福音主義神学会東部部会「黙示録」を岡山氏講演 「三年半」をいかに生きるか 霊の目で真実を見抜く

日本福音主義神学会東部部会2019年秋期研究会が11月25日、東京千代田区のお茶の水クリスチャン・センターで行われた。今回のテーマは「今、黙示録を読み直す」。「ヨハネの黙示録」の研究で学位を取得し、『小羊の王国』(いのちのことば社)の著書がある岡山英雄氏(JECA・東松山福音教会牧師)が「三年半の苦難と千年の王国(黙示録の終末論)」の講演題で語った。

岡山氏は黙示録全体の構造として、天に関する幻と地に関する幻の対比に特徴があるとする。天である「小羊の王国」では神、小羊、二人の証人(聖霊)、新しいエルサレムが、地である「獣の国」では竜(サタン)、獣、偽預言者、大バビロンが描写され、「神と小羊の礼拝」と「竜と獣の礼拝」が対比される。そして最終的に新天新地での礼拝が結論となる。黙示文学である「ヨハネの黙示録」は、視覚的に絵を示してその対比を示し、その神学的意味、現代への適用を考える時、「あなたはどちらの国の民として生きているのかと、幻をもって問いかけてくる」。それを時系列にではなく、同じ事柄(例えば再臨)を違う側面から何回も語り、全体として終わりに向かう。
「黙示録」を読む時の重要な視点として「悪が善を模倣する」ことをあげる。16章13節に見られる竜、獣、偽預言者は神、小羊、聖霊に対応し、神の三位一体を模倣して、いわば「悪の三位一体」をなす。そして、新しいエルサレムが小羊と結ばれるように、大バビロンは獣の上に座る。しかし、全体として悪が善を模倣する対比はあるものの、その対比は対等ではない。最終的には神が勝利するからである。竜が戦う相手は神ではなく、大天使ミカエルであり、竜と神は同じレベルではない。最終的勝利は神にある。竜はいくら模倣しても神にたどり着けない。近づこうとしても、近づけない。存在論的に三位一体の神は超越している。この幻は一見すると、地上の国は獣が支配しているように見えるので、そこにある小羊の王国は逆説的な王国にも見える。しかし、最終的には小羊の王国が勝利する。
「黙示録」を読む時の留意すべき点として、これらの幻がヨハネに示されたのは、ヨハネを励ますためだったことを、岡山氏は指摘する。決して獣の王国を描写するためではない。この書が書かれたのは紀元90年ごろと考える研究者が多数だが、その当時教会はローマの迫害下にあり、いまだ小さな群れだった。ローマ帝国全体で6千万人、都ローマに100万人の国民がいる中、キリスト者の数は、帝国の全人口の1%ほどだったとも言われている。これはほぼ現在の日本のクリスチャンが置かれている状況と同じと言ってよいだろう。この後ローマは五賢帝時代を迎え、もっとも繁栄する。社会全体が皇帝礼拝へとなびく中で、「イエスは主」と告白するキリスト者、教会は衰退していくかに見える。そのような状況にあるヨハネを励ますために、最終的にキリストが勝利され、神の王国が現れる、という希望が語られる。一旦敗北したかに見えた小羊の最終的勝利とその民の戦いがこの書の中心的なメッセージであり、悪が裁かれるということではない。「黙示録」では「御座」という語が36回使用される。この語は他の新約聖書全体を合わせても15回。だれが真の王座に着いておられる方であるかが全体のテーマの中心にある、と岡山氏は語る。最終的に神の栄光が世界に満ちあふれるのだから、「地上でどんな試練があっても屈することがないように」。
「黙示録」が語られる時に、「千年王国」がいつ来るかが議論されることが多いが、その記述は20章1~10節のみと、きわめて少ないことを岡山氏は指摘し、「むしろ『三年半』の患難期が重要な期間であることは明らか」だと言う。「三年半」は11から13章に5回言及されるだけでなく、6~18章全体に関わる期間である。その再臨までの期間をいかに生きるかが、「黙示録」の終末論であり、初代教会はそのように理解していた。「千年王国」に関心が移るのは、4世紀にキリスト教がローマの国教となって以降である。「千年王国」の理解についてはそれぞれの立場があるが、その違いに目をとめるのでなく、歴史の一回性、キリストの再臨、最後の審判、新天新地、という福音派が一致している点を大事にし、「再臨までの三年半の大切さを知る必要がある」。
その三年半で現代の教会が直面する問題は、1世紀の七つの教会がそれぞれ指摘された問題であり、それに対して幻によって警告、励ましが与えられている。エペソの教会では偽使徒の害、ラオデキアでは富と豊かさに警告が発せられるなど。これらはすべて、現代の教会に同様に語られている。「黙示録」は新約聖書で唯一の預言書であり、その預言は旧約の預言書同様、書かれた当時、後の時代、終末の時代、三つのレベルで成就する。
最後に岡山氏は「現代は終末の時代に差し掛かっている」として、聖書翻訳の拡大による宣教の進展、世界の富の集中、国家を超える資本、環境破壊など、終わりの時代の徴候を指摘。「闇の力に惑わされることなく、霊の目をもって真実を見抜き、最終的に主が来られて勝利することを待ち望みつつ、屈することなく最後まで、神の民として死に至るまで、忠実でありたい」と結んだ。【髙橋昌彦】