[CSD]2012年6月10日号《ヘッドライン》

[CSD]2012年6月10日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎本多庸一召天100周年 明治期国家主義の攻撃に論陣——草創期キリスト教主義学校の危機を回避
★HUG Hawaii ワークショップin軽井沢——死別の悲しみ癒す集い

 = 2 面 ニュース=
★世界祈りの大会——1984年から始まった動き インドネシアで 記・福田 崇
★軍事政権下6回投獄 路上礼拝6年——朴炯圭牧師回顧録『路上の信仰』邦訳出版
★英国:国教会で女性主教実現へ
★<落ち穂>上海の三自愛国教会と日本との関わり

 = 3 面 =
★<いのちへのまなざし>[13]神からの慰め 記・柏木哲夫
◎映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」 フィリップ・ファラルドー監督に聞く——「学校は一つのミクロコスモス」
★<オピニオン>包括的な宣教と祈りの流れ 記・福田 崇
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4・5 面 キリスト教主義学校特集=
テーマ:東日本大震災——その時、若者たちは
★終わりを見据えた善き生を——明治学院
★手仕事、節約で全生徒が社交貢献——自由学園
★土に触れ命と自然を尊び——恵泉女学園
★東北は遠くても隣人だから——九州学院

 = 6 面 仕事と信仰 =
★井畑秀明さん(みずほ銀行支店長)[上]——「神様、私でいいんですか?」
★<もしドラ 教会編>[19]——「信仰を守る者」から「圧倒的勝利者」に変わる 記・千葉雄志

 = 7 面 伝道・牧会を考える =
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>[13]JECA・帯広栄光キリスト教会?——「神の家族」となっていく教会
★ケープタウン決意表明(30)パート?解説——私たちが仕える世のために(13)

 = 8 面 インサイド・ニュース =
◎東日本大震災:内陸各地で会堂取り壊し——資金不足など長期化する新会堂建て直し


◎本多庸一召天100周年 明治期国家主義の攻撃に論陣−−草創期キリスト教主義学校の危機を回避=120

 明治期キリスト教界指導者の1人で、自由民権運動や教育の分野にも力ある足跡を遺した牧師・本多庸一(184801912)が世を去って100年。その業績を振り返る「召天100周年記念式典」が、本多が日本人初の院長(第2代)を務め基礎を築いた東京・渋谷の青山学院で開催された。新築校舎内の本多記念国際会議場を会場に開かれた記念シンポジウムでは、日本における草創期のキリスト教教育が国家主義の圧力に押しつぶされようとした際に、敢然と論陣を張って擁護した史実などが浮き彫りにされた。

 記念礼拝の説教で青山学院の深町正信名誉院長は、若くして預言者の召命を受けた旧約のエレミヤを本多に重ね、「主なる神は多くの若者の中からエレミヤを神の恵みの代弁者として選び立てた。日本において選ばれた器本多庸一先生を用いて、様々な良いわざをなさしめた。本多は日本の伝道は日本人の手でと、キリスト教によって日本を救い、新しい日本を開拓する使命に身を酷使した」。
これを「今も私たちに訴えかけられる重要課題」と受け止め、「先生は『この学校から本当のMan(人物)を出したい』と言葉を遺されているが、今こそ、この言葉の意味を深く受け止めて歩むことが求められている」と、使命継承の決意を表した。
 記念シンポジウムの基調講演で同大学の氣賀健生名誉教授は、「本多庸一の信仰と生涯」を概説。「一言でいうと、キリスト教を日本に定着させることに生涯をかけた人」と評した。パネリストは深町、氣賀両氏に加え、同大の酒井豊教育人間科学部長、日基教団・本多記念教会の梅津裕美牧師。
 本多庸一は津軽藩の重臣の家に生まれ、エリート教育を受け、弱冠20歳で藩の命運を担い明治維新の渦中に奔走した。英学修行のため国内留学した横浜で宣教師J・H・バラ、S・R・ブラウンから人格的感化を受けて受洗。故郷弘前で東奥義塾を再興、また弘前公会(後の弘前メソジスト教会)を創立して宣教師J・イングと共にキリスト教伝道に挺身。一方、青森県議会議員・議長として地方政治にも活躍し自由民権運動を指導した。
 1887年(明治20)青山学院の前身・東京英和学校校主に着任。新時代の思想・制度を研修するため渡米中、危機一髪で列車事故禍を逃れた体験を機に劇的に回心し、政界を離れて教育とキリスト教に生涯をささげることを決意、ドゥルー神学校に学んだ。
 1890年に帰国後、東京英和学校校長(後の青山学院院長)に就任。折しも帝国憲法、教育勅語発布、天皇制絶対主義国家の基礎確立の時代の中で、キリスト教が国家主義陣営から攻撃の矢面に立たされると、本多はキリスト教界の先頭に立ち護教の論陣を張った。特に1899年、キリスト教主義学校の存亡を危うくする規制をかけようとした「文部省訓令第12号」が発せられた際には、キリスト教主義学校の代表者の中心として政府と折衝し、実質的権利回復を勝ち取った。
 1907年には念願のメソジスト三派の合同を達成し、日本メソジスト教会設立と共に初代監督に就任。1910年英国エジンバラでの世界宣教会議では日本代表としてスピーチをしている。

