6,405人が犠牲となった阪神淡路大震災から27年。発災の1月17日、「阪神淡路大震災追悼のつどい」(モリユリ・ミュージック・ミニストリーズ主催)が、大阪市中央区の大阪クリスチャンセンターで開かれた。オンラインでも同時配信された。東日本大震災や西日本豪雨等、頻発する大災害も振り返りつつ、森祐理さんの歌と語り、被災地支援の関係者らの報告などを通して、参加者一人一人が災害で失われたいのちと、被災の悲しみを抱える人々に思いをはせるときとなった。【藤原とみこ】

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辰巳玲子さんのフルートと田上文子さんのピアノ演奏で幕を開け、祐理さんは「この時期になるとあのときの痛みや悲しみが昨日のことのように思い出されます。あのときの気持ちを思い返し、これから起こりうる災害に備えるためにも、共に祈り、神様の声に耳を傾けるときとなればと思います」と、語りかけた。

◆熱海土砂災害報告/防災啓発

被災地支援活動を行っているハンガーゼロ(日本国際飢餓対策機構)の近藤高史総主事が、昨年7月に発生した熱海土石流災害の支援活動を報告した。コロナ禍で困難な支援となったが、地元教会関係者や他団体と連携して、孤立地域の支援に着手できた。クリスチャンとして「示されたら(支援に)出かけていく」ことで、神は実りを見せてくださると語った。

2020年に関西在住の牧師・信徒有志が発足した関西キリスト災害ネットワーク(関キ災)の働きも紹介された。世話人の足立学牧師と、防災落語を通して啓発活動をしているアマチュア福音落語家のゴスペル亭パウロさんが「日頃から横のつながりを大切にして、いざというときにいっしょに活動できる関係づくりが大切」と、訴えた。

◆「良い一日で」を言えなかった


続いて、27年前の映像が流され、国道沿いに倒壊した建物が続く光景が現れた。震災で亡くなった祐理さんの弟の渉さんのアパートがあった場所は、完全に一階が押しつぶされていた。遺品を手に、「これもきっと何かにつながる」と語る祐理さんの涙が胸を打った。

渉さんのいた神戸大学の先輩にあたる元NHKアナウンサーの住田功一さんも被災した一人だ。神戸大学は学生39人と教職員2人が犠牲になった。住田さんは震災後遺族に向き合う活動を続け、祐理さん家族も支えられてきた。今回映像で参加した住田さんは、自身も長男を死産で失っている。その痛みから、現在担当している「ラジオ深夜便」の締めくくりのことばに「今日が皆さんにとって良い一日でありますように」と、あるときからどうしても言えなくなったと、振り返る。

「なぜ一生懸命勉強していた意欲あふれる青年を地震は奪ったのか。考えても考えても答えは出ません。今日この場に集う皆さんにも悲しい日はあったでしょう。今この時も地球のどこかでぼう然とたたずむ人がいるはずです。そういったことを考えると、少しでも今日が穏やかな日でありますようにと、絞り出すのが精一杯なのです。今日共に亡くなった方々のことを考える日を与えてくださって感謝します」

祐理さんは、「命の終わりは命のはじめ」の歌詞をかみしめながら「球根の中には」など3曲を賛美。渉さんの命が今の祐理さんの働きにつながっていると語り「明日を守られるイエス様」の歌に思いを託した。


ニューライフキリスト教会の豊田信行牧師がメッセージに立ち、9歳のときに失くした父のことに触れた。
「なぜ神に生涯を捧げた伝道者の父を守ってくださらなかったのですかと、ずっと訴えてきました。哀歌はバビロンによって何もかも失ったエルサレムの嘆きですが、3章21節から希望がもたらされる。神はすべてを取らず、私たちがこうして残された、と。聖書の希望は、失ったものが元に戻るのではなく、残されたものに新しい希望が隠れていると教えてくれる。人々は瓦礫(がれき)の中に希望が埋まっていることに目が開かれたのです」

「私も、父は帰らないけれども残された家族があり、神は私たちを捨てたわけではないのだとわかってきました。私たちには神に託された使命があるのだということも。悲しみの意味はわからない。しかし、バビロンの悲しみが私たちを今、慰めるように、神は流した涙を一滴も無駄にせず、誰かを慰めるために用いてくださる。私たち一人一人の、人知れず流した涙を、喜びに変えてくださると信じています」


祈りのときを持った後、震災から生まれた歌「幸せ運べるように」
を歌った祐理さんは「今日得られた思いを種として、希望の花を咲かせていきましょう」と、呼びかけた。
この集いは、YouTube「モリユリちゃんねる」で見ることができる。

クリスチャン新聞web版掲載記事)