[CSD]2004年5月9日《ヘッドライン》

[CSD]2004年5月9日《ヘッドライン》
**次週5月16日号は休刊です。次回の発行は5月23日号となります。**  = 1面 =
★祈りが、がん闘病の支えに——女優・三ツ矢歌子さん、最後は勝利の凱旋
◎居酒屋が教会堂に——無牧・閉鎖の危機から献堂へ・野上キリスト福音教会
★イスラエル:「町から出て行け」——信者に圧力強まる
★<恵みのどんでん返し>顔を引きつらせながら賛美しました 記・松本 章宏
★<落穂抄>わかりやすい宗教法人ガイド=

 = 2 面 =
◎宗教性あるが公金支出は合憲——矛盾はらむ「東京即位・大嘗祭違憲訴訟」高裁判決
★<聖書訳語の最前線>[4]「償いとして」 記・木内伸嘉
★<論説>主日礼拝の祝福——労働と休息のバランスの鍵 記・内川 寿造
<情報クリップ>催し情報ほか
(**「今週の本棚」は休みました**)

 = 3 面 特集:異端・カルト対策=
★「カルト化」から再建へ——悔い改め、自己検証する東京キリストの教会
★エホバの証人離婚裁判から見えるもの——家庭の回復に必要な立法措置を 記・中澤啓介

 = 4 面 全面広告=
★「タヒボ」(健康茶)~神からの恵みを多くの人に~
——タヒボジャパン正規代理店アライブインターナショナル——

 = 5 面 =
★映画「石井のおとうさんありがとう」岡山でクランクイン——石井十次役・松平健、洗礼シーンで渾身の演技
★「今を生きるバッハ」との出会い——朗読者と4人のソリストで「マタイ受難曲」
★ゴスペル・チームのための伝道集会に、家族や知人も聴衆で参加——大阪セントラルグレースチャペル
★本郷台キリスト教会「40年の歩み」を本にーー『ダイヤモンドの光』を自主刊行
★<笑顔の力>[5・最終回] 作・田島直秀(ペンライト賞佳作)

 = 6 面 チャ・チャ・チャーチ=
◎事故で知った「神の家族の愛の底力」——世界中の祈り「集めた
★<ちいろばの心>[9]主を知る知識 地に満ちる 記・榎本保郎/榎本
★<カウンセリングカフェ>[13]同じレベルで受けとめよ  記・丸屋 真也
★<家族診断>[19]不十分でもみんな子どもの味方 記・碓井 真史

居酒屋が教会堂に−−無牧・閉鎖の危機から献堂へ・野上キリスト福音教会0405090102

 埼玉県西部の秩父山系にある秩父郡長瀞町で、町唯一の教会である日本リバイバル連盟・野上キリスト福音教会(中村準一牧師)の新会堂が誕生し、3月28日に献堂式が開かれた。これまで同教会は保育園の一室で礼拝を守ってきたが、土地と建物を競売で落札し献堂に至った。かつては信徒がただ1人で守ってきた時期もあったが、式では、建物の前身を知る近所の住民にも祝福され、新たなスタートをきった。
 同教会は1950年代、センド国際宣教団(旧極東福音クルセード)の宣教師によって開拓された。しかしいつしか無牧となり、信徒も1人、2人と減少。形を失ってしまった教会をただ1人で守ってきたのは、3年前天に召された男性信徒だった。やがて近隣にある寄居チャペルに中村牧師が赴任し、兄弟教会であった野上も兼牧するようになったが、集う信徒は2、3人、ときには1人のときすらあった。そんな中で、「野上に会堂を!」「専任の牧師を!」といった願いは高まり、野上、寄居の両教会で祈りがささげられてきた。
 会堂となった土地・建物が競売に出されたのは昨年11月。167坪の敷地に16・5坪の建物つきで最低価格が1千57万円と、相場から考えれば格安の値段だったが、それでも会堂積立金では数百万円及ばない。いったんはあきらめかけたものの、祈りに応えられるかのように次々と資金が満たされ、最低価格の2割増の金額で落札に成功した。
 実はこの物件、放漫経営のためつぶれた居酒屋だった。「落札後、片づけのために建物内に足を踏み入れた時のことを忘れることができない」と中村牧師夫人、日出子さんは語る。敷地も建物内にも至るところに膨大なゴミがあふれ、アルコール臭が充満していた。現在はきれいに掃除され、リフォームが施されているが、それも両教会員の積極的な協力があってのこと。それまで飲み屋という快楽の場であった建物は、賛美と祈りがあふれる主の宮へと文字通り大変身をとげた。
 野上を閉鎖しようという声がなかったわけではない。だが「数十年前の宣教師の伝道、男性信徒のたった1人での教会死守、各時代の近隣の牧師、寄居の牧師の応援、それらの上に兄姉の熱い祈りに、主、ご自身が働き、動いて下さった」と日出子さんは語る。
 献堂式には教会関係者だけでなく、近隣の住民にも案内を出した。「クリスチャンだけでなく、未信者の近所の方こそ大切にしなければならない」というのが中村牧師の考え。近所の人も、ゴミ屋敷が教会に変わったことを喜んでいるという。
 「近くに行政の中心である役場はあるが、この教会は町の霊的な中心地になれば」と中村牧師は語り、この教会が来るべきリバイバルの受け皿となることを信じて、一同祈りに励んでいる。

