と。
「それが一番うれしい。若い人たちに平和の大切さを伝えることは、イエスさまも喜ばれるのじゃないかと思うんです」。そんな気持ちを励みにこの2年、小学校や教会、生協などに招かれ、毎週のように自分の被爆体験を腹話術で語ってきた。つらいけれど語らなければいけない。高齢になって体力の衰えを感じ、一時は80歳になったら引退しようとも考えていた。だが今では、限られた残りの時間を亡くなった人たちの代わりに、被爆体験を通して平和を語り継ぎたいと思っている。
供養塔前でのキリスト者平和の集いで操さんは言った。「核がいけない前に、人が憎み合うことがいけない」。最後に「お母ちゃん」と叫んだ声に、60年たっても癒えることのない傷をあえてさらす、平和の語り部の覚悟が伝わってきた。 【中野晶正・根田祥一】