復活の主を知る喜び 『ぼくを忘れていくきみと アルツハイマー病の妻と生きる幸せ』

『ぼくを忘れていくきみと アルツハイマー病の妻と生きる幸せ』 吉田晋悟著、いのちのことば社フォレストブックス、B6判、1,650円税込 6月1日発売予定

私の妻多美子は、「あなたの父と母を敬え」とのみことばによって自分の罪を知り、十字架による罪の赦しを信じて洗礼を受けました。復活の主を心から愛していた彼女は、やがて神からの召命を受け、生涯を神に献げる決心をして、教会で働き始めました。私が人生に行き詰まって教会を訪れたとき、私を迎えて牧師に取り次いでくれたのは彼女でした。
その日、私は牧師と語り合って、人生の行き詰まりの原因は私が神に背を向けていたことにあると気づきました。そして、イエス・キリストの十字架の死と葬りと復活の事実とその意味を知り、この方を私の救い主として心に迎えました。
結婚した後、ふたりは心を合わせて主に仕えていましたが、多美子が63歳の時、「若年性アルツハイマー型認知症」と診断を受けました。治療法がなく、予後の定まらない進行性の難病でした。彼女は、病を負うべき重荷の一つと受け止め、重荷を主にゆだねて生活をしていました。
病によって人としての尊厳が失われるのではないかと悩んだときには、祈りの中で示された「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43・4)のみことばを、彼女は永遠に変わることのない主のことばと受け取って平安を得ていました。喜びをもって主に仕えていた仕事が続けられなくなったときも、認知症の自分を用いられる主を信じて、自分のからだを神に献げていました。主は彼女の信仰に応えて、人々を慰める器として用いてくださったように思います。
私たちは、多美子の病による心身の衰えを目にしながらも、日々新たにされる内なる人を信じ、やがて栄光の姿に復活された主と同じ姿に変えられる希望をふくらませていました。
多美子は主の働きを終えて天に召されましたが、認知症と向き合う夫婦生活の日々は、復活の主を深く知るための神からの贈り物だったと思っています。
(記・吉田晋悟)

2025年04月13・20日号 05面掲載記事)