大嘗祭、「天皇代替わり」儀式公金利用抗議に6千200筆 戦前以来の“象徴権威”が可視化された

写真=左から小岩井、金、太田、星出の各氏
11月14、15日に実施された大嘗祭を前に、12日、日本キリスト教協議会(NCC)靖国神社問題委員会(星出卓也委員長)は、諸教派による抗議の署名6千200筆を内閣府に提出した。宗教的な性格のある大嘗祭や天皇即位諸儀式を国事行為または公的行為として実施すること、多額の税金が使われることを問題視した。星出氏は、「30年前の代替わり時に比べると、署名の数は10分の1。天皇代替わりがメディアで好感をもって宣伝される中で、これほどの人々が参加したことは重要」と意義を強調した。【高橋良知

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 記者会見には太田勝(日本カトリック正義と平和協議会、小さき兄弟会神父)、金性済(キム・ソンジェ、日本キリスト教協議会[NCC]総幹事)、小岩井信(日本福音同盟[JEA]社会委員会委員、子母口キリスト教会牧師)の各氏が立った。

 太田氏は、「大嘗祭は折口信夫の天皇霊の説、また祭司として諸国の産物を神にささげる式などの理解に見られる通り、色濃く宗教的な儀式であり、現人神とされた明治憲法の天皇像を想起させるものであり、人間宣言をし憲法に従う今の天皇像にそぐわない。膨大な国費をこれに使うことに反対」と述べた。「国費を使うことは天皇が国民の象徴として国民主権に従い存在していることを越えて『天的な権力根拠を持つ』ことを認めることになる。このような天皇像がどれほど第二次世界大戦当時、宗教界を苦しめたかを宗教者として私たちは忘れることができません」

 知人のエピソードとして、第二次世界大戦当時、「天皇とイエスはどちらが偉いか」と問われ悩んだ人の話をした。「『イエスが偉い』と言ったことで、その家族が迫害されて、その土地を去らなければいけなくなった。このような事例が多々あります」

 カトリック部落差別人権委員会の委員でもある。「天皇を尊しとすれば、部落は卑しい存在となる。身分制が存在するような儀式をすることには反対せざる得ない」と述べた。

 金氏は、冒頭でNCCが10月9日に発表した「代替わりに関する日本キリスト教協議会2019年宣言」を紹介。①政教分離原則、信教の自由の侵害、②戦時中のキリスト教の戦争協力の悔い改め、③人間ではなく神のみ神とする。人間を神とするは罪であるという信仰に立ち抗議している。

 「明治憲法のもとでは、天皇に政治、軍事、象徴権威の三つの権力があった。象徴権威は同憲法3条『天皇は神聖にして侵すべからず』(現代語表記に編集)に現れる。30年前も今回も、明治憲法以来の象徴権威を可視化した。国民主権の理念と逆行している。現行憲法では、あくまで国民の統合を前提とした『象徴』。象徴のために統合しているのではない」と懸念を表した。

 「皇室行事が習俗行事だからとして、国家行事として開催されることに国民が慣れるとどうなるか。皇室が超宗教化し、政治の在り方が宗教によって権威づけられ、政治自身が過ちに陥るだろう。政治が宗教権威によって自己正当化し、腐敗を隠蔽するようになり、立憲民主主義が危うくなる」と警告した。

 「日常生活でも教会の子どもが、学校で、神道行事に動員されることもあるかもしれない。実際今回ある地域では、子どもたちが天皇をたたえる儀式に動員された。絶対の神への信仰に立ちながら、天皇をたたえるこの矛盾。この二重性に子どもも家族も葛藤するだろう。教会の責任者はどう答えるべきか」と問うた。

 小岩井氏は、「国家によって天皇が神格化される行事は、キリストご自身と私たちキリスト者への挑戦、敵対行為と見るほかない」と批判。「国家が市民に国家神道を事実上強要または推奨するものである。神道儀式への公金の支出を、キリスト者も否応なしに負担させられる。偶像礼拝に私たちキリスト者も事実上参加させられることになり、信仰の良心が傷つけられる」と語った。

 「戦後の悔い改めを通し、JEAも過去の声明において国家神道体制のナショナリズムと対峙する決意を表明してきた。聖書を誤りなき神の言葉と信じる私たちは今、あらためて決意したい。聖書によれば、国家は人々の公共の福祉のため、愛と善を勧め悪を抑制する働きのために神が立てた、神のしもべである。神のしもべが、神格化した天皇の宗教的権威を背景にして神と同等の権力を振るうことは越権行為である」。さらに「キリスト者の内心の信仰は、外に表さざるを得ない。声を上げていきたい」などと述べた。

 全体の質疑の中では「習俗、文化だからと受け入れてきたキリスト者の二重性」「グローバル化の中で アイデンティティーを失った人々が、昔の日本のアイデンティティーとして皇室中心の国民が提示され受け入れられている」などの指摘のほか、アジアとの歴史観、意識の違い、日本人の中にある天皇制を言及することへのタブーなどについて話された。