[CSD]2003年 1月 5日《ヘッドライン》

[CSD]2003年 1月 5日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎新年メッセージ:「普段着似合う神の恵み」 記・岡田 信常
◎ケータイで聖書読める「iばいぶる」——日本聖書協会がサービス開始
★オーストラリア:チャドル着用禁止要求に批判の声
★ハンガリー:ドラッグ自由化案に教会が「ノー!」
★ケニア・ウガンダ:アフリカでは家畜泥棒に「ノー」
★<落穂抄>「神にすがった勝利」

 = 2 面 =
★日本宣教地図——本紙調査:東京で教会が減少傾向

 = 3 面 特集・早天祈祷会=
★ティッシュに染みる祈りの涙——リバイバルを求めてフルゴスペル東京教会
★仕事に疲れても元気に、VIP原点は祈り——オアシス祈り会
★早天は生活の一部。授業前に熱い祈り——ヨハン早稲田キリスト教会
★世界に広がる祷友の輪。エキュメニカルな立場で——朝祷会全国連合・青山朝祷会
★創設から50年以上継続。早天は力の源——インマヌエル船橋キリスト教会

 = 4 面 =
★テロ時代の宗教間対話——WCCの平和構築は有効か
★すべての人の平和を願い師走の渋谷にベルの調べ——キリスト者平和ネット
★世界のプロテスタント代表する新団体を——WCC理事辞任の独監督
★<詩>希望 作・中山 直子
★<論説>中教審の教育基本法改正・中間報告——欠けているのは愛国心ではない 記・稲垣 久和
★<今週の本棚>『マルコ福音書講解説教・上』奥村 修武著(いのちのことば社、3800円)評・下川 友也
★<今週の本棚>『祈り』加藤 常昭著(日本キリスト教団出版局、3200円)
★<今週の本棚>『泉のほとりで』吉村 和雄著(キリスト品川教会出版社、1900円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 5 面 韓国特集=
★ファッションからキムチ屋。韓国文化伝える博物館——(株)永明社長 呉永錫氏
★ビジョンは日本と世界宣教。韓国から来たIT企業家——テクノシリコン(株)社長 金性度氏
★過去の歴史を忘れずに新たなスポーツ交流を——日韓クリスチャン議員連盟会長 土肥 隆一氏
★キリスト教言論が和解と協力の主導的役割に——韓国基督公報社社長 高茂松氏
★韓国:ソウル地下鉄に降誕新年列車を運行


 = 6面 PRのページ=
★僕の宝物はこの家族——神様が家族にしてくれた宮口さん一家物語
★胎児に目をとめて——いのちを守る現場からの祈り いその産婦人科

 = 7 面 教会学校教案誌特集=
★どんな小さな子にもわかることばで——『子ども礼拝テキスト365日』
★帰納的聖書勉強テキスト——『act!』
★現代の子どもの姿知るための企画も——『成長』
★教会学校教師必携ダイアリー——「CS Diary」

 = 8 面 =
★『小説「聖書」』の著者が説く 神の語りかけを聞くということ
★親子でみことばの世界に親しむ
★聖書のエッセンスをまとめた『聖書66巻がわかる』
★笑顔から毎日みことばを取り出す

 = 9 面 =
☆第21回クリスチャン写真大賞選考結果
入選:「みんなで会堂建築」(福森 トシ子)
佳作:「祝福のキャッチボール」(大土 努)、「父と子と聖霊の御名によって」(梅谷 巻二)、「洗礼」(中嶋 又美)、「いつくしみ」(吉野 史郎)、「氷のすべり台」(山岸 義高)、「厳しさと赦し」(三和 和宏)。

 = 10 面 関西だより=
★公演と奉仕で演奏に幅——ビオラ奏者・大江 のぞみさん
★奈良に特養「グレースの里」開設——魂の問題にも取り組む
★会堂自体が地域への証し——20年、4代で会堂建築
★5月にオンギジャンイ宣教団来日——トップレベルの技術と信仰の融合
★<人>日下部 繁氏——信仰継承が教会の問題

