[レビュー2]赦しの共同体を推奨し、育て、遣わす 『赦された者として赦す』
シリーズ「和解の神学」の翻訳の第三弾。著者のセレスティン・ムセクラ氏は牧会者で、アフリカのリーダーシップと和解のミニストリー(ALARM)創設者。グレゴリー・ジョーンズ氏はデューク大学で神学部長を務める。ルワンダ人フツ族であるムセクラ氏は、自らの父と家族が虐殺の余波で殺されるという大きな苦しみを機に、和解の研究とミニストリーの創設へと導かれる。神学者ジョーンズ氏の著書『赦しの体現』を通じて同氏と出会い、二人による和解の学びと実践の旅が始まる。
ジョーンズ氏は、赦しを六つのステップからなる「ダンス」であると表現する。それらには誠実さ、忍耐深さ、悔い改め、和解の可能性を切望してイエス様を見続けること、などが含まれる。内戦により父が殺された恨みで27年間苦しんだ牧師が、悔い改め、赦され、癒しへと導かれ、赦す者へと変えられていったストーリーなど、多くの赦しの証しが紹介される。神によって赦されることを学ぶことで記憶の傷の癒しを経験できること、また癒しにはキリストの体の交わりが大きな役割を果たすことも語られる。最後には、この赦しの実践を通じて共同体が形成されていく姿が描かれる。
紹介されるストーリーには、今の日本に生きる者としては想像しきれないすごみを覚える。しかしよく思いめぐらすならば、神との関係、また家族、教会での関係で傷つき、赦せない苦しみを抱き、どう向き合ったらいいか分からず途方にくれてしまうことは少なくない。この書は、そのような現実に向き合う大きな励ましと勇気を与えてくれる。
「赦しの共同体が推奨され、育てられ、世界に遣わされていかない限り、教会は平和と和解の使者となる任務を果たすことができないのだと世界中のクリスチャンの共同体は気づく必要があります。」(147頁)という言葉が重く響きつつ、深いうなずきを覚える。個人にとっても、教会や共同体にとってもチャレンジと希望に満ちた書である。
(評・矢島志朗=キリスト者学生会副総主事)
『赦された者として赦す』
グレゴリー・ジョーンズ、セレスティン・ムセクラ著
岡谷和作、藤原淳賀訳、日本キリスト教団出版局、1,944円税込、四六判
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