[CSD]2013年4月14日号《ヘッドライン》

[CSD]2013年4月14日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎フラー神学大学院マウ学長が来日講演——東日本大震災国際神学シンポ第2回
★「他の信仰を持つ人々の中でキリストの愛を生きる」には——東日本大震災からの宣教課題でシンポ

 = 2 面 ニュース=
★原発問題など祈る——第13回 国家晩餐祈祷会
◎モンゴル民主化直後から21年——北村彰秀、萬里子宣教師帰国
★<落ち穂>「平和の祈り」が現代に問うこと
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 3 面 教界ニュース=
★<逝去>染本伸行氏――ワーシップソング紹介の草分け
★<逝去>池田勇人氏(クリスチャンペンクラブ理事長)
★<逝去>有賀貞氏(アメリカ研究の国際政治学者)
★<オピニオン>数世紀来の罪をアフリカに謝罪したブラジル 記・中台 孝雄

 = 4・5 面 シリーズ・アニバーサリー=
★レオナード・W・クート宣教師来日100周年——キリストと共に生きた聖霊の器島

 = 6 面 仕事と信仰 =
★山口 実さん(日本フォーム印刷工業連合会専務理事)[上]——「生きるための指針は聖書だと…」
★『もしドラ』教会編[28] 教会のリーダーシップ(1)

 = 7 面 伝道・牧会を考える =
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>?[44]聖契・インターナショナル・バイブル・フェローシップ?——担当替えてスピリットをシェア
★<新連載>憲法が変わるってホント? どうなる、私たちの生活・信仰[1] 記・朝岡 勝

 = 8 面 インサイドニュース =
◎台湾でホームレス伝道——OMF30年の働きに区切りをつけた木下理恵子氏



◎フラー神学大学院マウ学長が来日講演−−東日本大震災国際神学シンポ第2回=1304140101

 米国フラー神学大学院の協力で、聖学院大学総合研究所、東京基督教大学、東日本大震災救援キリスト者連絡会(DRCnet)が共同主催する「東日本大震災国際神学シンポジウム」が、震災から1年目の昨年3月に続き、2年目の今年は3月27日に東京・千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで開かれた。このシンポジウムは「いかにしてもう一度立ち上がるか|これからの100年を見据えて」をテーマに3年計画で開催されている。2回目の今回のテーマは「苦難に寄り添い前に向かう教会」。フラー神学大学院のリチャード・J・マウ学長が「『神の忍耐の時』の中で、苦難の救い主に仕える」と題して主題講演し、「憐れみのキリスト論」を提示。震災ボランティアに関わった大学関係者らをパネリストにしたパネルディスカッションや分科会が展開された。

 マウ氏は、人間の苦難の現実、悪の問題に関し、ヘブル語詩篇が悲しみの表現を含んでいるばかりか時折、神に対してあからさまに敵意を表現し、時に嘲りさえ用いていると指摘する。例えば詩篇44篇の作者は、「主よ、奮い立ってください。なぜ、眠っておられるのですか。/永久に我らを突き放しておくことなく/目覚めてください。なぜ、御顔を隠しておられるのですか。/我らが貧しく、虐げられていることを/忘れてしまわれたのですか」(新共同訳)と神に叫ぶ。
 この詩篇は、私たちには神に不満を述べることが許されていることを教えてくれる。そして「私たちがたびたび経験する苦闘に対して主は無関心だ、と主に訴えることさえも許されている。聖書自体が記しているにもかかわらず、キリスト教共同体は、その御言葉に対してどのように応答するかを示していないことがよくあるのは残念なことだ」と問題提起した。
 結果として、私たちは正しく敬虔な心と思いにある時にのみ神に語りかけることができる、という誤った印象を持つことになるとし、「それでは、真の祈りには不平や絶望さえも含まれているという、より健全な詩篇の霊性を用いる機会が奪われてしまう」と懸念する。
 さらにユダヤ教共同体から多くを学ぶことができるとして、ラビの伝統の中に嘆きの遺産が今なお息づいていることを指摘。ラビの伝統は、神の主権に関して遠慮なく神に対して不満を訴えるユダヤ教のあり方を示している、とする現代ラビの著作を紹介した。「自分たちが見捨てられた、あるいは自分の身に起こることを神が許されたということに非常な困難を感じている、と神に訴えることは、実は神と人間との間の深い親密性をあらわす表現だ、というのです」
 一方、キリスト教の伝統がある西欧思想は「バランスを欠いている」ことに、他の文化文脈と接する中で気づいた。「強いキリストであるべきだ」と主張するキリスト教的勝利主義を好む西欧の文脈化に迫る小山晃佑や、「イエス様の人生も不幸だったのだから、惨めな死に方をした人の苦しみも知っておられる」という遠藤周作ら、日本のキリスト教思想との出合いによって、「この破れた世界の苦悩を分かち合う必要性の理解を大いに育まれました」。
 結論的に、「重要なのは、試練や苦難の中にある彼らの傍らに立ち、彼らの幸福、つまりシャロームを求め、神の栄光をあらわす誉れある行いで彼らを包み込むことによって、苦しみ、問いを抱え、そして悲しんでいる人々と一体となるという私たちの共感です。それは、憐れみである場合もあります」と述べた。