宗教性あるが公金支出は合憲−−矛盾はらむ「東京即位・大嘗祭違憲訴訟」高裁判決0405090201

 天皇の即位の礼・大嘗祭の諸儀式は、憲法20条、89条の政教分離原則、1条の国民主権原理、象徴天皇制に反する違憲・違法なものであるとして、都内のキリスト者・市民らが、当時の鈴木俊一都知事らを相手取り諸儀式に支出した公金の返還を求めていた訴訟の控訴審で、東京高等裁判所(相良明紀裁判長)は4月16日、都知事が天皇即位にかかわる宮中諸行事に参列したこと、および関連の祝賀行事は憲法の諸規定に違反しないとする一審判決を支持し、控訴を棄却する判決を言い渡した。戦前、国家と神道が天皇制において結び付いていた体制を容認したことを「戦争責任」との関連で反省したキリスト教界では、多くの教派・団体が、天皇の代替わり儀式に国や公共機関が関与することに強く反対の意思を示していた。鹿児島、神奈川など各地で提訴された同様の裁判で最後の高裁判決となった東京高裁の判断は、またしても憲法を踏みにじる不当なものだとして上告する。
 判決理由は政教分離原則について、行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉になるかという「目的効果基準」を援用。「即位の礼正殿の儀」は天孫降臨神話に由来するものであり、神道と密接なつながりを持った儀式として行われてきたことなどからみて「宗教的色彩が完全に払拭されているということはできない」としつつ、目的効果基準に照らし相当の限度を超えるものとは認められないと判断。都知事の参列は社会的儀礼を尽くす目的で、宗教的意義を持つものではないとした。
 また、より神道色が濃い「大嘗祭」関連の儀式については、「象徴としての天皇が主宰するものではなく、天皇個人又は皇室の私的な信仰に基づき行われたものであり、それゆえに国事行為の費用を宮廷費から支出し行われた」と認定。皇室の私的行事の費用を宮廷費から支出したことなどで国がかかわっていても国が主催したものと位置付けることはできず、「その挙行自体については、政教分離原則違反の問題が生じる余地はない」とした。
 その一方で判決は、天皇代替わりが日本国統合の象徴としての地位の承継を意味することからすれば、皇室行事には公的性格があることを否定できず、国や地方公共団体が社会的儀礼としてその代表を参列させ祝意を表明させるなど、世俗的目的のもとに、公的な配慮をすることは当然に容認されるべき、と矛盾する判断を示した。  「天皇制の伝統は連綿」——矛盾はらむ危険な強弁  こうした判決の矛盾について原告弁護団は、「即位の礼・大嘗祭」の宗教性を詳細に論証した原告側の主張を裁判所は否定できず、宗教性を認めながら、公人の参列は社会的儀礼だと強弁することによって、憲法違反の検討から逃げたものとみて強く反発している。
 この点で関係者が注目しているのが、国事行為として「即位の礼正殿の儀」が政教分離違反かを検討した際の相良裁判長の論法だ。「宗教的色彩が相当に残っており、不十分であるという考え方もあり得るところではあるが、他方、我が国の歴史の中で連綿と維持されてきた天皇制の伝統の重みは、神道という宗教的要素を取り除いて見た場合にも、我が国の精神文化の中に脈々と生き続けており、この点は戦後象徴天皇制への変革がされ天皇の地位が法的には全く新しいものになったといっても、なお変化しない」と、本来の司法の法的判断を大きく踏み越え、精神文化論を展開している。
 献堂式には教会関係者だけでなく、近隣の住民にも案内を出した。「クリスチャンだけでなく、未信者の近所の方こそ大切にしなければならない」というのが中村牧師の考え。近所の人も、ゴミ屋敷が教会に変わったことを喜んでいるという。
 弁護人らは「裁判官は、即位の礼・大嘗祭は宗教性を払拭できないと認めざるを得なかった。しかし、それでも公金を支出してよいのだと結論するために、『伝統の重み』『精神文化』を持ち出さなければ理屈をつけられなかったのではないか。学会で物笑いの種になる一節だ」とみる。
 だが、戦前の国家神道体制が、「神社は宗教ではない」と強弁し、神社参拝などの宗教行事に参与することを「国民儀礼」という言葉でキリスト者にも強要していった歴史を考えると、この「精神文化」発言は、戦前・戦後の天皇制を一貫したものとみている点で見過ごしにできない。現在の教育現場での「日の丸・君が代」の強制や、文部科学省発行の教材『心のノート』が我が国の伝統文化を強調する形で「愛国心」を奨励する動きなどと併せてみれば、「学会の物笑い」だけではすまされない。戦前に通じる危険な芽が司法の土壌に現れてきたことを注視し、警戒すべきではないだろうか。

