[CSD]2007年12月23・30日号《ヘッドライン》

[CSD]2007年12月23・30日号《ヘッドライン》
 = 1面 ニュース=
◎憲法9条で世界平和目指す——「9条アジア宗教者会義」開催
★歌う「人間クリスマス・ツリー」——恵みシャレー軽井沢でイベント好評

 = 2 面 ニュース=
★連盟主導から協力伝道へ——日本バプテスト連盟結成60周年
★「ピースメーカーになれるように」と——国会議員らと「クリスマス晩餐会2007」
★「台湾を治めることは権利と義務」——台湾の国連加盟活動を推進する羅榮光氏
★<落ち穂>クリスチャン・原胤昭の足跡

 = 3 面 ニュース=
◎方法論でない深い祈りを——第4回国際平和アシュラムシンポジウム
★英国:カンタベリー大主教がイスラム誌で米国批判
★米国:米国人は進化論より「悪魔の存在」信じる——ハリス社の統計で判明
★<オピニオン>キリストこそわたしたちの平和 記・榎本 恵——

 = 4・5 面 特集/アンケート集計結果=
◎ほぼ半数の教会が「閉塞感がある」——「現代日本の教会の実情を知る」調査集計結果
★「教会の伝道」に閉塞感——対策実行2割強・検討中4割

 = 6・7 面 回顧と展望=
★教育の国家支配強化——首相交代でもなお進む
★4月 統一地方選挙・7月 参議員選挙——キリスト者市長、議員抱負語る
★アフガン韓国人宣教チーム拉致事件——今日の異文化宣教に再考迫る

★国外からの宣教支援をどのようにうけとめる
★青年向けプログラム多彩に——伝道体験の分かち合いも
★地震、サイクロン相次ぐ自然災害——教会・宣教団体の対応は敏速

 = 8・9 面 写真で見る2007=
★ニュースに見る「喜・怒・哀・楽」

 = 10 面 ビジネスパーソン=
★驚きと感動伝えたい——橋本 明元さん[下]([株]王宮 道頓堀ホテル常務取締役)
★<更正の手がかり>[11]カイザルのものはカイザルに 記・梅津 善一(公認会計士)

 = 11 面 牧会/神学/社会=
★信仰者の人間関係——コミュニケーション・ギャップが起きるとき[3]
★<精神障害と教会>[18]語り合う「場」が回復への道に 記・向谷地 生良

 = 12 面 情報=
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★CD:「ETRNAL IZUNI」NOBU(NO-EVIL ENTERTAINMENT、1,500円税込)
★BOOK:『本当に赦すということ』R・T・ケンダル著(生ける水の川、1,785円税込)
★BOOK:『おやすみのまえに』マックス・ボリンガー著/フェレーナ・パヴォーニ挿絵(いのちのことば社、945円税込)
★REVIEW:『それでも主の民として』信州夏期宣教講座編(いのちのことば社、1,260円税込)評・水草修治

 = 13 面 教会学校=
★今年も開催 子どもミュージカル——札幌・愛隣チャペルキリスト教会
★キリスト教教育の歴史をDVDに——NCC教育部100周年で発売
★<CS分級アイデア>飲み込んでも安全——シャボン玉 記・石橋えり子

 = 14 面 関西だより=
★継続一致の祈りの成果——第1回東大阪市民クリスマス開催
★安らかな古都のクリスマスコンサート——奈良県民クリスマス
★東大阪エリムキリスト教会献堂インターネット礼拝も開始

 = 15 面 クリスチャンライフ=
★キルトに綴る世界——「シガ&キルターズ」最後の個展
★<私の子育て失敗談>[40]どのようになりたいですか 記・斎藤 望

 = 16 面 ルポ/=
★どや街、それぞれの越冬——山谷伝道が届ける福音のプレゼント

==クリスマス特別増大号 第2部==
 = 17面 クリスマス・メッセージ=
◎苦悩の中に喜びと平安が——全壊した会堂で迎えるクリスマス 記・片桐 宣嗣

 = 18・19 面 対談/日本伝道の突破口を求めて=
★「現実はうまくいかない」だからこそ祈り、励まし、リーダーシップ——大川従道氏vs中野雄一郎氏

 = 20・21 面 特集/軽井沢で楽しむクリスマス=
★町と協力しクリスマス演出——恵みシャレー軽井沢
★軽井沢の教会のクリスマスイベント情報
★降誕劇が冬の風物詩に——軽井沢ユニオンチャーチ
★宣教師によって開拓・発展した町 軽井沢

