[CSD]2001年7月 8日号《ヘッドライン》

[CSD]2001年7月 8日号
《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎聖書のらい病の実態は?——ハンセン病医療に50年、犀川一夫医師が講演
★米国のホームレス支援事情——教会がシェルターを提供 記・渡辺 聡
★フィリピン:過激派ゲリラに拉致されたバーネム宣教師夫妻の生存確認
★<落穂抄>苦難のなかで前進する福音
 = 2 面 =
◎キリスト教倫理からみた「臓器はだれのもの」——福音主義神学会が春季研究会
★尋問に打ちのめされた父——ホーリネス弾圧記念聖会で娘たちが証言
★西日本宣教セミナー——人間性回復、教育を焦点に日本伝道会議を深める
★高齢社会に光るがある証し——『キングス・ガーデン物語』出版記念会
★米長老教会:同性愛者の教職按手に禁止条項廃止を決定
★米長老教会:イエス・キリストは唯一の救済者か?——大会で明言できず
★キリスト者政治連盟:小泉首相に靖国参拝問題で注意促す書簡送る
★<論説>聖書通読に挑戦しよう 記・内川 寿造
★<あかし文学>神様いのちをありがとう[11] 作・山口かおる
 = 3 面 全面広告=
☆2001 フレーソン聖会 10月30日—11月2日(http://www.jiyu-jikan.net/freadzon/)
 = 4 面 特集・人と医療=
★身体と心のクリニック目指す 市川子どもクリニック
★教会員の一人ひとりに輝いてほしい——教会の訪問介護サービスを担当する小澤敦美さん
★病室を回り祈りつづける日々——誠志会病院・岡田 信介院長
 = 5 面 =
★一番大切な歌で愛を返したい——沢 知恵さんハンセン病療養所でコンサート
★それ以上の愛を伝えたい——JR新大久保転落事故追悼コンサートきっかけに受洗したジャン・チャヌさん
★通りごとに日系人を捜し歩く——佐藤浩之宣教師のブラジル・オザスコ伝道
★日系人の生きた証し集『イペーの花咲く地から』2巻目を出版
◎伝道用になった『マンガ聖書物語』
★英国:翼の上で司式する牧師求む
 = 6 面 =
★<聖書66巻>ペテロの手紙第2 純真な心を奮い立たせる 記・大竹 海二
★<書評>『この命ある限り』玉木 愛子著(日本図書センター、1800円)
★<新刊書紹介>『夕暮れ時に、光がある』キングス・ガーデン物語 泉田 昭著(いのちのことば社、800円)
★<新刊書紹介>『キリスト教ものしり人物伝』高田 文彦著(教文館、700円)
★<情報クリップ>催し情報ほか

聖書のらい病の実態は?−−ハンセン病医療に50年、犀川一夫医師が講演0107080101

「聖書で『らい病』と訳されているヘブル語のツアーラハトは、はたしてハンセン病なのか」。
熊本地裁のハンセン病国賠訴訟勝訴、政府の控訴断念など、ハンセン病患者、元ハンセン病患者への関心が全国的に高まるなか、『聖書のらい・その考古学・医学・神学的解明』(新教出版社)の著者で国立療養所沖縄愛楽園名誉園長の犀川一夫氏(日本基督教団・田園調布教会員)が、6月23日、東京・大田区の日本基督教団・田園調布教会で講演した。
社団法人・好善社(棟居勇理事長)と、日本基督教団東京教区南支区社会部(佐伯邦男委員長)との共催。
犀川氏は言語学、考古学、疫病史、神学などの歴史的検証を踏まえ、「聖書の『らい』は、今日のハンセン病を意味するものではない」と結論づけた。
  犀川氏は、1944年東京慈恵医科大学卒業後、国立療養所・長島愛生園、沖縄愛楽園、東南アジア、台湾などで、50年以上にわたりハンセン病医療従事者として奉仕。
  医学生時代に、説教で聖書に書かれている「らい病」の記述に触れた。
長島愛生園に勤務し、病者の医療に従事するなかで、「モーセ五書、特にレビ記に書かれている『ツアーラハト』(日本語で『らい病』)が、今日医学で言うハンセン病であることに疑問を感じた」という。
聖書の中の「らい病」の問題は、犀川氏のライフワークとなった。
1994年、『聖書とらい』を出版。
今回の講演は本書の内容に沿っている。 信徒・牧師を励ますオアシスチャーチミニストリー 犀川氏は「ツアーラハトは、翻訳上の過程で『らい病』になった」と語る。
  紀元前250年ごろ、アレキサンドリアの図書館にいた長老70人が、ギリシャ語70人訳聖書を完成。
この時、「汚れた者、神罰」といった祭儀的意味を含むヘブル語のツアーラハトの訳語に、祭儀的意味を全く含まないギリシャ語のレプラを「物体表面の現象を示す言葉」として採用した。
  その後ローマ時代に生理学の大家ガレノスが、ハンセン病を「象皮病」と称しつつ、「象皮病」の病型の一つ、皮疹をレプラと呼ぶに至り、レプラはハンセン病の呼称のごとく定着していった。
  同じころ、ラテン語訳聖書の必要性から、ラテン教父の一人ヒエロニムスがギリシャ語訳聖書にならい、機械的にツアーラハトをレプラに翻訳、ウルガタ聖書を完成させた。
以後、ガレノスの病名としてのレプラと、ウルガタ聖書のレプラとの間に混乱が起こり、ツアーラハトの祭儀的概念が結びついたという。
  犀川氏は、「ウルガタ聖書の世界的な影響は大きい。
文語訳、口語訳はウルガタ聖書の影響を受けている。
ハンセン病は天罰病であるなど、聖書解釈にも大きな影響を与えた」と語る。
 
