[CSD]2007年1月27日号《ヘッドライン》

[CSD]2007年1月27日号《ヘッドライン》
 = 1面 ニュース=
★南の島の新年礼拝——小笠原の教会事情 米統治下の影響濃く
★マレーシア:イスラム教徒以外の「アラー」使用禁止

 = 2 面 ニュース=
◎新共同訳の訳語「重い皮膚病」を堅持——日本聖書協会が翻訳訂正要望に結論
★牧会者の専門性深める研究科——聖学院大学大学院に開講
★「神社参拝反対は信仰の戦い」——李象奎氏 朱基徹牧師殉教を語る
★政教分離の会:福田首相伊勢神宮参拝に抗議——「憲法に則した政治求める」
★タリバンの韓国宣教チーム拘束——「クリスチャニティ・ツデー」誌2007年トップニュース
★<落ち穂>教会で演じられた舞台劇「塩狩峠」

 = 3 面 =
★「新改訳」聖書の著作権——名実共に新改訳聖書刊行会に移行
★NCC女性委員会:日韓女性の連帯交流——「慰安婦」問題解決に向け決議
★インド:ヒンズー至上主義者が教会を焼き討ち
★<オピニオン>報道を総括するフォロー記事を 記・村上 久

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★八百万の神の背後におられる真の神がおられる——上田 悟、慎也さん[中](能楽金春流太鼓方)
★<セールスウーマンの楽しい伝道>[7]豊かになる秘訣ってなに? 記・渡辺明日香

 = 5 面 情報 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★BOOK:『こんぼパン』イ・チョルファン作、ユ・ギフン絵(ラブソナタ出版、1,701円税込)
★BOOK:『ウォーキングを祈りに』油谷弘幸著(女子パウロ会、1,260円税込)
★BOOK:『凡人が「強運」をつかむ59の心得』右近勝吉著(講談社+α文庫、648円税込)
★REVIEW:『武将高山右近の信仰と茶の湯』橋敏夫著(いのちのことば社、1,115円税込)評・山縣 實

 = 6・7 面 聖書特集特集 =
★聖句書道で「いのち」伝えたい——蕨書道会を主催する中澤文子さん
★「主の祈り」テーマに連作を完成——キリスト教画家・渡辺総一さん
★聖書を「見る・聴く・知る」楽しみ

 = 8 面 全面広告 =
☆東京聖書学院 2008年度学制募集
ホームページ http://www.jhc.or.jp/tbs/
 = 9 面 全面広告 =
☆第41回 日本ケズィック・コンベンション
2月19日(火)~21日(木) ホテル小桶園
ホームページ http://www17.plala.or.jp/keswi/
 = 10 面 教会学校 =
★毎日聞こえる子どもの歓声——アッセンブリー・新中野キリスト教会の子ども伝道
★<CS分級アイデア>かぶってお芝居もできるよ——紙の袋でお面を作ろう 記・石橋えり子

 = 11 面 クリスチャンライフ =
◎備えられた神さまの「時」——デザイナーから牧師への転身を自伝漫画で出版
★わたしの2008年主題聖句

 = 12 面 教会 =
◎ニュータウンの「憩いのみぎわ」に——東京若枝教会若葉台いずみ教会

◎新共同訳の訳語「重い皮膚病」を堅持−−日本聖書協会が翻訳訂正要望に結論=0712270201

 『聖書 新共同訳』の読者から、「重い皮膚病」と訳出した旧約聖書の原語「ツァラアト」(ヘブライ語)及び新約聖書中の「レプラ」(ギリシャ語)を、すべて「ツァラアト」に翻訳訂正してほしいという要望を受けていた財団法人日本聖書協会(JBS)は、同聖書の巻末に「用語解説」を付記する前提で、引き続き訳語として「重い皮膚病」を採用することを決めた。
 同聖書訳文を管理する共同訳聖書委員会(木田献一委員長)は、この問題について2年間にわたり協議を続けてきた。今回、最終の委員会決定として訳語「重い皮膚病」の採用を決定した理由として、旧約の「ツァラアト」は祭儀的な汚れの観点から書かれているため、病理学的には正確にいかなる病気か明瞭でなく、ただそれが人体について言われる場合には、「一般的に皮膚の疾患であることに異論を唱える学者はない」こと、また「ツァラアト」ということばは、人名や地名などの固有名詞とは違ってそのままカタカナ表記しても一般名詞として説明がつかず、日本人には全く理解不可能な単語であることなどを挙げている。
 これに対し異論を唱えてきた大嶋得雄氏(単立・長島曙教会牧師)は「現代、『ツァラアト』は現実にないので、『ツァラアト』のまま用いる方が誤解、差別、偏見を生まない。また、1つの『ツァラアト』ということばを『重い皮膚病』と『かび』という2つのことばにするのは問題であるし、重い皮膚病患者を苦しめることになる。また、将来どんな重い皮膚病が流行するかもしれないから『ツァラアト』のままが最善」とコメントした。
 JBS総主事の渡部信氏は、今回の公告による発表が対個人のものではなく、「すべての読者の方々に対してJBSの立場を明らかにするためのもの」とした上で「反対意見の主張点は、『重い皮膚病』という表現が、かつて訳語として用いていた『らい』、またはハンセン病を『連想させる』という点であり、以前の訳語に触れたことのない新しい世代の読者にとっては『重い皮膚病』が必ずしも『らい』を連想するとは限らないこと、また、そうでない多くの読者の方々に対しても、その配慮として『用語解説』を付加することによって、『重い皮膚病』が、『らい』またはハンセン病ではないことを説明し、誤解が生じないよう努力することで意見が一致した」と説明した。
※新共同訳では従来の訳語「らい病」がハンセン病との誤認を招く可能性があることから97年版から暫定的に「重い皮膚病」と置き換えていた。