 = 11 面 =
★福音自由・第3回全国女性大会:愛によって生かされる賜物
★神奈川ウィメンズ・カンファレンス:神に愛されていること再確認
★ゴスペルでキャンパス伝道——ヨハン東京・早稲田キリスト教会
★クラシックギターのクリスマスコンサート——東北聖書バプテスト十文字教会
★『写教聖書』の企画・頒布を表彰——日本聖書協会クリスマス礼拝
★新手の「掃除伝道」——在阪インドネシア教会
★「アンデスの声」の尾崎夫妻が特番に——1月12日、13日にBSラジオと短波放送で
★英国:クリスマスは教会へ——田園地帯40%が集っている

 = 12 面 ゴスペルのページ=
★<インタビュー>バネッサ・ミッチェルさん——ただの文字じゃないハートがある
★コーラスユニット「アカペラ」初来日——神様が造った楽器(こえ)で
★NEW RELESE:「Blessed by Association」ジョン・P・キー&ニューライフ (ライフ・ミュージック、各2200円)
★NEW RELESE:「Leading Ladiess」T.D.ジェイクス&V.A. (ライフ・ミュージック、各2200円)
★<北嶋和之のゴスペルトーク>Joyful Joyful
★<いまさら聞けないゴスペル用語>ホザナ
★コンサート・ワークショップ情報

 =第2部 13 面 =
◎信徒を家庭に戻す。礼拝は朝10時半じゃなくたっていい——ハーベスト・チャーチ山梨の午後礼拝を訪ねて

 = 14・15 面 神学校特集=
★東京基督教大学:アジア人を中心に留学生受け入れ
★東京基督教大学:『東京基督教大学の現状と課題』報告
★神学生の温かさにふれた——私は半分日本人 東京聖書学院・金桂順さん
★在日大韓教会立・東京総会神学校:在日の牧師、信徒の多様化に対応。同胞への伝道者養成目指す
★召命と聖霊体験求めリトアニアから 生駒聖書学院・新井 辰康さん

 = 16・17 面 新地域宣教シリーズ・九州編=
★長崎県:禁教下「英語教師」が2人受洗
★熊本県:全国に影響を与えた熊本バンド
★福岡県:獄中回心の信徒が郷里伝道
★佐賀県:長崎で回心した村田若狭守が郷里に重荷
★大分県:除夜祈祷会リバイバルで献身
★宮崎県:開業医 林武一の伝道の情熱
★鹿児島県:西南の役前夜の伝道で幕開け

 = 18~21 面 2003新年の抱負=
★連絡協力機関・教団教派・聖書事業・学会・研究研修機関・各種団体

 = 22 面 家族のページ=
★信仰の継承を考える——子の自立助ける親の信仰 談・丸屋 真也さん
★家族参加を呼びかけ——J+Passion Tokyo 2003
★<家族診断>[5]子どもに心の金メダルを 記・碓井 真史
★<魂の健康を目指して>[4]虐げる・・・ということ知ってた?(後編) 記・矢野 悦子
★<うちのオカン>我が母親エピソード 記・内越 努


新年メッセージ:「普段着似合う神の恵み」 記・岡田 信常0301050101

新年明けましておめでとうございます!
 新しい2003年の年、世界が依然として暗闇にある中で、私たちはキリストによる輝くような希望を持ってこの年を迎えることができました。ハレルヤ! です。
私たちは新年にいろいろな期待をもって歩み出します。特に若いころは大きな期待に顔を輝やかせ、胸も高鳴ったことでありました。現在の私はキリストの信仰によって若いときと同じく、しかももっと大きな感謝を持って聖なる夢を抱くことができております。これは何とすばらしい神の恵みでありましょう。
 「希望をもつ」ということは、新しい自分のイメージを抱く、と言えましょう。活気に満ち、力にあふれ、両手に抱えきれないほどの豊かな実を結ぶ自分を思い描くことができるのです。こんな明日への喜びにあふれた自己イメージを、あなたは今年、思いっきり信仰のキャンバスに描き出すことができるでしょうか。そこで新年の夢を描く秘訣を、コロサイ人への手紙1章から見てみたいと思います。 あるべき場所に
 
