「作品はたくさんの人の心に語りかける」と妻の昌子さん

 

富弘さんゆかりの人々が献花に参列。集会後は大雨だった

 

4月に逝去した、詩画作家、星野富弘さんのお別れの会が、群馬県みどり市のみどり市立富弘美術館で6月21日に開かれた。親族、友人、美術館や市・県関係者、教会関係者らがありし日をしのび、星野さんが残した作品を後世に語り継ぐ思いを新たにした。【高橋良知】

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渡良瀬川の上流、草木湖のほとりの渓谷に富弘美術館はある。山の上で持ちこたえていた雲は、集会後には、大ぶりの雨となった。

故人を哀悼する黙祷の後、富弘さんの肉声も交えた映像で、その生涯を振り返った。富弘さんの人生には三つの転機があったという。一つは、頸髄(けいずい)を損傷し、手足の自由を失ったこと。二つ目は、信仰を持ち、洗礼を受けたこと。三つ目は、1979年に前橋市で最初の作品展を開いたこと。「つらい、生きていても仕方がない、と思っていたが、この三つがあって、今のわたしになっていった」と富弘さんは話した。

2006年に群馬県名誉県民となった際に、「わたし一人では何にもできませんでした」と述べた挨拶も紹介した。映像は、折に触れ感謝を口にする富弘さんの姿に注目し、「人々、自然、神への感謝が生きる源」とまとめ、富弘さん自身による「悲しみの意味」の朗読でしめくくった。

みどり市の須藤昭男市長は、富弘さんが亡くなる一週間前に見舞いに行ったことを明かした。「同美術館は21年に700万人の来場者を越え、リピーターも多い。人生の節目ごとに訪れる人、各地の詩画展で知り、『ようやく来れた』という人など、全国各地から来館がある。残された作品500点には、やさしさ、強さ、ユーモアがある。様々な苦しみ、悩みは自分だけでない、と生きる力が与えられる」と語った。6月18日には、同市初の名誉市民の称号を贈ったことも紹介した。山本一太群馬県知事も「その生きる姿勢と詩、絵が深い感動、生きる勇気を与えてくれる」と述べた。

富弘さんの友人、渡邊護さんは、初めて見た富弘さんの作品に「信じがたい崇高さ、神々しさがあった」と衝撃を受けた思いを語った。「詩の中に何層も心の豊かさを感じた」とも言う。自身が校長を務めた千葉県の中学校に富弘さんを招いたエピソードなどを情感込めて話した。

富弘さんの妻の昌子さんは「死んで終わりではない。もっと高く、良い所から、私たちを見守っている」と述べた。

富弘さんの「目の力」の思い出も披露。「何もかも見透かされるようだった。その目は花を描いている時にもあった。そのもの以上のものも描く、神秘的な目に、ほれぼれした。絵が完成すると二人で一緒に喜んだ。残した作品は、たくさんの人の心に語りかけ、生き続けていくと思います」。最後に「そうか神様に生かされていたのか…」で始まる富弘さんの詩を読んだ(『百万人の福音』2017年12月号掲載詩)

幼馴染(おさななじみ)でもある、富弘美術館館長の聖生(せいりゅう)清重さんは、「中年以降になると、富弘さんの表情は穏やかになった。与えられたいのちを、余すところなく使い、精神の豊かさがあったのではないか。小学生以来70年のつきあいを感謝しつつ、今は、思い出は封印して将来に目を向けたい。作品を後世に受け継ぐ使命に全力を注ぎたい」と話した。
追悼展示、記帳所は12月1日まで。

2024年07月07日号 01面掲載記事)