◎備えられた神さまの「時」−−デザイナーから牧師への転身を自伝漫画で出版=0712271101

 キリスト伝道隊・篭原キリスト教会牧師の丸山豊さんの半生を漫画で描いた『主の山に備えあり』(いのちのことば社発売)が昨年10月に出版された。オールカラーで見やすいレイアウトは、キリスト教に触れたことのない人も気軽に読める。

 「自分の半生を振り返る最初のきっかけは、1998年のバックストン聖会でのメッセージでした」。豊さんは聖会の中で父の今朝次さんや母の信仰のこと、また自分の歩みを語った。「予想以上に反響があり、何かに残そうということから、漫画にして『祷告』で連載を始めました」。「祷告」とは、月刊の機関誌で、祷告名簿のメンバーや近隣に配布している。今朝次さんが始めたもので、現在は豊さんが引き継いでいる。
 漫画にも詳しいが、牧師家庭に育った豊さんが献身へと導かれたのは40歳の時だった。「20年以上デザイナーとして働いていました。結婚して子どもが生まれて10年くらいが一番忙しい時期でした」。折しも日本経済はバブル真っただ中 。土日も関係なく仕事に追われる毎日。「個人事務所だったので、夫婦で朝から晩まで仕事をすることもありました」。徐々に教会からも足が遠のき、礼拝を休む日が数年続いた。
 教会に再び通いだしたのは豊さんの母の死がきっかけだった。千穂子さんは、「生前、事あるごとに義母から『主に仕える生涯は最高よ』と言われていました。主人を教会から離したのは自分なのでは…と、良心の呵責を覚えていて私から教会に行きたいと言いました」。87年、千穂子さんは娘2人と今朝次さんから洗礼を受けた。以来、毎日聖書を読み、わからないところは何度となく豊さんに質問した。千穂子さんの変わりように驚きつつも、豊さんは「仕事中心で、熱心に教会へ通っているわけではなかった」。
 そんな豊さんに転機が訪れたのは90年、千穂子さんの運転する車が居酒屋に突っ込む大事故を起こしたことだった。「相手はやくざの家で、改修後も何度となくお金を請求され、示談にも応じてくれませんでした」。偶然にも同じ場所で同じような事故があり、その保険請求のために示談が成立し、千穂子さんの事故処理は解決した。「部屋で祈り、悔い改めました。イエス様はすべての人の負債を背負われたお方だと、心からわかったのです」
 91年、献身のために仕事を辞めて活水聖書学院に入学。娘たちに「お父さんだけが神様の前でいい子になっていればいい」と言われ、「さすがにショックでした。独断だったのではないか、と」。葛藤がありつつも神学校を卒業。その年、今朝次氏が食道がんで他界した。「神様の時を体験しました。父の後を継いで、今の教会の牧師になりました」。精力的に仕事をこなし順調に思えていたが、鬱病にかかり入院する試練にも遭った。過重な仕事によってかかった病だが、癒しもまた牧師の仕事をとおして体験した。 
 連載が始まったのも同じ頃だった。5年続いた連載は、「驚くほどスムーズに作業が進んだ」と千穂子さん。「小さい頃のことや両親の信仰についてよく聞かされていたので、思いをはせると涙が出てしまうこともありましたが」。豊さんも、「こんなに続くと思わなかったし、まるで小さい頃の私の姿を見ていたかのように描いていてびっくり」と語る。
 当初は出版予定のなかった同書。ところが、合唱など趣味を通して出会った知人らに渡すと「一気に読んだ。今家族が読んでいる」、「クリスチャンや牧師の生活を初めて知った」などクリスチャン以外の人からの反応が多くあった。
 最後に「この本を名刺やトラクトの代わりにプレゼントすることで福音そのものが伝わっていくことを感じています。何一つ画策していないけれど、神様が伝道の方法もすべて備えてくださっていると確信しました」と、新たな伝道ツールに生かしたいと語った。