 = 22・23 面 クリスマス・スペシャル=
★手づくりで祝うクリスマス——マクラメのプチリース作り
★心躍る家族でのひととき——Christmas in Sweden
★大切な人へのプレゼントにも——絵本『たいせつなきみ』限定装丁版
★貧しかった時代の喜び忘れずに今も——Christmas in Norway
★一家の主 家族の宴を切り盛り——Christmas in French/Paris
★ウチナーグチで聖書朗読——Christmas in 沖縄

 = 24・25 面 読書特集=
★クリスマスの絵本:『よろこびのひ』『ねずみにとどいたクリスマス』『かがやく星のもとに』
★『クリスマスの祈りと歌』小塩 節・小塩トシ子共著(日本キリスト教団出版局、1,575円税込)
★『詩篇を味わう? 90~150篇』鍋谷尭爾著(いのちのことば社、2,940円税込)評東條隆進
★『すばらしい悲しみ』グレンジャー・E・ウエストバーグ著(地引網出版、1,050円税込)評・賀来周一

 = 26・27 面 環境特集=
★教会の「不都合な真実」を超えて——記・行本尚史
★OMソーラー活用で環境負荷少ない会堂——日基教団・仙台東一番町教会
★富の「むさぼり」から地球環境変える生活へ 記・住田 裕
★「地球温暖化は破壊的結果もたらさない」——米国福音派指導者で見解分かれる

 = 28 面 人間ドキュメント=
★原因不明の摂食障害で2年4か月——森脇めぐみちゃん全快に

◎憲法9条で世界平和目指す−−「9条アジア宗教者会義」開催=0712230101

 東京・千代田区の在日韓国YMCAで11月29日~12月1日、日本・アジアを中心とした各国の宗教者が集う「9条アジア宗教者会議」(同実行委員会主催)が開催された。日本国憲法第9条の重要性を共に考え、非暴力による世界平和の実現を目指そうと企画されたもので、会期中は一般参加者を含め各日220人ほどが訪れた。
 会議では、土井たか子氏(元衆議院議長、憲法学者)、林東源氏(元韓国統一省長官)による基調講演や、「非暴力と平和の実践」をテーマにしたパネル討論、参加者らが会場周辺を平和を訴えながら歩く「平和の巡礼(行進)」などが行われた。
 最終日には、会議での意見を総括した声明文を発表。「米国一辺倒の外交政策を、とくに東北アジアに視点をおいた平和外交に変える」こと、「日本が犯したアジア太平洋地域の人びとへの加害責任を認め、国会で謝罪決議をする」など8項目を日本政府に対して要求し、「各国の憲法の条文に戦争の放棄と非武装の条項が加えられるように働きかける」など9項目をアジア、世界の宗教界に対して呼びかけた。
 同会議共同議長の輿石勇氏(日本キリスト教協議会議長)は、「9条は単なる戦争放棄ではなく、豊かな世界を築くことにつながっていくはずだと再確認した。恐怖、絶望からの自由という権利が、世界のいたるところで脅かされていること、そして日常生活のレベルにまでに及んできていることに注意を喚起したい」と会議を振り返った。