◎モンゴル民主化直後から21年−−北村彰秀、萬里子宣教師帰国=1304140202


 モンゴル聖書宣教会の北村彰秀、萬里子宣教師夫妻は21年間のモンゴルでの奉仕を終えて、3月8日に帰国した。
 北村夫妻は日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団海外伝道部から1991年10月にモンゴルに遣わされ、教会開拓、聖書翻訳等の働きにあたった。当時は民主化直後の物資不足の時代で、「道に落ちていた針金まで利用したことが記憶に残っている」という。
 ウランバートル栄光キリスト教会(現在名は「新しい歌教会」)を開拓設立、またモンゴル語新約聖書を翻訳、出版にこぎつけた。その後、聖書翻訳の働きを継続し、また、特にこの働きに集中したいとの願いから、モンゴル聖書宣教会を設立(事務所は日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団溝の口キリスト教会内)し、新約の改訂版を出版、また旧約の翻訳を継続し、現在に至っている。
 すでに旧約の翻訳もかなり進み、あと6つの書(レビ、歴代誌?、?、エステル、エゼキエル、ダニエル)を残すのみとなった。これらの訳を完成させ、新約聖書も改訂を加え、あと2年後ぐらいをめどに出版したいと、北村氏は願っている。
 今回引き揚げに至った理由は、モンゴル国内での働きの継続が難しくなってきたためという。現在モンゴルはかなり宣教の自由が認められているが、外国人の働きはいろいろな制限がある。どの団体でビザを取得したとしても、その団体の仕事をし、その団体の方針に従わなければならず、また、ビザの延長が無制限に認められるわけでもない。また、日本でモンゴルとメールや郵便、電話で連絡を取れるようになり、日本にいるモンゴル人の協力を得ることも可能な状況になってきた。そのため、働きの拠点を日本に移し、日本在住の利点を生かして、日本で働きを継続することを決意した。
 北村氏は、「民主化以後21年間のモンゴルの歩み、大変化を見てきたが、はっきりした方針のない教育、各人の私利、私欲と無関係ではありえない政治、はっきりしたビジョンのない国造りを見るにつけ、聖書、神のことばの重要性を改めて思い起こさせられている」という。「信仰の自由も重要だし、教育や政治は宗教とは独立したものであるという考え方もわからないわけではない。しかし、神の言葉、聖書は教育のありかた、政治のありかた、国のありかたさえも指し示すものではないだろうかと、今改めて思わせられている」
 モンゴルのクリスチャン、教会の数も非常に増えてきた。しかし、「聖書を義務的にしか読まないクリスチャン、聖書をあまり、あるいはほとんど読まないクリスチャンがかなり多いのではないか」と北村氏は危惧する。
「モンゴルのキリスト教界では、聖書以上に音楽が重視されているのではないだろうか。わたし自身もある意味で義務として聖書を読んでいるのではあるが、聖書はもっと面白い書物ではないだろうか。ユーモアあふれる創世記、平家物語のように語調のよい士師記、神の働き人の心の葛藤を包み隠さず描いた現代小説のようなエレミヤ書等々。また、言葉遣いに目を向けるならば、聖書のあちこちに、興味深く読ませる工夫がちりばめられている」
 北村氏は次のように抱負を述べている。「誤解を生じさせず、読者にわかるように訳し、興味を持って読めるものを作り出し、また、原文の文学性をも伝えていくということを考えたときに、翻訳者の使命はあまりに大きい。そのためには、翻訳理論、翻訳のテクニックといったことにも目を向けていくべきであろう。どれだけ腕を磨けるかはわからない。どれだけ理想に近づけるかはわからない。しかし、最高の質をもって奉仕するというモットーはかかげ続けて行きたい。働きの大詰めはむしろこれから。さらに継続的なお祈り、ご支援をお願いしたいと思っています」
 【郵便振替】00200・6・112773、モンゴル聖書宣教会 

◎台湾でホームレス伝道−−OMF30年の働きに区切りをつけた木下理恵子氏=1304140801


 OMF(国際福音宣教会)宣教師として台湾宣教を22年(1984~2006)続け、帰国後も在日中国人の宣教を続ける木下理恵子氏は、3月でOMFを退職した(4月より日本ホーリネス教団で教団協力牧師を務める)。台湾では特にホームレスや依存症の人々を対象にしたOMF教会開拓プロジェクト「活水泉」の働きに従事した。2月16日に千葉県市川市のOMFインターナショナル日本本部で開かれた「のぞいてミッション」で働きを振り返った。