事故で知った「神の家族の愛の底力」−−世界中の祈り「集めた」04050920601

 「ブレーキが効かない」。5年前の99年7月27日、田沼(旧姓高橋)晶子さん(単立・幸手キリスト教会副牧師)運転の車は、北海道喜茂別町の中山峠を猛スピードで下っていた。バイブルキャンプ参加のため主婦1人と中学生2人を乗せた車の異常を、別の車を運転していた晶子さんの父、養二さん(単立・札幌めぐみキリスト教会牧師)は察知し、大慌てで追いかけた。その先で養二さんが見たものは、道路標識に激突し大破した車だった。同乗の3人は比較的軽傷だったが、晶子さんは出血がおびただしく、重傷だった。養二さんは「晶子! お父さんだよ」と懸命に呼びかけた。   家族の祈る力  「病院で『完全に元通りにしてください』と祈りました」と養二さん。しかし、晶子さんは外傷性くも膜下出血、脳挫傷、顔面挫傷、顔面骨骨折、右外傷視神経症、右血気胸、両肺挫傷、骨盤骨折…、全身傷だらけ、輸血も22リットルにも及び状態は厳しかった。
   悲しみの中にある母の梨枝子さんに晶子さんの弟、信さんは、「先生は『絶望です』とは言われなかったね。だから祈ろう」と語りかけた。こうして家族に祈る力が与えられた。信さんは自宅の部屋で、涙を流して祈っていたという。
 どうして車のブレーキが効かなかったのか、事故の原因は今も不明だ。事故後、晶子さんは事故の瞬間の記憶を失っていたが、2か月後、突然「主よー、主よー」という祈りのことばを思い出した。それは同乗の主婦の声だった。同時に自身が発した「御手に委ねます」という祈りも思い出した。車は運転席側から道路標識に激突したが、支柱を軸に車体が回転したためにショックがやわらげられた。「車の衝突の個所を神様が決めてくださった」と晶子さんは語る。   愛の底力   晶子さんのことを聞いて、教会員、キャンプの参加者、教団教派を超えて多数のクリスチャンらが癒しを祈った。24時間の連鎖祈祷が行われ、祈りが尽きなかった。「あなたみたいに、こんなに祈られた人はいないよ」と言われた。晶子さんを知る人も、知らない人も祈った。
 アメリカからは「日本の宣教師であった私は今も日本人を愛しています。そして、あなたのために祈っています」と震える字で書いてきた、当時88歳の女性がいた。  晶子さんも養二さんもそろって、「神の家族の愛の底力を感じた」と語る。祈りが一番の力だった。   「神の側の存在」  晶子さんは劇的な回復を見せた。晶子さんの兄弟たちは、回復しつつある晶子さんの頭をよくなでたという。聖書のことばをベッドサイドに貼って励ました。両親も食事を作って運んだ。そんな姿に病院の看護師は、「家族について考えさせられた」と口にした。
 事故から1か月後、晶子さんは右目の視力を失っていることに気づく。しかしその時、左目で、妹の容子さんがもってきたひまわりの花が見えたことに、見える喜びでいっぱいになり「神様に感謝した」。親子はともに泣いて祈った。
 事故当時、東京聖書学院の神学生だった晶子さんは、元気になってくると「学院に帰らなければ」と言うようになった。事故から5か月後、骨盤の手術などを乗り越えて退院した。学院に復帰し、卒業後、牧師の父のもとで伝道師として働いた。養二さんは晶子さんを、神に愛される「神の側の存在」として迎えた。「自分の子どもをこのように迎えることができたのは幸福でした」と語る。   母として  晶子さんは2年前に結婚。夫の和幸さんは父と同じ牧師だ。昨年7月には長男幸士くんが産まれた。骨盤を損傷した女性が出産するのは危険を伴うといわれたが、事故後入院した同じ病院で無事出産。病院関係者の喜びもひとしおだった。
 「幸士を育てていく中で、両親に『たくさんの愛をありがとう』の気持ちでいっぱいになります」と晶子さん。今、妻として、母として、牧師として日々元気だ。