『「同性愛」二つの見解 聖書解釈をめぐる対論』 ウィリアム・ローダー、メーガン・K・デフランザ、ウェスレー・ヒル、スティーブン・H・ホームズ 寄稿 プレストン・M・スプリンクル、スタンレー・N・ガンドリー 編集 大頭眞一、岡谷和作、久保木聡、西原智彦、水谷潔 訳 中村佐知、藤本満 監修 藤橋仰 翻訳コンサル A5判288頁、いのちのことば社、2,860円税込

同性間の性行為を教会は許容できるのか

評者・朝岡 勝(あさおか・まさる、日本同盟基督教団多磨教会牧師)

本紙4月13・20日号から4回の連載

教会の真理論争とアディアフォラ

キリスト教史を概観してみると、「唯一にして聖なる公同の使徒的教会を信ず」(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)と告白してきた一方で、古代教会におけるキリスト論論争や三位一体論争、東西教会の大分裂から16世紀宗教改革、そしてプロテスタント教会においては絶えず神学的論争とそれによる教派の分裂や独立が続けられてきました。そこでは絶えず「何が正統的な信仰か」「何が使徒的な信仰か」「何が聖書的な信仰か」が中心的な論点となってきました。論点が信仰の核心に近づくほど論争は熱を帯び、先鋭化し、教会の中に大きな亀裂を生じさせることもありました。事柄が「真理」に関わるものであれば安易な妥協は許されず、徹底的な議論が続けられたのです。プロテスタント教会が信仰義認論を「教会にとって立ちも倒れもする教え」と強調したのもその例と言えるでしょう。

一方で、プロテスタント教会は「アディアフォラ」(「どちらでもよいもの」の意味)とそうでないものとの識別にも心がけてきました。「礼拝の形式」に端を発したこの思想は、やがては「教会と国家」を巡る議論に適用され、どうしても妥協することができない事柄、例えば「イエスは主である」という告白に触れるものであれば、それを「信仰告白の事態」と捉えて自らの立場を鮮明にすることに躊躇(ちゅうちょ)しませんでした。

これらは、今日の教会が真理問題についての識別力、洞察力、判断力を養う上で学ぶべき姿勢でしょう。初代教会におけるユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者の対立と共存を巡って開かれた、使徒の働き15章のいわゆる「エルサレム会議」における「必要最小限」の裁定は、その後の教会にとっても大事な範型となっています。

日本のキリスト教界の中にも「批評的聖書観と保守的聖書観」を基底として、「主流派と福音派」、「教会派と社会派」などの対立項が存在しましたし、北米の保守的キリスト教の影響を強く受けた福音派の中では、とりわけ「共産主義の是非」、「人工妊娠中絶の是非」、「信仰と自然科学」、「創造と進化」、「千年王国とイスラエル論」などを巡る議論があり、現在進行中のものもあります。

その最たるものの一つが「LGBTQ+」の方々を教会がどのように理解するのか、同性間の性行為や同性婚が聖書的に許容できるのかという問いでしょう。欧米の教会、また日本でも主流派の教会では相当の議論と実践が蓄積されていますが、福音派諸教会においてはそもそも議論に値しないという判断や加熱した問題意識が先行して、落ち着いた議論をする土壌が醸成されているとは言い難いと感じています。そのような中で米国福音派の代表的出版社の一つ、ゾンダーバン社の「カウンターポインツ」シリーズの一冊である本書が翻訳出版された意義を覚えます。

肯定派と伝統派の視点

本書の何よりの特色は「二つの視点(Counter-points)」というシリーズ名にあるように、異なる立場や時には対立する立場の双方が一冊の書物の中で対話をしている点にあります。4人の著者、1人の編者それぞれの神学的立場や議論の作法、主たる論点については藤本満先生による「翻訳監修者あとがき」(244頁以下)に端的にまとめられていますので、読者にはまずそこから読むことをお勧めします。

編集責任者プレストン・M・スプリンクルは、同書における二つの視点を「肯定派」と「伝統派」と表現します(9〜10頁)。「肯定派」とは「合意のもとでの一夫一婦の同性関係は神によって祝福され、教会生活に完全に含まれうる」とする立場で、ウィリアム・ローダーとメーガン・K・デフランザがこの視点です。「伝統派」とは「あらゆる形態の同性間の性行為は聖書とキリスト教神学によって禁じられている」とする立場で、ウェスレー・ヒルとスティーブン・R・ホームズがこの視点です。

評者の読む限りデフランザが「肯定派」の中でもっとも積極的、ホームズが「伝統派」の中でもっとも保守的な論調です。ただし「伝統派」も「結婚や同性指向について、全面的に『伝統的』見解を採用しているという意味ではありません」、、、、、

2025年04月13・20日号 07面掲載記事)