ヘッドライン
2000年9月17日号《ヘッドライン》
2000年9月17日号《ヘッドライン》
= 1面 =
★追った鬼刑事と追われたヤクザ20年ぶり驚きの再開
★都防災訓練は「治安出動」想定——日基教団・在日大韓が強く反対
★関東大震災時の朝鮮人虐殺は国の責任——今も民衆がデマ信じる危険
★<いやしの時代>[20]教会協力によるフリースクールを立ち上げた 原田嘉男さん(上)
★<落穂抄>出会いの不思議 = 2 面 =
◎<灯火を次代へ>[3]破れた世界で福音を伝える——ジョージ・ケアリー
★日本伝道の幻を語る会:李仁夏氏と金井信一郎氏が講演
★「神の国」「三国人」発言に不安——9・1集会で崔善愛さん語る
★韓国「堤岩教会」老朽化——戦争責任謝罪と和解の象徴
★祈りの人ジョージ・バウアー氏東京で「宣教のチャレンジ」——10月に講演
★三宅島全島避難で信徒2人も島外へ
★宣教師子女のケアを考える
★キリスト者医科連盟:閣僚の靖国神社参拝で声明
★<世界の出来事フラッシュ>中国、米国、欧州、バチカン
★<論説>福音の大潮流を期待する 記・有賀喜一
= 3 面 =
★ますます盛んビジネスマン伝道——ところで教会との連携だいじょうぶ?
★三谷康人氏『逆転人生』出版記念会——信仰貫く企業人に元上司も敬意
★VIPクラブ福岡発足会——牧師が感動「信徒にも紹介したい」
★新会堂建築シリーズ[122]改革派・芦屋教会
= 4 面 =
◎日本伝道会議もう一つの視点——地域社会共同体の課題に取り組むキリスト共同体
★牧師と信徒 パートナーシップで絶妙の司会
★型にはまったクリスチャンでなくていい——基調講演で坂野慧吉氏
☆祝キリスト降誕2000年記念聖句書道展
= 5 面 日本宣教のパイオニア(7)=
★ジョセフ・G・ミーコ宣教師・陶山節子氏
= 6面 信仰と生活のページ=
★<伝道牧会とリーガルマインド>[5]トラクトと肖像権 記・櫻井圀郎=0009170601= ★<企業社会の生き方ガイド>[5]市場経済は聖書的か?
★<英語ことわざメモ>「口は禍の元」
★<投稿>「21世紀への対話」を読んで
★<投稿>「日本文化]と「賛美]
★<今月の試写室>リトル・チュン 記・高梨 大
★<CDの時間>「Never Turnin’Back」 ブルース・ヒバート
= 7面 =
★帰国したヤナツィネン宣教師の置き土産——伝道聖研で用いられる自作テキスト
★<北から南から>福島:野口英世ゆかりの礼拝堂修復
★アジアに同じ主を信じるものがいる——台湾の教会と姉妹提携10年
★「震災と私と聖書」証しコンテスト——神戸聖書展が募集
★あかし文学賞入選作品が小冊子に——『サトルくんのドジ日記』
★米国:電話の応答に鈍い教会の実態調査
= 8 面 =
★<聖書66巻>ナホム書 神の慈愛と忍耐を軽んじるな 記・渋谷 敬一
★<書評>「たましいの慰め こころの余裕」堀 肇著
★<新刊書紹介>「マザー・テレサ最後の愛のことば」ホセ・ルイス・ゴンザレス・バラード編
★<新刊書紹介>「リバイバルの源流を辿る」尾形 守著
★<情報クリップ>催し情報ほか
<灯火を次代へ>[3]破れた世界で福音を伝える−−ジョージ・ケアリー
神によって造られたすばらしい世界を、私たちは愛する。神のかたちに造られた人間性を愛している。
堕落しているにせよ、神が愛していて下さるのだから、私たちも愛するのだ。
常に新しい可能性、贖いと再生の道は開かれている。
しかしそれと並んで、世界は確かに損なわれている。 罪の現実と十字架の勝利 ローマ人への手紙5章はこれが罪の現実であることについて、非常に現実的に、人間の状態の堕落と、イエス・キリストの変革の力の両面から述べている。
パウロは罪について、奴隷化し、殺し、支配するという、3つの面を描いている。
この個所で「支配」という言葉は5回使われているが、3回は罪の支配という意味で、2回はキリストの十字架における勝利により神の民の生活が支配されているという意味で使われている。
世界において悪が成功を収め、キリストの勝利を知り受け入れるまでは暴虐の支配下にあることを描いているのである。 悔い改めを避けるセラピー 西欧の文化は今日、セラピー(精神療法)、教育、富という3つの代用の救い主に取りつかれている。