◎映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」 フィリップ・ファラルドー監督に聞く−−「学校は一つのミクロコ

 生徒たちが直面する生きるとは

 7月中旬以降に公開予定のカナダ映画「ぼくたちのムッシュ・ラザール」。朝、小学校の教室で担任の若い女性教師が首をつって自死していた。動揺する子どもたちと教師たち。そこにアルジェリアからの移民バシール・ラザールが代用教師を申し出てきた。自死した理由は不明、代わった壮年教師の古めかしい教え方に戸惑いながらも、生きることと向き合う教科書にはない授業が静かに始まる…。フィリップ・ファラルドー監督に聞いた。 
  ◇   ◇ 
 映画の冒頭シーンで、授業前に牛乳当番のシモンが教室で担任教師の自死を発見する。エヴリン・ド・ラ・シュヌリエールが書いた一人芝居を原作に、ファラルドー監督は脚本も書き上げた。
 「原作ではストーリーの半ばに担任教師の自死が分かる展開です。そのシーンを冒頭に置くことで、ドラマとして嘘っぽくならないかという懸念はあった。いろいろ調べた結果、現代の教師たちはとてもストレスが大きく、精神的に悩んでいる人が多くいる現状を知りました。教師の自死は嘘ごとではなく現実に近いことなのです」。
 主人公のラザール先生は、母国アルジェリアで教師の妻と子どもたちが保守的な過激派に惨殺され、カトリック的な文化圏でフランス語を公用語としているカナダのケベック州に逃れてきた。そうした政治難民の問題とともに教師が死を選ぶという厳しい状況と、死への哀悼をどう受け止めるかということを描きたかったのだろうか。
 「いいえ。この作品で描いているのは、学校についてです。学校は、一つのミクロコスモスのようなもので、人間をかたちづくり生み出していく研究所的なもの、実際の人生で起こりうる試験管版として私は考えています。ですから、必然的に不公平な出来事の苦悩や死についての癒しのプロセスが描かれています」。
 作品で扱っているテーマは重いが、ラザール先生の古めかしい授業や朴訥な雰囲気と子どもたちの快活さとのギャップなど、作品全篇にはユーモアが流れていてくすぐられる。ほぼ全力で自己の存在をアピールするエメラルド色のさなぎたちを大人として守ろうとするラザール先生が、教科書にない生きることを授業で教える。その詩的で真摯な言葉が、子どもたちと同じように傷ついている大人たちの心にも響いてくる。

◎東日本大震災:内陸各地で会堂取り壊し−−資金不足など長期化する新会堂建て直し=1206100801

 東北地方内陸の教会堂被災について東北ヘルプ(仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク)の情報を元に本紙で調査した。再建は信徒の被害を抱えながらだが、費用が100万、千万円単位で必要だ。人手不足や資財価格高騰による着工の遅れもある。ある牧師は「『もっと大変なところがある』と遠慮してしまう。大声で言えないが、不安は皆持っています」と実情を述べる。

