本書を手に取って数頁開くや否や故郷の薫りをかぐような懐かしさを覚えた。そこに著者から霊的薫陶を授かったカナダの神学校リージェントカレッジの創立者ジェームズ・フーストン氏の言葉を見つけたからだ。著者が同校で指導を仰いだところ、フーストン氏は「君は霊性についての知識を集めるためにリージェントに来たようだ。しかし霊性についての知識は君を霊的にしない」と告げた(16頁)。この言葉に私は、霊性を探求する著者に対する慈愛を感じた。

 著者が論じる「霊性の神学とは何か」という本著のテーマを四つの視点から私なりにひも解いてみたい。

 ①本著は著者の個人的な問題意識を中核とした霊性の探求を標榜している。

 著者が開示した自らの問題とは。一つ目は、霊的欠乏感の問題。具体的には、聖書が約束していることを信じて受け入れていても、その中身を現実味をもって体験できずにいた。二つ目は、信仰生活における統一感の欠乏。具体的には、教会の自分、職場の自分、家庭の自分がバラバラでつながりを欠いている。三つ目は、みことばに根ざしていても心が踊らない場合がある。具体的には、なぜ、聖書の正しい説き明かしを聞いているのに、私たちの心がキリストに対する愛と喜びに満たされないことが起こるのかという疑問(12〜14頁)だ。

 ②対話(dialogue)を通じ福音主義の霊性の探求を標榜(ひょうぼう)している。

 著者は、対話を通して福音主義の霊性とは何か、霊性の神学とは何かを明らかにしようと試みているが、それは簡潔に言うと、「福音主義の外からの問題提起としての対話」と「福音主義の外への問題提起としての対話を」である(19頁)。

 ③プロテスタント教会に散見する個人主義的な信仰を克服すべく関係性に根ざした霊性の探求を標榜している。

 著者は福音主義教会の個として神の救いを得るという教えの強調がクリスチャンライフを回心主義、活動主義、聖書主義、十字架の中心性に集約し、救いを生きるという福音の本質を見逃す危険性を指摘している。そこで個人主義的クリスチャンライフの克服には、霊性の形成を促す、「友情、霊的同伴、信仰共同体」の必要性を著者は提言している(247頁)

 ④著者がキリストの福音に生き抜くことを志す全ての人々と連帯して霊性を求める旅を続けることを勧めている。

 著者は、あらゆる歴史的、聖書的、神学的立場に耳を傾けて、「霊性とは何か」という命題について定義している。すなわち霊性とは「神学と生活を統合して捉える視点と生き方である」と。しかし著者はその命題の定義から一歩進んで、自らのうちにある癒されえない「魂の飢え渇き」の事実を告白して私たち読者に自らの「渇き」に真正面から向き合ってお互いが神を知る旅路の同伴者になることを勧めている(271〜278頁)。

 私自身、本著を通じて、私の霊的同伴者はどなたか、私はどなたの霊的同伴者かを改めて問い直されたキリスト教の良書だと、感謝に堪えない。(評・重田稔仁=上野の森キリスト教会牧師

『「霊性の神学」とは何か 福音主義の霊性を求める対話 』
篠原 明著 あめんどう  1,944円税込 四六判

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