それらはどれも、私たちの破れた世界に永続的な癒しを与えることはできない。
私たちの社会は体と心の癒しに魅せられている。
私たちが内なる自分の満足を得れば、すべてはうまく行くということである。
この偶像崇拝は、「私の幸せ、私の必要、私の求め」に焦点を合わせることによって福音に取って代わるときに姿を現す。
「救い主キリスト」が「カウンセラー・キリスト」に取って代わられてしまうのだ。
今日、多くの説教は、セラピー的なアプローチが優位を占め、きよい神が私たちを悔い改めと信仰によって立ち返るよう招いておられると訴えることを避けている。
セラピーは罪の現実に立ち向かわせることはできない。 教育万能は現代のグノーシス 教育は世界の破れを繕えるか。
教育は社会を欠乏から逃れさせる主要な方法と見なされている。
確かにそうだ。
私の国では、教会は国が関心をもつはるか以前から教育に携わってきた。
今日の教会は世界中で教育に真剣に取り組んでいる。
しかし、教育を人類の問題への唯一の答えとするときに、深刻な問題が起きる。
発展した社会では教育が行き届いているのに、犯罪やや暴虐や家族の崩壊があるのはなぜか。
教育はどうして、心の孤独や罪責感を処理できないのか。
個人にせよ社会にせよ、罪の問題は教育のみによって根絶することはできないのである。
教育もまた、福音に取って代わるとき、「目覚めた教師が私たちを無知から知識へと導いてくれる」という別の救い主を持ち込んでいる。
初代教会が知っていた「グノーシス」はこれと同じである。 富の誘惑が教会にもある 富はどうか? 富を生み出さなければ社会は繁栄できない。
だが他方、金銭の堕落させる力を過小評価してはならない。
裕福や財産が人生の目的となるとき、それは異なる神である。
富の巧妙な誘惑は教会生活にもある。
多くのテレビ伝道者にとって、金銭の誘惑が彼らの福音の避けがたい一部になってしまっている。
繁栄の福音が、いい暮らしを約束することに土台を置く間違った福音へと、多くの人々を誘惑している。
「もしイエスを信じるなら、あなたは栄え成功するでしょう」。
これはよい知らせのように聞こえるかもしれないが、私たちが宣べ伝える本当のよい知らせは、その中心に十字架がある。
吸引力はあっても、富は人間の問題を解決することはできない。
セラピー、教育、富という間違った神々は、聖書が「罪」と呼ぶ人間の破れの現実—奴隷化し、殺し、支配する—を避けようとさせる、もっとも力のある障壁である。
私たちの使命は、世界に問題の真の分析を示し、その問題に対する、キリストにある真の解決を人々が見いだせるようにすることにある。
日本伝道会議もう一つの視点−−地域社会共同体の課題に取り組むキリスト共同体
6月に沖縄で開催された第4回日本伝道会議のテーマは「21世紀の日本を担う教会の伝道――和解の福音を共に生きる」だった。基調講演をはじめとして、「和解の福音」というものが本来、日本の将来を左右するほどのインパクトを持っており、教会はその福音をゆだねられているのだ、ということが強調された。
その流れのなかで、和解の福音が具体的に実践されるべき場である共同体の問題が着目された。
共同体への着目は、過去3回の伝道会議で十分光を当てきれなかった「伝道の対象はどんな人々なのか」という問いへの回答、という意味合いもあった。
「地域にある諸教会が、一つの共同体のように協力して、地域社会という共同体にコミットし、その課題に取り組むことを通して伝道する」という方向性の戦略や実践が、シンポジウムや分科会において、いろいろな論客の口から語られた。
そんな「キリスト共同体」とでも言うべき動きに言及した集会を報告する。
シンポジウム「『日本』と伝道」は、三森春生、H・ワイペルト、稲垣久和の3氏が発題し、討議した。
3氏とも、長い歴史に根を張った日本人の集団意識の強さを指摘。
それが伝道の難しさにつながっていることを確認した。
それに対する戦略として、超教派的な働きのコーディネーターを長年担ってきた三森氏は、「これまで日本のキリスト教はインテリ層に入ったが、もっと大衆に浸透しなければ」と強調。
大衆を巻き込むダイナミックな共同体の形成を提唱した。
