[CSD]2007年8月26日《ヘッドライン》

[CSD]2007年8月26日《ヘッドライン》
 = 1面 ニュース=
◎平和のためにできること——子どものための8・15集会
★米国:教会指導者の連合が大統領候補者に中東和平への取り組みを要請

 = 2 面 ニュース=
★「脅威を『排除』する時代は去った」——平和遺族会全国連合会の集い
★「暗闇から暁へ」——国のために祈る夕べ
◎日中間での歴史認識の共有必要——平和のための証言集会
★<落ち穂>1年前のパゴダ公園で

 = 3 面 =
★一同で「平和のための祈り」——同盟基督・世界宣教大会
★憲法9条に見る平和預言の成就——JECA南関東地区平和祈祷会
◎「平和・自由のため声を発し続けたい」と中谷康子さん——靖国国営化阻止8・15集会
★<オピニオン>ネットワーク&コラボレーション 記・杉本 玲子

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★経営にも祈りが必要 社内で祈祷会始める——坂本 旭さん[中](ミクニキカイ[株]代表取締役会長)
★<セールスウーマンの楽しい伝道>[1]なぜ伝道しなければいけないの? 記・渡辺明日香

 = 5 面 情報 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★BOOK:『愛するとき奇跡は創られる』宋 富子著(三一書房、1,995円税込)
★BOOK:『負けて勝つ神』野口泰介著(文芸社、1,575円税込)
★BOOK:『教会役員ハンドブック』楠本史郎著(日本キリスト教団出版局、1,050円税込)
★REVIEW:『私の愛国心』クリスチャン新聞編(いのちのことば社、735円税込)評・朝岡 勝

 = 6・7 面 特別座談会 =
★リバイバルの波の乗る日本の教会——ラブ・ソナタ パネルディスカッションより
座談会出席者:池田 博・大川従道・峯野龍弘

 = 8・9 面 特集/アシュラム =
★主とともに歩む栄光の道——[宗]アシュラムセンター主幹牧師に榎本 恵氏
★インタビュー:「主がお入用なのです」——榎本 恵牧師に聞く
★新しいアシュラムの展開を期待——後宮 俊夫(同センター常任運営委員長)
★祈りの炎を人々に伝えて——山岡 三治(上智大学副学長)
★恵先生の活躍に期待——三浦光世(三浦綾子文学館館長)
★主に従って最後まで——高 俊明(元台湾基督長老教会総幹事)

 = 10 面 教会学校 =
◎子どもと大人が学び合う——第6回「子どもの友セミナー」
★秋にジョイジョイフェスティバルinウオコハマ2007開催(10月16日)
★<CS分級アイデア>ちいさなものを集めて——思い出の額縁 記・石橋えり子

 = 11 面 クリスチャンライフ =
★新連載<戦争を知らないあなたへ>[1]焼け野原で守った礼拝——山田幸子
★<私の子育て失敗談>[32]そのままで愛されているよ 記・斎藤 望

 = 12 面 教会 =
★「三浦綾子読書会」通して受洗者も——聖泉基督・東京ミレニアムチャーチ



◎平和のためにできること−−子どものための8・15集会=0708260101

 敗戦の日の8月15日、各地で様々な平和集会が開かれた。【2、3面に関連記事】 東京・新宿区砂土原町ルーテル市ヶ谷センターで開かれた「第34回靖国国営化阻止8・15東京集会」(東京集会、同実行委員会主催)では、並行して「第8回子どものための8・15集会」(子ども集会)を開催。子どもたちがゲームや紙芝居を通して平和を考えた。また、韓国から来日した子どもたちが集会を訪れ、東京集会では従軍慰安婦に関する訴えをし、子ども集会では日本の子どもたちと交流をもち、ともに平和について考えた。  今回訪れた韓国人らは、医療や福祉、ボランティア活動などを行う韓国のNPO法人「外国人労働者の家」のメンバーら18人。そのうち、11人が小・中・高校生の子どもたちだ。来日のきっかけは、高校生の金民夏さんが元「従軍慰安婦」の女性と知り合ったことから。「従軍慰安婦」にされた女性たちに、日本政府からいまだに何の補償もされていないことを知った民夏さんは、日本政府に抗議をしようと決意。牧師であり、「外国人労働者の家」の代表を務める民夏さんの父、金海性さんら数人の大人が付き添い、あくまで子どもたち主体で来日した。
 集会に参加した民夏さんらは、東京集会では「慰安婦が受けた苦しみに対して、日本政府からは何の補償もないままです。この問題を解決しなければ、同じ過ちを犯してしまう危険性があります。日本は戦争で被害を与えた国々に公式に謝罪し、その歴史を忘れず、覚えていてほしい。真の平和というものは、徹底的な反省のもとに成るということを忘れないでください」と訴えた。
 子ども集会は、韓国の子どもたちを加えて30人ほどが参加。「みんなで平和を祈ろう、願おう、つくろう」と歌う平和の歌や、微力な「おじいさん」が「自分にできることから」と始めた平和の行進が、やがて長い行列となった紙芝居などを通し、子どもたちが「どうすれば平和になるのだろうか」と考える機会を設けた。また、日本キリスト教団三・一教会牧師の平良愛香さんが沖縄の楽器「三線」を弾きながら「沖縄の基地から、爆弾を落とす飛行機が飛び立っていく。戦争でつらい体験をした沖縄では、多くの人が新しい基地建設に反対しています。平和を守る戦いには、敗者はいません。まず自分たちにできることをしていくことが、平和をつくることにつながるのでは」と、子どもたちに静かに語りかけた。
 グループに分かれ、「『戦争』と『争い』という言葉を使わずに『平和』を表現する」というテーマでは、日韓の子どもたちが言葉の違うなかジェスチャーを交えながら相談。「みんなでお風呂にはいること」、「みんなが笑顔で手をつなぎ大事にすること」、「国境がない約束」など様々な答えが飛び出し、子どもたちそれぞれが「平和とは何か」を意識するひとときとなった。