症状の問題 ハンセン病を決定する重要な要素として、犀川氏は「手、足の指が曲がるなどの変型と麻痺」を挙げる。
しかし、旧約聖書で「らい病」と訳されたツアーラハトの症状が「膚は雪のように白くなる」など皮膚表面に現れる種々の症状に終始し、「変型と麻痺」に全くふれていないことに注目。
「なぜ旧約の記者がこのことに気が付かなかったのか不思議だ。
これらの症状の記述がない限り、ハンセン病と断定することは難しい」とした。
  新約では『らい病がきよくなった』という祭儀的用法に注目。
「ツアーラハトには、もともと皮膚症状を意味するとともに、祭儀的意味が含まれている。
マタイ、マルコ、ルカの3福音書だけに『らい病』の表記があるが、症状についての記載が全くない。
新約では『祭儀的意味』として『らい病』が使用されているのではないか」と述べた。 ハンセン病の正しい理解 犀川氏は「ハンセン病の正しい理解」を求めた。
この病気が ?伝染病で、皮膚と皮膚との接触によって感染する。
空気伝染はしない ?恐抵抗力のない子どもにうつるが、大人はうつらない ?2年治療すれば治る、病気であるとし、「決して恐ろしい病気ではない。
隔離する必要性は全くなく、在宅医療で治る」と強調した。
犀川氏は新共同訳聖書の「重い皮膚病」の訳語にも触れた。
「この言葉は書き換えにこだわっただけで、ハンセン病を思い出させる言葉。
ツアーラハトの訳語にふさわしいとは思えない」とし、「ツァーラハトは、今日にも見られるいろいろな皮膚病の症状を総合しているから、『重い』を取り、『皮膚病』で十分」だと語った。