台湾の事情
 宣教地に赴任した80年代は、台湾の産業の中心が農業から工業へ変わろうとする時代。工場で働く若者が増えていた。
 台湾は人口の70パーセントが、中華民国成立前に大陸から来た移民。20パーセントが蒋介石ら中華民国統治時の移民、2パーセントが原住民だ。
 当時台湾のクリスチャンの人口比率は約3パーセントだった。「台湾には素晴らしい教会、クリスチャンがいる。クリスチャンが1パーセントに満たない日本からどうなのか」と考えたが、外国人だからこそ偏見なく、伝道のビジョンを考えられる側面もあった。
 学生伝道が盛んで、上流階級にクリスチャンが増えたが、庶民にはなかなか増えない。「宣教師が工場で働く人に伝道しようと言っても、台湾の上流のクリスチャンたちはなかなかピンとこないことがあります」
 学歴がい人ほど北京語を話すが、家庭では台湾語だ。1期目は北京語を学んだが、工場地帯の開拓伝道に関わり、2期目は台湾語を学んだ。
 だが開拓は打ち切りになり、開拓を主導していた大教会で教会内の学生伝道をした。2期の途中にOMF宣教師らの働きで活水泉の働きが始まり、これに加わる。   活水泉では中流以上の人が来ると、ホームレスなどの人はむしろ来づらい。彼らにとって多くの教会は中流以上がきれいな格好をして入る場所。活水泉のスタッフは正装せず、ジーパン、Tシャツだ。
私を変えるためだった
 台湾で学んだことの1つ目は「神さまは自分を変えるために台湾に遣わした」ということ。宣教師は自国より発展していない国に派遣されることが多い。「来てやっている。来なければ救われないかもという思いは、実は上から目線ではないか。純粋な動機がいつの間にか微妙にプライドになっていなかったか」と思い至った。
 活水泉の働きを続ける中で、「アルコール依存やホームレスではないから、立派なのではない。あの人たちの罪はあからさまだが、私たちはみんなが知らないところで罪を犯している。神がどう見ているかだ。神は私たちを神に似せられて造られ、イエスは私たちを死ぬほどまで愛している」と思わされた。
教派超えて一致
 2つ目は「クリスチャンの一致」だ。「台湾が一致することは、日本人が一致するよりも難しい」と言う。中華民国による統治で虐殺もあり、原住民は見下げられてきたためだ。だが30年前からクリスチャンがリバイバルのために一致して超教派の連合牧師祈祷会を各地で開いてきた。全国断食悔い改め祈祷会には2日間で3万人集まった。民族どうし涙ながら「どれだけ憎んでいたか。ゆるしてください。台湾を憐れんでください」と、必死で祈った。
 活水泉がある地域でも2週間に1度持ち回りで超教派祈祷会が開かれた。クリスマスキャロリング、イースターでの行進も実施された。「一つひとつの教会は小さくても数百人クリスチャンが集まると、町の人も注目する。バラバラだとクリスチャンは見えないが、集まるとクリスチャンは見えます」と言う。「日本でもクリスチャンの一致はできるはずだ。やる気があればできる」と力強く勧めた。
愛で人は救えない 
 3つ目は「愛だけで人は救えない」ということだ。「福音を伝えないと人は救われない。弁当、古着、薬を提供したり、病院に連れて行ったり、家族の世話をすることはウケがいい。罪を悔い改めて救われるなどという話しはみな聞きたくない。聖書の話しをすると、『活水泉はそれがあるからな』と言われてしまう」と難しさを報告する。
 「仏教徒やソーシャルワーカーの支援と活水泉は何が違うか。人はイエスに助けられ、罪ゆるされ、新しい人間になっていかないといけない。嫌がられてもみことばを伝えるしかない」
 薬物やアルコール依存症が多いため、一般の教会より、関わった人で死んでしまう人が多い。一所懸命、祈り、本人も酒をやめようとした人が、やめきれず、ある日路上で死んでいるということもあった。祈りによって癒される奇跡がある一方で、死んでしまう人も多い。「いつ死ぬか分からない。今日会っても、次会えるか分からない。とにかくいつでも福音を伝えなさい。救うのは神さまだ。私たちは、人がはっきり福音を理解し、信じるか信じないか決断できるように伝えないといけない」
 人が救われたことが何よりも喜びだ。「ホームレス、アルコールなどの依存症、知能障がいなどがある人でも、みことばがストンとその人に落ちて、理解される醍醐味があります」
 ホームレス伝道など、社会の底辺の働きは活水泉をきっかけに台湾の教会に広がった。活水泉の後継者にも木下宣教師は期待する。
  ◇   ◇
 木下宣教師は講演中、終始笑顔で語った。この笑顔が困難の中で働きを続けられた秘訣だ。
 ある宣教師の伝記を読んだことがきっかけだった。自分と神様が、本当に腹割った関係で、神様に言わないことはないというのだ。「いかに自分が神様の前に取り繕っているか痛感した。怒り、ねたみなど、赤裸々にイエス様にだけは正直に語ろう」と実践した。
 すると「イエス様は全然動ぜず、変わらず愛してくれている。赤裸々に話すほど、愛を実感できる」ようになった。
 「何か問題があったときにとっさに感謝できない。ふて腐れることでも、感謝するようにした。すぐにみこころ示されることもある。ずっと後に分かることもあるし、分からないままのこともあった。でも『分からないけど、感謝します。実行します』と言う。すべてに感謝してから、自分が違うと感じています」