「地方部では特に可能性がある。
市議や市長を出すくらい、クリスチャンが力を持たないと」
集団意識ゆるみ精神的不安増す ワイペルト氏は、開拓伝道に携わってきた宣教師の目から、日本人の集団意識の縛りが近年緩んでいることを指摘。
核家族化や集団雇用制崩壊に見られるように、それが人々の精神的な不安を増していることに対し、「子育てや高齢者問題、経済問題など、人生のあらゆる局面で、福音に基づいた解決を示すことで福音の浸透を図れる」と、クリスチャンが地域社会に入り込み、影響力を発揮するという方向性を示した。 信徒が専門生かし神の喜ぶ文化を 稲垣氏は、東京基督教大学で哲学を教え、クリスチャンジャーナリストとして日本の精神風土の問題にも取り組んできた立場から、「さまざまな分野でのモラルの低下や教育問題の根は本当の宗教の不在にあると、心ある人々は気付いている」と指摘。
そのなかで、クリスチャンが目指す方向性として、創世記の「文化命令」(地を治めよ)に目覚め、信徒が政治、経済、教育、メディア、科学技術など各分野で専門性を生かし、神から来る良心に基づいた自覚的な仕事をする。
そのことを通して神に喜ばれる文化を形成し、それを有機体としての教会という一致した意識のなかで行うことを強調した。
また、その裏付けとなり支えとなる信徒の神学の必要性を訴えた。
討議のなかで三森氏は、「集団意識に縛られた日本のシステムは強固な岩盤のように固いが、地方行政のレベルではそれを崩せる可能性が高い。
また、近代国家のかたちのなかで、キリスト教の持つ善き思いを実現するにはその道しかない。
それをしない現状のままでは、どんないいことを唱えても犬の遠吠えに過ぎない」と主張。
共同体という母体があれば、一個人としては行いにくい証しが容易となることを指摘。
共同体のイメージを、「クリスチャンが孤立して固まったゲットーではなく、地域の共同体に入っているような姿。
教会が地域のコミュニティーの機関の一つであり、牧師や信徒が地域の名士の一人であるような姿」と説明した。 教会がコミュニティーの機関に そんな方向性が見られる地域の具体例として、神奈川県相模原市のケースを紹介。
市内の教会が定期的にフォーラムを開き、講壇交換さえ行う状況になっていること。
また、そうした信徒、牧師の交わりを母体として老人福祉や町ぐるみ伝道の動きも出ており、市政にかかわっていく下地もできていると評価した。
稲垣氏は、クリスチャンが影響力を増すことを通して実現すべき日本社会のあり方として、少数派の発言が尊重される真剣なデモクラシーが強まること。
また、公教育の中で諸宗教がまじめに教えられるような、宗教が重んじられ各宗教に公平なチャンスが与えられた世の中を目指すべきだ、と主張した。 ◇ ◇ ◇ シンポジウム「『沖縄』から見た日本における教会形成と伝道」では、沖縄における積極的な教会間の協力とその実の報告があった。
同じく「若者にとって教会とは」では、近隣の教会が協力して若者伝道する方策が紹介された。
分科会「献身者の養成と神学校教育」では東海聖書神学塾など、地域に密着した神学校の成果を紹介。
同じく「地域の痛み、苦しみを共有して生きる教会」では、岩手における、地域レベルの電波伝道や祈りの課題の共有が報告された。
「飢餓に苦しむ人々と共に生きる」では、教会の協力に行政の協力を得て飢餓問題に取り組むことで教界全体の信頼度が上がっている、との報告があった。
「日本の政治とキリストの主権」では、政治の動向の監視、対策のため教会間のネットワークが必要との主張があった。
「未成年へのアプローチ」では、インターネットによる地域教会のネットワークが言及された。
「日本の閉塞感と福音による解放」では、「魂のことをする場所」と大江健三郎が言ったような共同体の必要が訴えられた。
特別セミナー「地域宣教協力を語る」では、岡山宣教の集い、東北宣教会議、北海道宣教懇談会などのケースの紹介があった。 ◇ ◇ ◇ 採択された「沖縄宣言」も、各地域における教会間の、「市民クリスマスや牧師会、朝祷会、災害における相互の助け合い」といった「一致の動き」を奨励。
社会の抱える具体的な問題を視野に入れつつ、「地域社会と教会とのかかわりをより積極的、具体的に考えます」と宣言している。