◎方法論でない深い祈りを−−第4回国際平和アシュラムシンポジウム=0712230301

 第4回国際平和アシュラム(アシュラムセンター主催)が、11月22~24日、大阪府吹田市の千里阪急ホテルで開催され、台湾からの23人を合わせ96人が参加した。
 2日目夜に「霊性の時代とアシュラム運動」をテーマに高俊明氏(元台湾長老教会総幹事)、山岡三治氏(上智大学副学長)、後宮俊夫氏(アシュラムセンター運営委員長)をパネリストにシンポジウムを行った。司会はアシュラムセンター主幹牧師の榎本恵氏。
 司会の榎本氏がまず、「パウロは、グノーシス主義といわれる霊性を『世の霊』と喝破し、『私はもう十字架のことば以外は語らない。神の霊でしか語らない』と激しく訴えている。霊性の時代と言われているが、単にデボーションのもち方というような方法論ではなく、深く神との平和を祈り求める中で、本当の平和を実現するものとされたい」と提言。
 高氏は、27年前、台湾の人権・独立運動に参加したため7年の実刑を言い渡され、4年3か月と21日間刑務所に入れられたという自分の歩みを語り、「刑務所の中で毎朝、聖書に聴き、自分自身のために祈り、家族、友人、世界各国の教会のために祈った。不思議なことに、自分が直接そういう人たちに会っているような気がした。また、同じ刑務所に入っている人たちと聖書を輪読し恵みを分かち合っていく中で、一人の暴力団の青年が回心した。イエス様こそまことの救い主であり、祈りのつながりを全アジア、全世界に広げていくことによって平和が臨んでくることを体験した」と証した。さらに、「毎朝、一人ひとりが祈り、聖書に聴き、その真理に基づいて行動し、祈りの輪を世界的に広める使命がある。特に青少年たちのアシュラムを、若者たち自身が積極的に奉仕にかかわりながら実施すべき」と語った。
 山岡氏は、大学生の時アシュラムに参加し、わずかな休み時間に、一人の参加者に頼まれ熱心に祈っていた榎本保郎先生の姿が忘れられなかったと語る。「あの真剣な祈り方になんとか到達したい、そのように一生に1回でもいいから祈りたいとの願いが原点。『沈黙』は、共に祈る兄弟の必要のために仕える修練。アシュラムは、人々と共に住み人々の苦しみを共に担いながら生きていく中で、み言葉に聴き実行していくための祈りの場としての使命がある」と祈りの必要性を訴えた。
 後宮氏は、自分が命をかけ国のために戦争をしてきたのはなんだったのかと苦悩していた時に榎本保郎氏に出会い、生き方に打たれたと語る。
 「榎本先生はスタンレー・ジョーンズのアシュラムに参加して『ことばは肉となる』ことに共鳴した。言葉だけのキリスト教ではなく、日々の生活の中で、み言葉を生きる生活を求める。もう一つは『開心』。明け渡し。『イエスは主である』という生活をしているかとの問い。今、聖書は、私に何を語りかけているのかを、聖霊の導きの下で聴き、その神のみ旨に従うために祈り続ける生活をする。『今あるは神の恵み』を実感しながら聴従の生活を祈ることがアシュラムである」と今日的意義を訴えた。
 最後に、榎本氏はスタンレー・ジョーンズの「古今のグループ活動は、コイノニアを教会に取り戻す試みであって、クリスチャン・アシュラムはその一つである。われらはアシュラムこそその道であるとか最善の道であるとは言わない。これは最善の道への道であるとだけ言う。イエス・キリストだけが道である」という言葉を引用し、アシュラム運動への参加を熱く呼びかけた。

◎ほぼ半数の教会が「閉塞感がある」−−「現代日本の教会の実情を知る」調査集計結果=071223040

 少子高齢社会、日本型雇用の崩壊や格差社会など現代社会の閉塞感は、日本の教会にどのような影響を及ぼしているのだろうか。また、長く教勢面での停滞がいわれているが、教会内には閉塞感があるのか。第5回日本伝道会議プロジェクトと本紙の共同企画として実施した「現代日本の教会の実情を知る」アンケート調査では、伝道牧会に「閉塞感がある」48・4%、「閉塞感はない」51・6%との最終集計結果を得た。集計結果のデータから見られる教会の姿を追う。