◎日中間での歴史認識の共有必要−−平和のための証言集会=0708260203=

 南京大虐殺から今年で70年。中国侵略の象徴とも言われるこの事件に注目し、日本の「いま」を改めて考え直そうと、「2007平和のための証言集会─日中戦争70年─南京虐殺と日本のいま─」(同実行委員会主催)が8月11日、東京都千代田区の東京しごとセンターホールで開催した。   ◇  集会の意義について、同実行委員会代表の西川重則氏は「今年は南京大虐殺から70年、日本国憲法が制定されてから60年。日本の侵略・加害の歴史を忘れないため、意義のある年としたい。日本が戦前戦中、中国に対して何をしたのかを歴史の事実に基づいて学び直し、多くの方々に訴え続けることが、何よりも大切」と語った。 集会ではパネルディスカッションが行われ、「戦争責任を語ることの難しさ」について議論が交わされた。パネリストは張連紅氏(中国南京師範大学教授、南京大虐殺研究センター主任)と笠原十九司氏(都留文科大学教授)。 最初に司会の丸川哲史氏(明治大学教員)が、日中それぞれにとっての「戦争責任」に対する認識と、それに至る経緯を解説。「東京裁判で裁かれたのは主に軍人、政治家。日本国民にとっては、戦争責任を自分のこととして考える機会にはなりえなかった。中国では戦後、朝鮮戦争の開始や中ソ論争の公然化など、転換期が次々と訪れ、『戦争責任』に目を向けることは難しく、日中間で歴史認識を共有する時間がつくられなかったといえる」と語った。 張氏は、80年代初期に始まった中国での南京大虐殺の研究が進み、日中間での事件に対する学術的な認識の差が少なくなってきたこと、90年代以降は国民の間にも事件に対する関心が深まってきたことなどを挙げた。その上で「日中両国は歴史の重荷ときちんと向き合い、手を組み、ともに不幸な歴史のコンプレックスからの脱出を図ると同時に、日中間共同の財産へと転化させるべきである」と訴えた。 笠原氏は、「自民党・安倍政権は南京大虐殺事件の真実を否定、抹殺、忘却させようとしている」として、南京大虐殺を否定する趣旨の映画の制作や、自民・民主議員らが米ワシントン・ポスト紙に「従軍慰安婦」の強制を否定する意見広告を掲載したことなど、次々と例を挙げて警鐘を鳴らした。「現在の政界・財界には、東京裁判で裁かれた戦争責任者らや、旧陸軍・海軍将校の2世、3世がそろっている。そのため、彼らはどうしても『侵略戦争はなかった』という方向にもっていきたい」と、その背景を解説した笠原氏は「日本の国民が歴史に甘い。国民が真相を知らないことがどんなに恐ろしいか。研究者が事実を明らかにし、この歴史の転換期に改めて未来を考えていかなければならない」と指摘した。

◎「平和・自由のため声を発し続けたい」と中谷康子さん−−靖国国営化阻止8・15集会=07082603

 8月15日、東京新宿区の市ヶ谷ルーテルセンターで「第34回靖国国営化阻止8・15東京集会」(主催・同実行委員会)が開かれた。「平和のつくりかた~剣を鋤に~」と題されたこの集会に、元自衛官合祀拒否訴訟原告の中谷康子さんが講演。当日は、150人を超える人が集い、講演に聞き入った。
 元自衛官合祀拒否訴訟から16年たち、今の日本の現状にも触れながら改めて裁判について、活動の意義について語った。
 「自衛官の夫が勤務中に事故で亡くなって、山口県の護国神社に祀られると聞いた時、まず『いやだ』と思いました。難しい法律はよくわからなかったけれども、『いやだ』という気持ちの一心で15年に及ぶ裁判を闘いました。でも、訴訟を起こすまでにもたくさんの障壁がありました。『自衛隊のおかげで生活できていたくせに』といたずら電話や手紙をもらったり、家族からは『合祀は名誉なこと。あなたのわがまま』と言われたこともありました。何も知識はなかったけれど、たくさんの支持者や学者、弁護士の方々に支えられて闘って、最後まで貫いて本当によかったと思います。もう一つ、この訴訟を続けられたのは、多分、子ども時代に戦争を体験しているからだと思います。その頃、学校で言われて慰問袋を出した時、そこに『兵隊さん敵をやっつけてください。私たちもがんばります』と書いたのをはっきり覚えています。私もまた戦争に加担したような責任を感じています。今の子どもたちには絶対こんな思いはさせたくない、戦争に巻き込ませてはいけない、と平和を繰り返して唱えていきたいです。最初私が訴訟した頃は、初めてのことで声を出すのも大変でしたが、今は一般の人も靖国合祀反対など、随分言いやすくなったと思います。でも、昨今の社会の動きには不安を感じています。敗訴はしましたが、思想・信教の自由が守られていません。平和や自由が守られるように声を発し続けていきたいと思っています。神様は必ず答えてくださると信じてます」
 参加者の中には、同訴訟初期からの支持者などもおり、久しぶりの再会を懐かしむ場面も見られた。