九州宣教フォーラム2019 「教職・信徒の宣教協力」テーマに竿代氏 「プロ・アマ」意識の克服を 「役割の違いはあっても上下関係はない」

日本福音同盟(JEA)は第6回日本伝道会議(JCE6)のテーマを継承し、JCE7(2023年)へつなぐ宣教フォーラムを毎年開催しているが、今年は九州で開催された。 「九州宣教フォーラム2019」が11月11、12日、福岡県福岡市博多区のバプ連盟・博多キリスト教会で開かれた。同フォーラムは、JEAと同フォーラム実行委員会主催によるもので、JEAとの協力による九州でのフォーラム開催は1990年の九州宣教会議以来29年ぶり。九州地区だけでなく、全国から100人余りの教職・信徒が参加した。初日は竿代照夫氏(インマヌエル綜合伝道団牧師)が「福音のために共に戦う─宣教協力─教職と信徒のチーム力のステップアップ」と題して講演した。【中田 朗】

竿代氏は「霊を一つにして堅く立ち、福音の信仰のために心を一つにしてともに戦っていて、どんなことがあっても、反対者たちに脅かされることはない」(ピリピ1・27、28)を主題聖句に講演。最初に新約聖書における「教職と信徒」の関係について語った。
竿代氏は「新約聖書を見ると、この二者の区別は明確ではないが、自分の職業を捨てて巡回伝道に当たるグループと、運動を支援するグループに自然な形で二分されており、それが『職制』に引き継がれた」と語る。「教職も信徒も同じ神の民であり、違いがあるとすればそれは職務の違いであって、上下関係ではない。初代教会の指導層は、使徒、長老、監督、執事と、大きく分けて四つあった。職制上の区別とともに、賜物の違いも意識されていた」
だが、「その後のカトリック教会の確立により職制が固定化され、教職(司祭)と信徒の区別は越えがたいふちのようになってしまった。その司祭中心主義への反動から、プロテスタントが『万人祭司主義』を掲げた」とキリスト教の歴史を概観。「万人祭司主義は、すべての信仰者は自分にとって祭司であり、他人の仲介なしに直接神に近づくことができるという考え方と定義できる」
だが、「宗教改革を経た教会でも、いまだに『アマの信徒・プロの教職』という意識が残っている」と指摘。「神の言葉を伝える者たちが直接主に召され、使徒伝承を受け、長老たちを任命することで教会の頭であるキリストの権威は具現化する。同時に、信じる者の間の平等性は魂の価値の平等、役職の違いは役割の違いに過ぎないとの認識で確保される。しかし、教職がプロとして教会を中心に運営し、信徒はアマとして協力するだけという『プロ・アマ』意識は教会本来のあり方ではない」と語った。
現代教会における教職・信徒の協力においても「プロ・アマ」意識の克服を強調。「牧師は伝道の〝鬼〟だったが、信徒からの自主的な提案については大体任せていた。それにより教会が成長した」という、竿代氏が育ったインマヌエル船橋キリスト教会の例を挙げ、「信徒が牧師依存的にならず、それぞれに与えられた賜物を自由に発揮する。牧師は信徒の自主的な働きを応援し、信徒指導者を霊的、実際的に訓練するという形がかみ合うことが望ましい」と語った。
また、教職と信徒が協働するために、▽ビジョンの共有、▽戦略作りに共同参画、▽実際的なチーム作り、▽評価の仕組み、という四つの段階を挙げた。「宣教の本質、目標、道筋などの点で聖書がどのように教えているか、聖書の中にその実例があるか、などについて教職・信徒が共に学び、ビジョンを共有する。そして、それぞれの立場から具体的戦略・方策を出し合い、合意できる点をまとめる作業が必要だ。次に戦略をどのように実践に移すかについて役割分担を話し合い、合意することが大切。それを実践していく過程で中間的な見直しや調整を継続することも重要になってくる。そして、一定の期間を経て、その戦略がどの程度達成されたか評価し、必要ならば新たな方策を考えることも大切だ」
宣教戦略の具体例としては、▽裾野を広げる伝道=一般の人が興味を持つ手芸や音楽などの教室やサークルなど、▽聖書を共に学ぶ=信徒・求道者を巻き込んだ「聖書を学ぶ会」の試み、スモールグループの活用など、▽魅力ある礼拝の場=礼拝のプログラムを求道者目線で工夫、▽子どもたち・青年たちへの伝道と育成=伝統的な「教会学校」の枠に囚われない子どもの獲得方法など、を挙げた。
同フォーラムではその他、九州地域の4牧師による座談会、グループディスカッション、「キリシタン時代の九州宣教」を題にした佐島顕子氏(福岡女学院大学人文学部教授)による講演、JCE各プロジェクトによる「日本社会と宣教」「教会と国家」など10の分科会が行われた。