 本紙の創刊40周年記念企画―日本伝道会議プロジェクトとして実施した今回のアンケート調査では、「閉塞感」をキーワードにした。最終集計(有効回答数601件)では、「閉塞感がある」48・4%、「閉塞感はない」51・6%で3・2ポイント「閉塞感はない」と感じている教会が多い結果となった。本紙10月7日号に掲載した中間発表では、「閉塞感はない」が7・4ポイント高かったので、遅めの回答が加わり「閉塞感がある」が4・2ポイント増加した。
 回答に記されたコメントを見ると、「閉塞感」の有無の捉え方は、教会を取り巻く閉塞的な諸状況が教会にも影響し取り組むべき課題として取り組むか、周囲の環境には閉塞的状況があっても教会自体は閉塞的状況をもたらす課題として捉えないという受け止め方の違いに現れているようだ。

47%の教会が
教勢「横ばい」

 アンケート回答の全体(5面の集計結果参照)から見えてくる教会の実情を概観すると、6割強の教会が郊外・住宅街に建ち、7割の教会が1人の専任牧師を招聘している。全体の約53%は牧師給のみで生計がまかなわれている。牧師給以外の収入では「年金」が多数あり、「牧師給なし」で年金生活している回答と合わせると、高齢者の牧師によって牧会伝道が支えられている教会が増えつつある側面も垣間見られる。
 この5年間の教勢は、「のびている」は34%強だが、「横ばい状態」の教会が47・4%でほぼ半数に迫っている。
 礼拝者の年代別構成を閉塞感の有無で比較してみると、「閉塞感はない」教会では乳幼児・小学生・中学生・高校生の層がこの5年間に22・8%~10・1%の幅で「増加」しているが、「閉塞感がある」教会では14・1%~6・3%で、平均6・4ポイント低い(グラフ「礼拝出席者の年代別推移」参照)。「閉塞感はない」教会では、各年代層の「増加」が平均14・0%あり、「閉塞感がある」教会の平均7・4%より6・6ポイントも高い。現在の礼拝者の年代構成でも20代男女の「いない」が「閉塞感がある」教会は男性14・5%、女性10・6%に対して、「閉塞感はない」教会ではそれぞれ4・8ポイント、3・8ポイント低い。集計結果からは、礼拝者数の伸びと幼児・青少年層の出席数が閉塞感の有無に現れていると言えるだろう。
 5年間の受洗者の推移を見ると、2006年に受洗者が起こされた教会は全体で16・8%あり、「閉塞感がある」教会の方が「ない」教会よりも1・5ポイント高い。だが5年連続して受洗者が起こされた教会は、「閉塞感はない」教会15・8%で「閉塞感がある」教会よりも6・3ポイントも高い。各年ごとに受洗者の有無を見ると閉塞感がある教会とない教会のポイント高低はさほどでもないが、年ごとに連続して受洗者が起こされる教会には閉塞感をもたない傾向が見受けられる。

[img align=right]http://jpnews.org/pc/uploads/img47661ab33eff3.gif[/img]少子高齢の影響か
青年会中止が1位

 日曜日の礼拝を含めた教会の定期集会では、壮年会(8・2%)と青年会(32・8%)の低迷が目を引く。02年春に実施した「クリスチャン情報ブック2003」宣教アンケートで女性の礼拝出席が62%を占めていたが、今回の調査でも30代以後の男女の差の開きが大きい。壮年会が定期的にもたれている教会は、今回の調査で9%を切っていることが分かる。
 中止した定期集会では、「青年会」が14・5%(閉塞感がある=8・3%、閉塞感はない=6・2%)で最も多い。この十年来、教会学校の減少・閉校が着目されてきたが、青年会の定期集会閉鎖より2ポイント低い12・5%(閉塞感がある=7・2%、閉塞感はない=5・3%)で2番目の結果だった。また、婦人会の定期集会の中止も12・1%(閉塞感がある=6・3%、閉塞感はない=5・8%)で教会学校とわずか0・4ポイント差でしかない。この3つの定期集会とも、先の礼拝出席の年齢層別集計が中高年層の横ばい、青少年層の減少傾向を反映している結果とも見られる。
 ただし、青年会・壮年会・婦人会を中止した教会のコメントの中には、数年前から「セルに移行した」教会がいくつかあり、教会形成の方策として取り組んでいる教会もある。各会は交わりの工夫で教会形成への刺激になる。だが、児童伝道のあり方も日曜日にこだわらず週日の実施やプログラムの多様化に取り組めても、信仰継承や教会教育の側面をもつ教会学校の中止・閉校は意味合いが異なる場合もある。そう見ると、教会学校の衰退傾向は一層重い意味を投げかけていることになる。
 青年会、教会学校の中止は、いずれも「閉塞感がある」教会の方が2ポイント程度高い。教会の閉塞感に少子高齢化は影響しているようだ。

