2000年1月30日号《ヘッドライン》

2000年1月30日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎クリスチャンは変人?——ライフミニストリーズがビジネスマンを対象に調査
★スウェーデン:国教を廃止、500年の歴史閉じ政教分離
★楽しむぞ 雪の季節
★聖学院中学校・高等学校の新校舎完成
★<21世紀への対話>ペンテコステと福音派(2)万代栄嗣・内田和彦
◎<落穂抄>命にかかわる救急隊員のプロ意識
 = 2 面 =
★第三千年期の世界宣教—京都会議からの講演抄録6:新しい世界の意味するもの(1) デビッド・ヘッセルグレーブ
★イスラエル情勢:厳罰伴う「伝道禁止法案」その後 記・石黒イサク
★主の年2000年で一斉祈祷——朝祷会全国連合が実施
★ミレニアム祝賀 世界では
◎<論説>ミレニアムの理解をめぐって 記・岡村 又男
★<逆転の信仰経営>(34)生まれ変わったビジネスマン<17> 三谷康人回顧録
 = 3 面 全面広告=
☆聖学院中学校・高等学校(ホームページ http://www.seig.ac.jp)
 = 4 面 =
★2000年新年の抱負 連絡機関・教団・教派・各種団体
 = 5 面 神学・文化=
★福音主義に立つ女性は今——賜物に性差はない 記・稲垣 緋紗子
★第三ミレニアムとキリスト教の課題—大木英夫氏が講演
 = 6面 神学校特集=
★神戸ルーテル神学校・神戸ルーテル聖書学院 訪問記
 = 7面 =
★教会にスケートリンク——バプ連盟・帯広キリスト教会
★音楽伝道の拠点を日本へ——佐佐木龍秋さん帰国
★米国:神を信じているがだれであるか知らない
★英国:教会指導者の80%がアダムとイブ信じない
★レーナ・マリアさん香港ツアー
★<街のクリスチャン>敢えて厳しい環境で歌い続ける
★<声なき叫びが聞こえますか=34>どんな人にも来てほしいから 記・岡本富郎
 = 8 面 =
★<聖書66巻>エステル記 人の営みと神の支配 記・鈴木 昌
★<書評>「ユダヤ人の歴史 上・下」ポール・ジョンソン著
★<新刊書紹介>「大丈夫! 結婚」出川 さと子著
★<新刊書紹介>「バイブルアトラス」日本聖書協会
★<情報クリップ>催し情報ほか      

クリスチャンは変人?−−ライフミニストリーズがビジネスマンを対象に調査

「未信者のビジネスマンから自分は変わった人だと見られている」と思っているクリスチャンが22%もいるのに対し、未信者の側は37%がクリスチャンのビジネスマンを「信心の厚い人」と評価している——こんな意識の落差が、このほどライフミニストリーズ(ダグラス・バーザル総裁)がまとめた調査結果で分かった。
クリスチャンの自己イメージが、必ずしも会社の同僚や取引相手がクリスチャンに抱く印象とは合致しないことが浮き彫りになった。
ライフミニストリーズではこのアンケート結果を踏まえ、各界の8人による分析を加え、『21世紀のビジネスマン伝道の指針』として発行した。
調査は97年と98年、関東・関西・中部のクリスチャンビジネスマンを対象に実施し、計285人が回答(発送数1200人、回収率24%)。
24問中、「未信者のビジネスマンはキリスト教をどう見ていると思うか」を問う4問に対応し、同地区のクリスチャン以外のビジネスマン900人に同年、「私はキリスト教をこう見る」の主題でアンケートをとり、154人から回答を得た(回答率17%)。
「ビジネスマン」の定義は「経営者、中間管理職、一般自営業、特別専門職の男女」。
回答者は30代から60代が主で、8~9割が男性。 低い自己イメージ——周囲からは以外に尊敬 両者の比較で特色が出たのは、クリスチャンビジネスマンに対する評価。
クリスチャン自身に「クリスチャンであるあなたに対する(未信者のビジネスマンの)評価」を聞いたところ、「信頼できる人」の35%に次いで多かったのが「変わった人」22%。
その次が「信心の厚い人」20%で、以下「弱い人」と見られていると思っている人も10%、また「西洋的な考えをもった人」が5%。
それに対して、「クリスチャンビジネスマンをどのように評価しているか」をクリスチャンではないビジネスマンに聞いた結果は、「信心の厚い人」37%、「信頼できる人」20%が上位を占めた。
「西洋的な考えをもった人」という見方も13%で、クリスチャンの予想よりもはるかに少ないことが分かった。
「ビジネスマンはキリスト教に何を期待しているか」では、どちらも「精神的な支え」「心の安らぎ」がトップ。
「人生への疑問の解決」8%、「死の問題の解決」5%、「真理の追求の答え」5%は、クリスチャンの予想よりも未信者の回答が数倍高く、企業戦士が意外に本質的な問題でキリスト教に期待していることがうかがえる。 「21世紀のビジネスマン伝道の指針」提言 では「どうして彼ら(あなた)は求道しないか」。
クリスチャンの予想では、「無関心」18%、「多忙」16%、「宗教不信」15%、「宗教は弱者のもの」11%などが上位。
ところがクリスチャンではないビジネスマンは「生活の中心としたくない」「生活の制限を受けたくない」が合わせて19%あり、「無関心」が17%、「多忙」9%。
「宗教不信」は6%でさほど多くなく、「キリスト教をよく知らない」と同率。
「宗教は弱者のもの」という回答は皆無だった。
「キリスト教をどう思うか」についての記述式回答でも、「他宗教よりなじみやすい」「信じられれば幸せ」「立派な宗教で尊敬している」「まじめな宗教」「愛の精神は好き」など肯定的な答えが多い。
疑問を提示した回答では「血の歴史がすっきりしない」「教理の解釈が多様でありわかりにくい」「教え自体不明」「教団・教派がわかりにくい」「カトリック・プロテスタントほか違いがわかりにくい」などが筆頭に挙げられている。
同資料は、送料とも一部五百円で頒布する。
申し込みは500円分の切手を同封し、〒359—1104 所沢市榎町6—16、ライフミニストリーズまで。
TEL042—925—4101。

