[CSD]2007年3月11日《ヘッドライン》

[CSD]2007年3月11日《ヘッドライン》
 = 1面 ニュース=
◎いのちの尊さ訴える——「いのちありがとうの会」4月に発足記念講演会
★君が代ピアノ伴奏命令に「合憲」——最高裁初の判断に波紋

 = 2 面 ニュース=
◎「追悼の仕方は遺族が決める」——合祀撤廃求め韓国人遺族ら靖国神社を提訴
★敗訴でも絶望しない——ピアノ伴奏拒否裁判原告らの思い
★「思想信教の自由の制限に」——NCCが君が代伴奏拒否訴訟判決に抗議
★コーチングネットワークを拡大——日本セルチャーチ宣教ネットワーク新体制に
★パワー・フォー・リビング:3月から教会専用窓口に1本化
★<落ち穂>ピョンヤン大リバイバルから100周年

 = 3 面 クリスチャンライフ=
★鉄条網の向こうに神が——『アメリカ強制収容所』復刊記念スケッチと資料展
★好きなみことばが本に——日本聖書協会が公募
★<クリスチャンでない夫をもつ妻たちへ>[21]家族に秘密はありますか? 記・斎藤 望

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★左官工の見習で横浜へ——新垣 幸吉さん[上](新垣工務店社長)
★<ゴールデンルール>[11]歓喜の歌とゴールデンルール 記・田上(たのうえ)昌賢

 = 5 面 牧会/神学/社会=
★対抗的社会構造としての教会——平和とは何か・聖書が現代に問う課題? 講演・石田 学
◎<オピニオン>少数反対意見を判例に生かす努力を 記・根田祥一

 = 6・7 面 宿泊特集=
★大自然のなかで体験した心の交流——教会修養会の思い出はなつかしく

 = 8・9 面 特集/カルト問題に立ち向かう=
★「聖神中央教会事件」脱会者の後遺症——力の誇示と脅しの恐怖で絶対服従強いる
★教祖の贅沢支える極貧「摂理」信者
★『エホバの証人の悲劇』読者の集いより——心の痛み負う「二世」問題が深刻
★「元証人」の牧師が語る、対処の姿勢

 = 10 面 教会学校=
★<いまどき子ども事情>子どもの未来に働く神様の業 記・城倉 翼
★<CS分級アイデア>あれっ!ワープで瞬間移動——ハシゴすごろく 記・石橋えり子

 = 11 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★EVENT:J・S・バッハ「ヨハネ受難曲」——オペラ形式で「十字架」を表現
★BOOK:『意志の強い子』ジェームス・C・ドブソン著(ファミリー・フォーラム・ジャパン、1,890円税込)
★REVIEW:『ウェストミンスター小教理Q&A107』ポール・セトル著、宇田 進訳(いのちのことば社、893円税込) 評・市川康則

 = 12 面 ひと=
★聖書翻訳が信じる契機に——ドミンさん(フィリピン・バランガオ語聖書翻訳協力者)——



◎いのちの尊さ訴える−−「いのちありがとうの会」4月に発足記念講演会=0703110101

 「いのちの尊さを伝え、造り主の知恵をほめたたえる」ことを目的に昨年12月に発足した「いのちありがとうの会」(堀越暢治理事長)が4月12日に東京・千代田区のお茶の水クリスチャンセンターで発足記念講演会を行う。同会はこの講演会が実質的な活動のスタートとなり、今後各地で啓発活動を行う予定。  いのちありがとうの会は発足にあたり、・いのちの仕組みのすごさを調べて、その尊さを伝えていく、・いのちを大切にして、その尊さにふさわしく生きる人々が増えるように努力する、・いのちの創造主をほめたたえて生きることをお勧めしていく、という3点を活動の目的としている。
 会結成の意義について、堀越理事長は、「毎日のように、いのちを軽視した恐ろしい事件が起こっています。今こそいのちの尊さと、いのちの造り主の知恵と力のすごさを伝えていかなければならない。『いのちをありがとう』と主をほめたたえる人々が増え、社会が安定し、平和となるように努力したい」と語る。
 同会は6人の牧師で理事会を構成し、その下に、いのちの尊さを調べ伝えていくための「エターナルライフ・プロジェクト」、創造の事実を示す資料提供を目的とする「バイブル・アンド・クリエーション」の2つの組織を設置した。2つの組織は連携を図りながら働きをすすめていく。
 理事は堀越暢治(単立・創愛キリスト教会牧師)、赤江弘之(同盟基督・西大寺キリスト教会主任牧師)、国吉守(沖縄バプ連盟・那覇バプテスト教会主任牧師)、趙南洙(同盟基督・招待キリスト教会主任牧師)、三橋恵理哉(単立・札幌キリスト福音館主任牧師)、横山幹雄(聖書教会連盟・内灘聖書教会主任牧師)の各氏。
 「エターナルライフ・プロジェクト」のディレクターとして堀越氏、「バイブル・アンド・クリエーション」のディレクターとして赤江氏が責任を担う。 
 いのちありがとうの会と「エターナルライフ・プロジェクト」事務局は創愛キリスト教会内、「バイブル・アンド・クリエーション」事務局は、西大寺キリスト教会内に設置する。
 発足記念講演会は、4月12日(木)午後6時30分から、お茶の水クリスチャンセンター8Fチャペルで行う。講演会では、堀越理事長の「いのちの尊さ」と題する基調講演のほか、同会の活動の紹介、教材や資料の紹介も行う。
 理事の赤江氏は発足記念講演会開催について、「牧師や役員、各団体のリーダーの方々
来ていただき、この働きがキリスト教界全体の使命として担われていくことを願っています」と期待を語る。
 いのちありがとうの会、講演会についての問い合わせは、事務局まで。〒512-1101三重県四日市市内山町8073ノ16創愛キリスト教会内、Tel&Fax:059・323・1065。