◎ニュータウンの「憩いのみぎわ」に−−東京若枝教会若葉台いずみ教会=0712271201

 東京都稲城市にある日本イエス・キリスト教団東京若枝教会(飯塚俊雄主管牧師、飯塚弘道副牧師)の稲城伝道所は、07年に新会堂が完成し、同年11月3日に献堂式を行った。これを機に、名称を若葉台いずみ教会と変更し、再スタートを切った。多摩ニュータウン内の公園緑地に隣接する白い小さな教会は、献堂式の出席者が「まるで北欧に建つ教会みたい」と口にするような佇まいだ。     (レポート=長谷川義朗)

 ニュータウンは時代の必要に応えて意図的に造られた都市。幸福なイメージが先行し、働き盛りや共稼ぎ世代が多く移り住む。だからこそ夫婦、子育て、心の教育、核家族や高齢化など現代家庭の諸問題がそこにある。その人々にいのちの水なるキリストを伝え、真の憩いのみぎわとなること、それが同教会の開拓当初からの願いだ。そのため、伝道所時代は名称に「オアシス」と名づけ、今は「いずみ」を掲げた。
 同教会は00年5月、当時東京若枝教会の伝道師だった私たち夫妻が開拓伝道に遣わされ、稲城市に移り住んだのが始まり。きっかけは、開拓伝道に対する教職間のビジョンの一致と、ミレニアムに新しい挑戦をしたいという東京若枝教会の宣教への情熱だった。

マンションの一室
から始まり
 計画当初、教会の多い都下ではなく近県へと漠然と考えていたが、『キリスト教年鑑』(キリスト新聞社)や『クリスチャン情報ブック』(クリスチャン新聞)を通して稲城市に教会が少ないことを知った。調べてみると人口6万7千人(当時)に対して実質2教会。しかも、多摩ニュータウンの最後の開発区域として人口増加が著しいことが分かり、狙いは定まった。
 だがニュータウン内やその周辺に活動の場を求めても借家一つ見つからない。結局、賃貸マンションの2階の1室を借りて、住居と集会場所を兼ねた。マンションという場所に心配する声もあったが、迷いはなかった。子どもの頃、両親が団地の自宅を解放して教会学校や家庭集会を開くのを見ていたからだ。そこから伝道所が生み出され、今は一つの教会となっている。むしろ神の深いご計画と備えを覚えて励ましに感じた。
 最初は地域の住居を一軒ずつ訪ねて回った。そこから平日集会の出席者が起こされ、その中の1人がクリスマスに受洗。01年1月から聖日礼拝を開始。母教会も開拓のために祈り、経済的な支援は今に至るまで続いている。04年までは毎年、市のホールでコンサートを開き、そこからも礼拝出席者が与えられ、人数が少しずつ増えていった。

祈り求めた地に
一画の希望
 人数が増え始めると、礼拝・教会学校・交わり・奉仕といった活動をマンションですることに限界が出てきた。外来者の駐車スペースはなく、自然に「新しい場所を」というのが群れの祈りとなった。十字架や看板を掲げたいと、以前から物件探しはしていたが、適当な物件がなかなか見つからなかった。調べるうちに、ニュータウン地区には行政の規制が設けられていて、教会を開く場所そのものが限られていることが分かった。
 05年にはその限られた場所内に建売住宅が出たが、数日の差で購入できなかった。群れにとっての大きな挫折。しかし、自分たちのような小さな群れでも購入できる算段がついたことは大きな励ましとなった。親身に世話してくれた不動産屋に対して「神様はもっとすばらしい計画を用意してくださっている。その時にはもう一度お手伝いをお願いします」と話した。
 そのことばは翌年、現実のものとなった。開拓当初、「教会を建てるならここが最良」と幻を描き、祈り求めた場所があった。「そこは生産緑地」と聞き、諦めていたが地主さんと出会い、生産緑地となっていない一画があると分かった。
 その一画を譲っていただけることになり、教会建築がスタート。母教会の信徒に設計士がいたことも大きな助けとなった。納得のいくまで検討を重ね、何度も図面を引いてもらった。施工には、教会建築は初めてだが自然素材にこだわった業者を採用。社長はクリスチャンではないが「奉仕するつもりで」と、協力してくれた。ほかにも、教会外から会堂献金や教会債に協力してくださる方々が起こされた。中には直接面識のない人もいた。飯塚牧師が同教会の献堂のしおりに記す通り、まさに「神の時、地の利、人の和」によってなった会堂だ。
 若葉台いずみ教会(長谷川義朗牧師)=〒206-0822東京都稲城市坂浜2612ノ3。Tel&Fax042・331・4430。