被害が伝わらない
 震災後、大規模半壊の判定を受けた保守バプ・泉聖書バプテスト教会(中野正義牧師)の会堂は仙台市泉区の住宅街にあった。盛り土の造成地だったため、壊れやすかった。土台が崩れ、礼拝堂の講壇側が段々と沈下していった。「静かにすると、ビシ、バキという音が聞こえた」と中野牧師は振り返る。
 中野牧師は学生時代に救われ、研究職、会社員を経験した後、献身。神学生時代から同教会開拓に関わり、1986年、会堂完成とともに、先代から引き継ぎ、伝道所担当副牧師となった。2年後自立したが、会員が減少する困難な時代も経験してきた。
 大規模半壊でも人が住まない所は市から援助はなかった。「資金がない中で下を向いてしまった時期もあったが、多くの人々に祈られていることを体験し、励まされ前進してきた」と語る。
 昨年12月に市議会で人が住まない建物でも解体が決まり、5月から会堂の解体が始まった。だが新会堂建設資金は十分でないままだ。
 4月から同区にある幼稚園ホールを借りて礼拝する。「ゼロからの開拓はこんな感じかと学んでいる。必要な物品一式を持参しなくてはならない。幼稚園の行事で使えない日はほかの場所を探す。クリスマスは幼稚園の行事で使えません」
 津波そのものや関連死で家族を亡くした教会員がいる。家族は今も悲しみを抱える。
 東北に拠点を置く保守バプテスト同盟は多くの教会で被害があった。中野牧師は震災後しばらく連絡係を担った。「うちも大変だが各教会の事情も分かる。津波や原発の問題は大きいが、同時に内陸でも地震の被害を受けている教会が少なくない。これが、なかなか伝わっていかないことが残念。教派を超え多くの支援を受け感謝している。だが支援する側、される側に上下関係ができてしまうことを経験したこともある」と気持ちを話す。
 新会堂の模型はできた。「若者の伝道に重荷がある。若者のたまり場として用いられればと願います」

会堂は信仰の表れ
 同市青葉区の高台にあったバプ同盟・日本バプテスト尚絅教会(田所義郎牧師)会堂は昨年12月に解体して更地。まだ10?の瓦礫が埋まり、撤去に多大の費用がかかる。
 会堂設立は1972年。地域から要請されて幼稚園も併設した。3年前に大規模修復をしたが老朽化で震災の被害を受けた。教会員自身も自宅の修繕や援助で出費がかさむ。会員の高齢化で銀行の借り入れができなかった。「予算を業者に伝えられず、計画が立てられない、計画ができないので支援を頼めないという悪循環があった」と田所牧師は振り返る。
 加盟する日本バプテスト同盟の総会でアピールし、海外からの援助もあった。教派を超えた支援にも感謝するが、「ときに支援する側から建設のやり方などについて意見があり、検討に時間がかかった。会堂は信仰が表れるもの。最大限主体的に建てられれば」という意識の違いがあった。
 近くの空テナントを借りて礼拝をする。騒音を避けて地下にしたが、階段しかなく、高齢者が歩けないなど不便がある。一部屋なので同時に集会・会議ができない。会堂建設には1年以上かかり、賃貸の費用がかさむ。
 「新会堂は地域からも復興の象徴として求められている。与えられた良い物を積極的に生かせるよう願います」

東北3県・茨城で
 宮城県ではインマヌエル・仙台教会の副牧師館に被害。すでに解体し駐車場になった。副牧師は借家に住み、建設も計画。沿岸の塩釜伝道所も浸水被害により解体し、借家で集会する。 
 福島県は放射能の不安を抱えながらの再建となる。いわき市の日基教団・常磐教会は全壊判定で会堂を解体済み。地盤改良も必要で再建には資金が不足。礼拝は保育園を使うが交通の不便や避難で出席者が半減した。信徒やその家族に関連死があった。同盟基督・内郷キリスト福音教会が地盤沈下のため損傷。大規模半壊の判定を受ける。解体は8月の予定だが新会堂建設の資金は不足。牧師は市内、県内の教会の支援を担い忙しい。相馬市の日基教団・中村教会は会堂と一体の牧師館に雨漏りや柱のゆがみ。改築を計画するが資金不足。南相馬市の日基教団・鹿島栄光教会は天井が崩落。屋根も損傷しシートをかぶせている。
 郡山市の保守バプ・郡山聖書バプテスト教会は駐車場が損傷。除染しながらアスファルトを敷き直す。避難で信徒が減少した。崖部分の擁壁工事のため多大な費用がかかる。ヴォーリズ設計の歴史建築である福島市の日基教団・福島教会は解体し、伝道館で礼拝。新会堂建設へ向け準備。同じくヴォーリズ設計の福島新町教会は天井の漆喰崩落などがあり、修復を決定。棚倉町のイエス・キリスト・棚倉教会は礼拝堂の内部にヒビ、くずれ。柱が天井で合わさる構造だが、合わせ目に隙間が空き、改修方法を計画中。
 岩手県の日基教団・千厩教会は老朽化で損傷。崖の上の立地で危険地域に指定された。移転地は確保し設計図を作成したが、7、8人の教会のため、資金が必要。
 茨城県の大韓イエス・水戸愛の教会は地盤、屋根、内部に被害があり使用不可で敷地駐車場に新会堂を建設中。韓国からの支援もあるが、資金が足りない。