◎クリスマス・メッセージ:苦悩の中に喜びと平安が−−全壊した会堂で迎えるクリスマス 記・片桐 宣嗣=

 2007年7月16日午前10時13分は、柏崎の私たちにとって生涯忘れられない日時です。その時、私は教区聖会で妙高高原にいました。集会直前に大きな地震があり、テレビで確認すると、震源地は柏崎とのこと。教会に戻ると、朝には無事であった教会の建物は全壊でした。「あしたにもえでて、栄えるが、夕べには、しおれて枯れる」(詩篇90・6、以下、引用聖句は口語訳)かのように、「朝には立っていたが、夕には倒れる」の経験です。
 地震の特性のひとつは、「日常性の崩壊」です。他人事から自分事になりました。「アメイジング・グレース」の「危険をもわなをも 避け得たるは」(※)を思い起こしました。いまは、「危険(Risk)から危機(Crisis)」の状況かもしれません。身体的疲労・精神的喪失感を覚える危機です。
 とりわけ35年前の会堂建築の労苦にかかわり、いま身体的痛みにある高齢者が「幸齢者」であってほしい、と願っております。
 また会堂全壊から、隣接の牧師住宅で会堂再建を祈りつつ、再出発の礼拝を継続しています。物理的には、「家の教会」かもしれません。しかし、「行く手は一足ごとにあなたの前に開かれる」のみ言葉に励まされ、また、主の守りと多くの主にある兄弟姉妹の祈りと支えにより、今年のクリスマスを迎えています。
 新しい年は、「危機(Crisis)から好機(Chance)」となることを祈っています。イギリスの劇作家のバーナード・ショーの言葉、「人間は二つの『E』─Experience(経験)、Ex-pectation(期待)に生きる」を、本で読んだことがあります。
 07年は危険・危機を経験しました。08年は会堂再建・好機の年と期待しつつ、祈っています。今年のクリスマスは、「アメイジング・グレース」の「恵みはわが身の 恐れを消し 任する心を 起こさせたり」を覚え、主に期待する時でもあります。
救い主の降誕にかかわりを与えられたマリアとヨセフも、思いもかけない大きな危険と危機を経験しました。しかし、与えられた約束は、「恐れるな」(ルカ1・30)、「心配しないで」(マタイ1・20)、「神われらと共にいます」(マタイ1・23)でした。不安・不自由・苦悩・困難・犠牲の中にあっても、「心にかけてくださいました」、「主はあわれみをお忘れにならず…助けてくださいました」(ルカ1・48、54)と、神が心配り、行くべき道を備えていてくださった経験をしました。
 マリアとヨセフは、危険・危機の中でも、神の導きと守りを待ち望み、ゆだね、冒険する心─信仰を与えられました。アドベント(待降節)とアドベンチャー(冒険)は同語源の言葉です。
 危険・危機で苦悩する私たちのところにも、救い・喜び・平安を与えるためにイエス・キリストが来てくださいました。
 「神われらと共にいます」の約束と成就に希望を覚えます。孤独・孤立・孤苦ではなく、私たちが救い主イエス・キリストを信じ、信頼し、結ばれているとき、「主は今に至るまでわれわれを助けられた」(・サムエル7・12)と、主の私たちへの心配り・配慮だけでなく、「いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)と、主の私たちへの慰め・励ましを経験し、期待することができます。
 思いもかけない出来事に直面する私たちのところにも来て、重荷をおろすように招き、共にいてくださり、道を開いてくださる主の導き、備えに期待し、待ち望み、主にあって冒険する心─信仰を起こしていてくださいます。マリアとヨセフ、また私たちにとっても、クリスマスは危険・危機の中で、「神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにしてくださった」(Iヨハネ4・9)─神の恵みの計画・約束を経験する時です。
※中田羽後(教文館)