悔い改めて戦争を止めるのも人間

わが国の昨今の安全保障政策をみたときに、仮想敵国をロシア、北朝鮮、中国に置くなど古典的な脅威対抗型戦略に基づいた軍拡へと向かい、そのために重要な倫理的動機をもつ平和憲法が改悪されつつあります。

2015年には集団的自衛権の行使容認とならんで「国際平和支援法」(戦争法)が国会で可決され、22年末には閣議決定した安全保障関連三文書に、相手国領域を攻撃して日本へのミサイル発射を阻む敵基地攻撃能力の保有が明記されました。

憲法下での防衛政策の基本は、安倍政権が「集団的自衛権の行使」を解釈改憲で容認するまでは「専守防衛」でした。しかし、安保法制によって「存立危機事態」に他国の戦争に参加することが可能となったのです。岸田内閣による「安保三文書」では、自衛隊が米軍のミサイル戦略を補完し、日本が攻められないうちに先手を打ち、「台湾を防衛する戦争」に協力することがもくろまれています。これは、国際法の違反にあたります。過去の教訓に学ばず、神を畏れぬ為政者の傲慢と愚かさを思わされます。

 台湾と沖縄の対話

数年前に米国の軍人と政治家によって策定された「台湾有事」は、対中国戦争計画の「想定」にすぎませんでしたが、日本がこれに過剰に反応し、沖縄、南西諸島のみならず、国内の米軍基地、自衛隊基地、民間の空港や港湾、市街地など日本全土を戦場とする全面戦争として政府は捉えています。しかし自衛隊の軍事力が強化されても、米軍が来援することはなく、ウクライナ型の代理戦争になる可能性が高いといわれます。さらに日本が敵基地攻撃を行えば、必ず報復攻撃を招きます。日本が敵基地攻撃能力を配備し、周辺国から攻撃されたとしても、米国が日本の「敵国」を攻撃することはないのです。そうなれば日本のみが、経済的に多大な被害を受け、沖縄をはじめ日本全土が戦場となり、多くの国民の命が奪われることになります。

政府の軍拡・安保三文書が示す「国民の生命・身体・財産の安全の保全の確保」は、本来の安全保障と逆行するものです。世界各地の紛争において「存立危機事態」を認定し、他国の戦争や武力行使に介入すれば、日本国民の生命・財産は間違いなく深刻な危機に晒(さら)されます。近年、台湾と中国の間における通商や交流は拡大傾向にあります。すでに沖縄と台湾の市民は対話を重ね、「台湾有事」「沖縄有事」を起こさせない取り組みを行っています。かつての戦争で唯一の地上戦を経験した沖縄で、政府の軍拡、安保三文書への抗議の声が広がっているのです(伊波洋一『戦場にさせない―沖縄からの「台湾有事」』)。

 神、人との対話

教会は、他者のための存在としてのキリストに基礎づけられた共同体です。イエス・キリストは他者のために最後まで仕え、苦しみを担い、十字架の道を歩まれました。ゲッセマネにおいて主イエスが私たちに示されたのは、「目を覚ますこと」であり、「祈ること」でした。

破局の時代にあって十字架の主のみ言葉を聴き、黙想し、祈る(神との対話において自らの信仰を吟味する)ことが、他者との対話や交わりをより豊かなものとします。

キリストのからだから世界に散在し、約束の成就を信じて歩む、そのような終末的信仰と愛に建つエキュメニカルな共同体が教会です。キリストにおいて神ご自身が、人間の破れを補い、約束を成就してくださいます。

ですから、わたしたちは絶望する必要はありません、、、、、

2024年05月05日号 04面掲載記事)