戸別訪問し、聖書を語る岸浪さん

 

牡鹿半島の全体図 過去の牡鹿半島関連記事は→こちら

 

海を横目に、蛇行し、起伏する山道。ときおり野生のシカが彫刻のように立ち、こちらを見つめる。宮城県石巻市の牡鹿半島には20以上の浜がある。これら風光明媚(めいび)な入り江に、東日本大震災の大津波が押し寄せた。市街地から遠い入り組んだ半島に支援は遅れた。

 

巡回伝道師の岸浪市夫さんは、11年間、宮城県内陸部の栗原市から半島まで往復200キロを千回以上通った。経営する自動車修理工場の職員を通じて、半島とつながった。国内外の団体の協力で、不足していたガソリンも迅速に入手できた。避難所、仮設住宅、復興住宅と人々が移ったが、食事会、生活支援など関係づくりにつとめた。個別に訪問して、お茶のみ話や聖書の話をする。かかわりを保つきっかけとして草刈りにも汗を流す。

キリスト教との接点はほとんどなかった地域だが、早い段階から心を開く人がいた。「千人以上の人と出会い、沢山の人々の家に招かれ、80人以上の人々が『信じる』と応答した」と言う。

継続してかかわれる人もいれば、そうでない人もいる。「礼拝出席や、証しをしているか、など、そういうことでその人の信仰が決まるのではない。救いと成長には時差がある。神が出会わせてくださったかどうかが重要。赤ちゃんは『お父さん』と言えたから、その人の子どもになるのではない。親である神様は、信じますと告白した自分の赤ちゃんをよく知っています」

 

牡鹿半島の漁港の一つ

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8月半ば、記者は岸浪さんと石巻市街地から半島を回った。大型ショッピングセンターが立ち並ぶ高速インターそばの復興住宅に移住した家族がいた。半島の将来や世相を語り、祈りには、「アーメン」とはっきりと応答、、、、、

2022年9月11日号掲載記事)