キリスト教倫理からみた「臓器はだれのもの」−−福音主義神学会が春季研究会0107080201

キリスト教倫理の立場から臓器移植問題をどう考えていくか。
日本福音主義神学会の2001年春季研究会が「臓器はだれのもの」という主題をめぐり、6月18日、お茶の水クリスチャンセンター(東京・千代田区)で開催された。
 多井一雄氏(武蔵工業大学教授、日本福音キリスト教会連合浜田山キリスト教会員)が発題、二神一人氏(日本同盟基督教団・のびどめキリスト教会牧師、キリスト教生命倫理研究所主宰)がそれに対して応答と独自の意見を語った。 部分の犠牲の上に生命全体の尊厳移植正当化の際の道徳規範を提示/多井一雄氏 多井氏は、臓器移植に関する倫理の根本問題は脳死や臓器の提供の問題ではなく、臓器移植手術を受けること自体が道徳的に是認されるかどうかの問題であると指摘。
「移植手術においては生命の尊厳の保持と生命の破壊とが同時に生じる。
このような事態は、普通の手術において病気の治療と身体の損傷とが同時に生ずることと類似している。
この場合、全体を守るために部分を犠牲にすることは許容されるという全体性の原理を適用して、個別性という人間の生命の尊厳(*1)を部分的に脅かすことよりも、普遍性という人間の生命全体の尊厳(*2)を守ることを優先することが道徳的に正当化される」と、臓器移植を道徳的に正当化できるのではないかと一応の結論を出した。
  また、臓器移植に対する歯止めは別の道徳規範を作ることによって定めるべきだと考え、もし臓器の移植を受けるということが道徳的に正当化されるとするなら最低限確認すべきこととして以下のことを提示した。
?死体臓器あるいは生体臓器の提供に関する道徳規範は臓器移植の歯止めになる、 ?魂の個別性の尊厳あるいは身体の個別性全体の尊厳を脅かすような臓器移植は禁止の対象となる、 ?種と種の境界を超えることが許容されなければ、異種移植は否定的に評価される、 ?自然の信託管理の中に身体の管理も含まれるならば、環境倫理の視点から、臓器移植を制限するガイドラインを確立することができるかもしれない。 聖書の人間理解に立った生命倫理ガイドラインを/二神一人氏 二神氏は、クリスチャンが臓器移植問題を考える時、その本質的問題は聖書が臓器移植の問題をどのように言っているのかだと指摘。
昨年7月のクリスチャン新聞の臓器移植に関するアンケートの回答が「わからない・無回答」の割合が多いこと、内容が「信仰的にどうとらえるべきかどうかわからないと」いったコメントの多さから、クリスチャンが臓器移植を信仰的にどうとらえるべきか混乱している現状を説明。
信仰的に聖書からどう考えればよいのかという基準が提示されていない現実を指摘した。
  またクローンテクノロジーの自家移植の可能性が「自分と同一DNAを持つ臓器は自分のものか」「自分のものなら臓器移植は問題ないのか」という問題を提起し、より本質的な問題である「人間がそもそも生命を扱うことの問題」を浮かび上がらせたと指摘した。
  聖書は直接的に臓器移植やクローンを扱っていないが、人間が生命を扱うことの問題、医療の本質的目的、寿命、死の本質的意義は何かという問題には聖書は明確な回答を与えている。
それらを注意深く積み上げることで対応は可能となると説明した上で、「唯一絶対価値基準は聖書であるという大前提に立ち、聖書からこれらの本質的問題をキリスト者が考えていくためのガイドラインを打ち出す必要がある。
聖書に記されている神と人との関係から『人間とは何か』という人間の本質を見ていくのがキリスト教人間学である。
この聖書の指し示す人間理解に立ったとき、その視点を持ってのみ、本当の意味での生命倫理が考えられてゆく。
生命倫理は、キリスト教人間学の土台の上に成り立っていなければならず、生命倫理は、キリスト教生命倫理でなければならない」と語った。
注: (*1)わたしという存在は、まさにわたしであって唯一無二の存在である。
それぞれの人間がかけがえのないユニークな存在であること。
(*2)わたしたちすべ ての人間が同じ人間性を持っていることで他の動植物から区別された生命の尊厳を持っていること。

伝道用になった『マンガ聖書物語』0107080505

『まんが聖書物語』(いのちのことば社)が変わった!  1986年に初版が出てから15年。
これまでに子どもを対象にしてハードカバーのスタイルでコンスタントに4万部が売れた。
読者から返ってくる愛読者カードの多くは子どもからのものだったのが、近年大人からのものが多くなっていることに同社出版部は注目。
これまでの子ども向けのほかに大人のためのスタイルを模索した。
  コンビニで売っている廉価版のマンガ本と同じB6版でペーパーバックのスタイルを採用。
表紙デザインも英文で聖書のことばを入れ、タイトルも『マンガ聖書物語』とした。
何といっても変わったのは値段だ。
これまでのものが1300円だったのが三分の一以下の400円になった。
この値段なら手軽に購入できる。
  いのちのことば社出版部の大橋由亨さんは「プレゼントとして最適。
特に表紙を赤にしたのでクリスマスのプレゼントにはもってこい。
最後のページには教会名を入れるスペースを設けているので教会の新来会者に渡したり、トラクトとして使うと効果的。
教会学校やミッションスクールの教材として用いるということもできる」と本書を薦める。
  聖書を読むには骨が折れるし、キリスト教には興味があるしという人にはぴったり。
広く一般の人々にも読んでもらおうと、全国のキリスト教書店のほか一般書店でも購入できる。
  今やすべての年代で受け入れられている感のあるマンガ。
伝道用に、学び用にとアイデア次第で様々な使い方の可能性のある一冊である。