 パウロは自分のことを「神のみこころによる、キリスト・イエスの使徒パウロ」(1節)と自己紹介いたしました。今の自分、今置かされている環境と仕事が、みんな神からのものであると証しし、今日あるのは神の召命である、と語っているのです。ここに確固として自分のあり方を感謝し、喜びを持って受容しているパウロの姿が見えて参ります。
 同じコロサイ1章17節には「万物は御子にあって成り立っています」とありますが、これには「あるべき、ふさわしい場所に置かされる」という意味があります。つまり、私たちは誰でもキリストの救いによって、幸いな居場所が与えられ、安心して立てる! と聖書は教えているのです。 
 読者の中にもしも悲惨な状況にある方々がおられるでしょうか。そんなあなたにも、神の御手が置かれているのです。必ず道が開けるのです。なぜなら、私たちの天の父ほど、私たちを愛し、私たちの成功や癒しを願い、勝利に満たされることを願っておられる御方はほかにはいないからです。何という神様の祝福ではないでしょうか。 信仰、希望、愛  続いて4~5節には、よく読んでみますと「信仰、希望、愛」という最大の恵みが、きちんと記されているではありませんか。よ~く見てください。?コリント13章のように見事な表現ではないのですが、それでも「信仰、希望、愛」が、さりげなく、しかもキチンと記されています。私はこのさりげなく、という所に味があると思っています。これを「日常の生活の中に福音が生かされる」と言い換えてもよいと思います。
 信仰の恵みは、何かとんでもないような力が、とんでもないように働く、と考えがちですが、神様の力と祝福は普段の生活に、さりげなく、しかしきちんと働いているのではないでしょうか。日常生活こそが信仰の活躍する場なのです。神の恵みは普段着が、とても似合い、そしてある日強大な力を発揮するのです。
  特別な宗教体験はある時には大変重要です。パウロも第3の天に引き上げられた、というような奇跡的な祝福にあずかっておりますし、彼のダマスコ途上でのキリストとの出会いも決して尋常ではありませんでした。しかし、いつも目を見張るような生活が、信仰の生活であると聖書は教えてはおりません。
 むしろ普段にこそ神さまの力が満ち溢れている。さりげないようだが、奇跡的に働いていると教えています。私たちが罪を赦されていることが奇跡なのです。喜びと感謝に満たされている、これも奇跡、愛することも、赦すことも、みんな、みんな神の恩寵ではありませんか。そして突然夢が実現するのです。
 最後にこのキリストの力を知ること、キリストの奥義を学ぶ聖書研究が恵みの源である、とパウロは主張いたします(9、10節)。今年はもっと聖書を読み、研究し、キリストの形に似る者となろうではありませんか。そこに豊かな結実(6、10節)を得るのです。  

ケータイで聖書読める「iばいぶる」−−日本聖書協会がサービス開始0301050102

02年10月現在、携帯電話の国内加入者数は7千200万を超えている。人口の約6割の人が携帯電話を利用している中、日本聖書協会(大宮博理事長、渡辺信総主事)では、携帯電話最大手NTTドコモのiモードユーザー向けに、携帯電話で聖書本文が読めるサービス「iばいぶる」を02年12月から始めた。
 内容は同協会が毎年発行している「聖書愛読こよみ」のiモード版による今日の聖書日課。クリスマスやイースターなどの教会暦に適合した、その日の聖書のことばが表示される。ほかに新共同訳/口語訳聖書の本文検索サービス、写真家横山匡氏撮影の聖書の史跡、動植物の画像を掲載する「ばいぶるフォトギャラリー」など。
 本文検索サービスでは、読みたい個所を指定して開くメニュー検索、書名とキーワードを指定して目的の聖書個所を検索するキーワード検索で検索できる。新共同訳、口語訳相互に同じ個所を参照できる。「ばいぶるフォトギャラリー」の写真はダウンロードして、待ち受け画面としても利用できる。月ごとに新しい画像の追加更新が行われる。
 携帯電話のインターネット接続サービスの加入者は、携帯電話加入者の80%5千700万人とかなりの数字だ。同協会では「通勤、通学時、昼食時、休憩時間、待ち合わせ時間など、ユーザーが聖書をもたない場面において、簡単な操作で検索し聖書本文を読める環境を提供する」としている。EZwebやJ—スカイなど、ほかの携帯電話会社のインターネット接続サービスでも一部利用可能になっている。iばいぶるのアドレスはhttp://www.bible.or.jp  