<落穂抄>命にかかわる救急隊員のプロ意識

一刻を争う働きが日常の市民生活には少なくない。
救急車の出動もそんな緊急事態に機能する働きの一つである。
最近、身近で起きた救急車出動で、改めて、急を要する事態に十分備えられたプロの働きぶりを見せられた。
突然の身内の発病に、初めて119番に電話した。
サイレンを鳴らしながら自宅に到着した救急隊員は、実にテキパキと患者を車まで担架で移動し、わずか5分で最寄りの救急病院に到着した。
その間、携帯電話で病院の受け入れ状況などが的確に入ってくる。
救急隊のスタッフは医者ではないが、病院に向かう途中で患者の血圧や体温を測り、病状の聞き取りをしながら、病院側に伝える。
到着したとき、病院では受け入れ準備ができていた。
救急マニュアル通りに動いているのだろうが、命を救うためにプロの仕事とはこういうことかと感心させられた。
患者の病状は応急処置によって回復した。
その家人も、自分の痛みのことより、救急隊員の献身的な働きにすっかり心動かされたという。
「命を救うための働きは使命感がなければできないことよね。
それに比べ、魂の救いのために働く自分は、どれだけの使命感をもっていたかしら」。
救急車の出動を要請したことで、改めてプロの仕事にチャレンジを受けた。
福音を今伝えるべき隣人がいるのに、その使命を延ばし延ばしにしてはいないか——命にかかわる問題である。

<論説>ミレニアムの理解をめぐって 記・岡村 又男

主の2000年を迎えて、教会は「画期的なあかしの年」として歩み始めるとともに、2001年から始まる、21世紀に備える年でもある。 主イエスを起点として 一般社会ではミレニアムという言葉が、商業主義に利用されて氾濫しているが、先日、クリスマスから正月にかけて、ネパールに旅行した教会員が帰って来て、ネパールでは今年は2056年で、いつもの年と何も変わらない、騒いでいるのは外国から来た人たちであったと言っていた。
ちなみに、ユダヤ歴では5760年、イスラム歴では1377年であると言われている。
他の民族の中には50以上の暦年の数え方があると言われる。
日本では、平成の年号を普段使っている人たちが、急に西暦のミレニアムを言い出し、クリスマスを騒いでいる人たちが、ミレニアムのカウントダウンに参加し、明けて正月は初詣に神社に何百万の人々が出かけている。
どうなっているのか考えてしまう。
西暦は多民族の住む地球のどこに行っても通用する共通の暦年となっている。
私たちが言いたいことは、2000年の起点がどこからであるかということである。
イエス・キリストの誕生が歴史の起点となっているとすれば、このお方について何かを知ろうとするのは当然ではないか。
歴史の起点となっているこのお方を伝えるのが教会の使命であることは言うまでもない。
主イエスが誕生されたとき、「この民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。
・あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです」と伝えられている。 教会の起点でもある この方の誕生は、単に西暦の数え方の起点というだけでなく、罪と死の中に滅びゆく人類のための救い主の生誕である。
この方こそ、十字架と復活により、人類のために救いの道を開かれたお方である。
このお方によって、教会が誕生し、教会はこのお方の生命に生かされ、証しのために2000年の歴史の中を歩んで来たのである。
2000年はキリスト教会の歴史であるとも言いえる。
このことは、私が言うまでもないが、今この世は、罪の圧倒的な力に押し流され、油断しているとキリスト者にまで押し迫っているのではないか。
教会の使命は、この方によって開かれた御国の福音を宣べ伝えることであることを覚え、「画期的なあかしの年」になることを切に願っている。
いま、社会的問題を引き起こす宗教が問題になり、興味本位な終末論がマスコミにまで取り上げられて話題になっている。
2000年はその人々の言う終末を意味しているのではない。 終末をめざして しかし、教会は「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます」との主イエスのお言葉を信じ、その日に備えることを怠ってはならないのではないか。
ミレニアムとは、教会では黙示録にある「千年」を意味して理解している言葉でもあることを忘れてはならない。
この「千年」の理解は異なっている。
いま教会で理解をめぐって無益な論争を繰り返してはならないが、教会の終末論をめぐって、明確な一つの事実は、「主イエス・キリストが再び来られる」このことは、2000年の起点に立っておられるイエス・キリストの約束でもある。
ある大学の聖書研究会で、世の終わりについて、さまざまな論議がなされていたが、一人の学生が、「創造主がすべてを始められたのだから、また終わらせるということは当然ではないか」と言ったという。
この結論は単純である。
しかし、決して幼稚で的はずれではない。
聖書の最も重要な教えである。
教会はこの時代にこそ、「主イエスよ来てください」と告白しつつ、宣教に励むものでありたい。
(記・岡村 又男)