◎「追悼の仕方は遺族が決める」−−合祀撤廃求め韓国人遺族ら靖国神社を提訴=0703110201

 第2次大戦中に旧日本軍に徴用された韓国人の元軍属や戦没者遺族ら11人が2月26日、靖国神社と国を相手取り、合祀撤廃などを求める裁判を東京地方裁判所に提訴した。同神社を相手取り合祀撤廃を求めた訴訟は昨年8月、大阪地裁に提訴した訴訟に次いで2件目だが、韓国人らの提訴は初めて。
   ◇
 11人の原告のうち、8人は01年6月に国のみを相手に合祀撤廃を求めた「在韓軍人軍属裁判」の原告でもある。同裁判では昨年5月の一審判決で、「合祀したのは靖国神社」などとして請求が棄却された。これに対し、今回は「国と神社は一体となって共同し、合祀行為を行ってきた」として国と靖国神社を訴えた。裁判では、「勝手に『英霊』としてまつられ、人格権を侵害された」として霊璽簿等からの削除や謝罪等を求めている。また、靖国神社に戦死者名簿など個人情報を無断で提供したとして、日本政府に対し1人あたり1円の損害賠償を求めた。
 提訴にあたり、当日は原告4人が来日。原告のうち、唯一生存者でありながら合祀された元軍属の金希種さんは、一昨年に初めて合祀の事実を知った。靖国神社に抗議したところ、「名簿に『生存確認』と記載した」との通知が送られてきたが、霊璽簿そのものから名前を削除したかどうかは明らかにされなかったという。「合祀されていることを知った時、恥ずかしくてとても周囲に言えなかった。押しつけられた日本名で書かれており、非常に屈辱」と憤りをあらわにした。また、父親が合祀されているという李煕子さんは「『死んだ人は一つの神になる』というのは到底理解しがたい。追悼の仕方は遺族が決めること。戦後、『合祀』という形でなお支配を続ける靖国神社の有りようを国際社会に訴えていきたい」と語った。
 当日夜には、この訴訟は韓国人だけではなく日本人自身の問題でもあり、日韓共に問題の解決を進めていこうと活動団体「ノー! ハプサ(合祀)」が結成され、協力を呼びかけた。同団体の呼びかけ人として加わる、クリスチャンで元自衛官合祀「拒否」訴訟原告の中谷康子さんも山口県から上京し、原告らを激励した。
 連絡先Eメールnohapsa@yahoo.co.jp

◎<オピニオン>少数反対意見を判例に生かす努力を 記・根田祥一=0703110502

 卒業式・入学式の季節。今年は特別の緊張感をもって迎えている教職員も少なくないだろう。昨年12月に教育基本法が改定され、初めて迎える卒業式・入学式だからだ。そんな時期を見定めたかのような最高裁判決は、自分の思想・信条に基づいて「君が代」に否定的意見をもつ教師にピアノ伴奏を強いる「職務命令は、思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に反するとはいえない」との初判断を示した。
 学校での「日の丸・君が代」強要の不当性をめぐっては十数件の裁判が係属中だ。最高裁での「敗訴」確定は、他の裁判に悪影響を及ぼすのではないかと懸念される。だが、原告代理人の吉峰啓晴弁護士は「妥当な結論と納得のいく理由が法律学の生命であり、判例は論理性で影響をもつもの。今回の判決はほとんど理由を述べておらず、まともな憲法論を一切行わなかった1審、2審をほぼ追認しており全く内容がない。法律論に不可欠な『なぜそうなのか』という説明責任を果たしていない空虚な多数意見は、先例性をもつような判決ではない。それに引き替え藤田裁判官の反対意見ははるかに具体的・論理的であり、大きな影響を与えるに違いない」と見る。
 事実、最高裁で意見が割れた過去の判例でも、優れた少数意見が注目され後々まで引用される例が、法学研究の分野ではある。だが、国民の思想・良心の自由を具体的な社会生活において守るという実効性の確保のためには、現実の裁判で判例としてどのように利用されるかが問題だ。放っておけば、内容に乏しい判決でも安直に他の判決文の下敷きになりかねない。
 法律家には、法学研究の分野でおおいに議論してもらいたい。だが同時に、一般市民にもやることはある。新聞などのメディアは判で押したように、最高裁で原告の「敗訴」が確定した、と書く。他の同種裁判にも影響する、ともいう。確かにそうかもしれない。だが危険なのは、最高裁で確定判決が出たのだからもう抵抗しても無駄だ、と国民大衆があきらめて沈黙してしまうことだ。かつて軍部が暴走し日本が戦争に駆り立てられた時代、国民はどこかおかしいと感じても、自分独りが抵抗しても無駄だとあきらめたのではなかったか。大衆が趨勢に流されればメディアも鈍る。言論は、法律家はもとより、国民一人ひとりが自分の持ち場立場でできる取り組みであり、責任である。
 法律の条文にしても裁判の判例にしても、文言そのものが自動的・機械的に効力を発揮するわけではない。条文や判例は解釈され、使われてこそいのちを吹き込まれる。変質した教育基本法にしても、法案が通ったからとあきらめムードになってしまったら、あきらめたとおりの世の中に流されていくだろう。
 弁護団が「条理を尽くした名反対意見」と評価する今回の最高裁判決の少数意見を、生かしていく知恵と努力がこれから問われる。