39年間パリを描き続け 魂の力与える作品描いて人々に 画家 渡部正廣さん

「信仰を持ったことで、自分の表現が変わったということはないですね」。33歳で単身フランスに渡り、今年5月に帰国するまでの39年間、ひたすらパリを描いてきた渡部正廣さんはそう語る。10月初旬、東京の銀座幸伸ギャラリーで「渡部正廣個展─Retour─」を開いた画家に、淡い色あいと優しい筆使いで描かれたパリの街並みに囲まれながら、話を聞いた。
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故郷山形の大学を卒業後、東京で教員をしながらフランス行きの機会をうかがった。佐伯祐三が描いたパリを「自分の目で見たい」と思った。若い頃からその著作に親しんだ森有正が生涯留まった地であることも、その思いをふくらませた。それとともに、母の死をきっかけに触れた聖書の言葉は、渡部さんの思いをとらえていた。1982年の3月に受洗。フランスに渡る直前だった。
パリでは美術学校に籍を置きながら、絵を描き続けた。何度かサロンに入選することもあったが、5年ほどすると何も描けなくなった。「デッサンしようとしても、構図も何も取れなくなってしまって」
おそらく空間の意識が変わる時期だったのだと思う。それまでは日本の街並み、風景。日本家屋の木造で奥行のある建物に対し、石で作られ高さも平均した建物が並ぶパリは、かつて自分が身を置いていた所とはまるで異質の空間だった。「それまで絵が描けていたのは、何もわからなかったからでしょう。パリに身を置いて、その空間を肌身で感じて、自分の目で見始めたから、描けなくなったんです」

渡部正廣さん。銀座幸伸ギャラリーで

経済的にも困難を覚え、アルバイトを増やそうかとも考えたが、「あなたは絵描きなんだから」と妻から言われ、その言葉に押されてアルバイトをやめた。描けるようになるまで、3年がかかった。「自分は画家だ、という明確な自覚を持つようになったのは、それからです。信仰者として、自分には神から与えられた賜物、使命がある、と自覚したのも」

信仰を持った絵描きには二つの責任がある、と言う。
一つは与えられた賜物を努力によって磨いて、それをもって神様の計画に身を捧げていくこと。努力なしに技術は向上しないし、信仰で芸術的なひらめきが与えられる訳では決してない。
もう一つは、社会的な責任として、魂の力を与えていくだけの作品を描いて人々に提供すること。「今はコロナで、みんなが目に見えない息苦しさを感じている。芸術には、そんなものを取り払って、その人が本来あるべき姿を回復していく、そういう力があるんです」。その人間の根源的な部分で信仰と芸術は結び付くのであって、「両者が接している所に自分のポジションを定めたい」と言う。

(さらに渡部さんは、「絵だけで何とかやっていけるようになったのはやっと10年前から」と語ります。2021年11月7日号掲載記事)