信徒を家庭に戻す。礼拝は朝10時半じゃなくたっていい−−ハーベスト・チャーチ山梨の午後礼拝を訪ねて0

JR中央線が甲府盆地にさしかかると、一面にブドウやモモの果樹園が広がる。山梨県塩山市、勝沼町、一宮町の一帯は「くだものの里」で知られる。塩山市にあるハーベスト・チャーチ山梨(開登翔牧師)では、日本のプロテスタント教会で一般に日曜礼拝が行われる午前10時半に、礼拝をしていない。農村では日曜であっても午前中は忙しい。組合の共同作業もある。ならば、その時間帯を外そうと、早朝と夕方に礼拝時間を変えたのだ。それは一見、教会員のためのように思われるが、実は、教会が福音を伝えようとする地域住民のための視点だという。晩秋の日曜日、「くだものの里」を訪ねた。  西の空に日が落ちるころ、塩山市の住宅地にある教会に人々が集まってくる。ハーベスト・チャーチ山梨の日曜礼拝は、午後4時から6時まで。ほかに早朝礼拝が朝6時から7時まであるが、それ以外は午前中にプログラムは何もない。礼拝時間を地元に合った形にしようと、2000年6月から、午前10時半の礼拝を取りやめ、現在のような時間帯に変更した。   強い迫害のなかで家から離れる信徒  開登牧師が20年前、当時の塩山教会に赴任したとき、教会に集っていたのは高校生の女の子とおばあさんだけだった。男性が救われない。それ以前の26年間にわたり、8人の宣教師が塩山の伝道に挑戦したが続かず、ことごとく挫折していた。
 開登牧師自身、塩山に来てから7年間は、隣近所の人にあいさつしても無視され続ける悲哀を味わった。「ショックでした。花壇にペンキをかけられたり、動物の首が置いてあったり、縁の下に5トンぐらいの水を流し込まれたこともあります」
 迫害が強い分、教会に残った少数の信徒たちは徹底的に戦い抜いてきた。教会に行くことを地域社会からも家族からも良く思われない。そうした中で信仰生活を守り通してきた信徒たちは、一度は家から追い出されるなどして、精神的に地元から離れている。
 数は少ないが、質は高い。だが、それでいいのかと疑問が頭をもたげた。——クリスチャンが家庭から離れるのでなく、もう一度家庭に戻さなければ、キリスト教への偏見の強い地方で伝道はできないのではないか。男性が救われないのも、クリスチャンが生活の場から離れてしまっているからではないか……。
 「クリスチャンは、迫害を受けてでも、日曜日は家族から逃げるようにして礼拝に来て自分の習慣を続けることが一番楽なのです。そっぽを向いて出て来てしまえば、実は心地よい。しかし本当は、教会員のためではなく、山梨の人たちのためを思うなら、それではいけないのではないかと考えるようになりました」
 思い切って礼拝の時間を変えると、それまで10時半の時にはほとんど来なかった「普通の奥さん」たちが、礼拝に出席するようになった。
 彼女たちは、同教会の日曜学校で育つなどして信仰をもってはいたが、結婚して農家の嫁になると、日曜の午前中には教会に来にくかった。だが、彼女たちが救われると、その子どもたちが教会に来るようになり、やがてクリスマスには家族で来るというように、ゆっくりではあるが家族単位で教会とかかわりをもつケースが増えてきていた。
 「以前は、この地域にクリスチャンホームは無理なのかなという気もしていましたが、恋愛をしたら相手を導くように指導しました。10年ほど前から徐々に信仰に導かれる家庭が起こされ、今では数家族になっています」
 その貴重なクリスチャンホームにとっても、日曜の礼拝を守るということは大きな戦いだった。ブドウ農家の朝は早い。観光農園では、限られたシーズン中の日曜日は書き入れ時だ。組合の共同作業もよく日曜の午前中にある。その時間に礼拝を守ろうとすれば、共同体の責任を放棄することになってしまう。
 収穫期は10月で終わるが、普通の農家なら農閑期の冬場も、ブドウ園では枝の選定作業で忙しい。切った枝を燃やすのは主婦の役目だ。冬の間に枝を手入れしておくことが、来期の収穫を左右する大切な仕事なのだ。
 それに加えて嫁の立場では、年寄りの食事の世話や家事もある。農家の嫁の大変さは並大抵ではない。
 礼拝時間を早朝と夕方に変えると、朝6時の礼拝に求道中の農家の嫁が夫を連れて出席する、などということも起こってきた。午後礼拝には、車で1時間かかる明野村から出席する人もいる。