一人娘の清美を守ろうとするサエコ ©odayaka film partners
一人娘の清美を守ろうとするサエコ ©odayaka film partners

2011年3月11日に起きた東日本大震災。東北太平洋沿岸部を中心に甚大な地震・大津波被害が引き起こされた。さらに福島原発ではメルトダウンの大事故。その放射能汚染の不安は、微妙な距離と位置にある東京でも強く募り広がっていく。だが、マスコミが報道する公的機関の発表からは、その緊迫感は伝わらない。一方では、マスコミ報道とはことなる放射線量の数値や影響とその自己防衛策がブログなどインターネットから発信される。何か大きなことが隠されているような疑念と重苦しい焦慮を、二組の夫婦の家庭をとおしてドキュメンタリータッチな演出で描いている。

東京近郊のマンションに住むユカコ(篠原友希子)は、自室で3・11の激しい揺れを必死に耐えていた。隣室のサエコ(杉野希妃)は、一人娘の清美の安否を気遣い必死に幼稚園へ迎えに走った。
マンションの廊下で出会っても挨拶をかわす程度の都会的な付き合いの二人。だが、この大地震と原発事故の報道と困惑する状況が、二人の家庭にも大きな影響を現していく。フリーライターのユカコは、「すぐには影響しない」という原発事故の報道を鵜呑みにはせず、チェリノブイリ事故の経過や被害状況などを調べていくうちに、報道されていない厳しい状況予測と不安を募らせていく。夫・タツヤ(山本剛史)は、そんなユカコの姿に戸惑いながらも、話しには耳を傾ける。

サエコは、3・11の直後に夫・ノボル(小柳 友)から離婚話を突きつけられ、夫は別の女性の所へ行ってしまう。娘と共に置き去りにされたサエコ。混乱する思考の中で募る放射能への不安。やがて清美にはマスクを外さないように、幼稚園でも園庭で遊んではダメと強く言い聞かせ、幼稚園にも放射能の危険性を説き強く申し入れる。だが、幼稚園で浮いた存在になっていくのは清美だけでなく、サエコも母親たちから疎んじられ険悪な雰囲気になっていく。そして、追いつめられたかのようにサエコは重大な行動を起こしてしまう…。

震災と原発事故をきっかけに心を交わすようになるサエコ(左)とユカコ。 ©odayaka film partners
震災と原発事故をきっかけに心を交わすようになるサエコ(左)とユカコ。 ©odayaka film partners

災害時に必ずと言ってよいほど起こる被災地の「風評被害」。そのことを慮るかのような論法から、現実の状況を知らせない、語らせない、考えさせないような重苦しい空気感と疑念を消し去れない焦慮感。ドラマ的に演じるのではなく、脚本を理解した上でアドリブ的に演出するドキュメンタリーな感性は、二組の夫婦とその家庭に震災と放射能汚染によって現れされた都会に住むもののヒビのような現象をとおしてみごとに描いていく。失いかけた日常を取り戻すためには、不安を語り、語られる不安に耳を傾け、支え守るものがいっしょにいることに気づけるか。

3・11は、被災地での出来事と復旧・復興の問題にとどまらず、遠くに住む私たちにも現在と未来への意識を常に提示し続けている出来事。この作品は、そのことを身近の生活の場で捉え、語り続けている。 【遠山清一】

監督:内田伸輝 2012年/日本=アメリカ/102分/映倫:G 配給:和エンタテインメント 2012年12月22日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー。
公式サイト:http://www.odayakafilm.com

第17回「釜山国際映画祭」ワールドプレミア部門、第13回「東京フィルメックス」コンペッション部門、第42回「ロッテルダム国際映画祭」スペクタラム部門正式招待作品。