「どんな仕事でも“召し”に」

セミナー参加者

「LIGHTプロジェクト 信仰と仕事ミニストリー」(ディレクター・サックス知子)の「信仰と仕事セミナー」が5月20日、オンラインで開催された。今回のテーマは「今の仕事は、本当に召しなの?」。当日はLIGHTプロジェクトの「信仰と仕事コース」を受講したスピーカーの話を聞き、続いて各グループでディスカッションした。【中田 朗】
◇  ◆  ◇
最初のスピーカーは長尾愛(めぐみ)さん(グレースハーバーチャーチ会員)。イギリスでの大学院留学の際にクリスチャンになり、現在、外資系エネルギー企業のトレーディングを担当。「海外から原料などを購入する仕事で、ここ数年コロナやロシア・ウクライナ情勢で大打撃を受けた。その中で『なぜ仕事は苦しいのだろう』と思い受講した」
「今の仕事は召しなのか」という問いに対して、受講前と180度変わったと言う。「受講前は、この仕事は召しではないと思っていたが、受講後は『まだ難しいけれど、〝YES〟かなあ』と。今までは、召しとは、①神様から与えられた仕事(自分に合っている、賜物を活(い)かせる、この世でできる仕事の中でいちばん完璧に近い状態である)、②自分がやりたい仕事(意欲的に取り組める、どれだけ働いても労苦や疲労を感じにくい、それ故周りから認められ成果や報酬につながる)、の二つだと理解していた。だが、召しとはイエス様と一緒に、信仰によって、神様・周りの人のために行うことであり、自分が今の仕事を召しかどうか決めるのではないと学んだ。つまりどんな仕事でも召しとなりえて、神様が召しの場所に私を置いてくださっている、ということを学んだ」
召しなのにできない、この世の成果や報酬を求めてしまう、自分のやりたいことと異なるなど、今感じている苦難に対しては、主の栄光を待ち望む、神様視点の召しを信じ御手に委ねる、罪ある者として日々造り変えを求める、祈る、と応答した。
二人目のH・Оさんは、育児相談や虐待対応の仕事をしている。「教会学校(CS)教師をする中で、神様は私に子どもに仕えてほしいと思っておられるのかなと。以来、転職の際には子どもに仕える仕事を選んできた。今の仕事は2年前からで、困っている子どもや親のために働きたいという希望がかなったものだった。だが、頭の隅には、今の仕事が本当に召しなのかという疑問があった」
受講し、歪(ゆが)んだ考え方が自分を苦しめていたことに気づいた。その一つが、聖俗二元論だったと言う。「教会で神様に仕える仕事は聖で、一般社会で働くことは俗と考えていた。しかし、すべての仕事は神様からの召しであり、賜物が異なっているだけだと。私は牧師や神学生とは違い、一般社会で働くクリスチャンのモデルとなる使命を神様から与えられ、CSでは中高生のそばに置かれているのだと気づいた。学びを通して、聖俗二元論から解放され、自分のクリスチャンとしてのあり方や教会生活についても悔い改めることができた」
仕事において人を恐れていたことにも気づかされたという。「クリスチャンなのに失敗が多く、職場で神様の栄光を現せていないのでは、こんな私を神様は愛しておられないのでは、という思いがあった。しかし、そういう発想を持つこと自体、イエス様の十字架と復活を忘れていた、とハッと気づかされた」と結んだ。

2023年07月02日号   07面掲載記事)