©Jafar Panahi and Mojtaba Mirtahmasb
©Jafar Panahi and Mojtaba Mirtahmasb

時の政権と思想信条を表現する自由とは時折り、激しくぶつかり合う。当然、権力を行使する側の政治力に、表現する側は常に痛めつけられるところから始まる。ジャファール・パナヒ監督は、2010年12月20日に「国家安全に対する反逆を企てた」という罪で、禁固6年と映画製作、イラン国外への出国、マスコミとの接触を20年間禁じられる判決を受けた。そのご保釈金を支払い在宅軟禁の状態にある一日をハンディカメラとiphoneムービーで撮った記録。自宅の中で語る映画についての一コマ。人間の自由な思考を止めることはできない。プロテストする力の源泉が、日々の生活を記録するところから湧き出る感覚が深く心に届いてくる。

映画監督の性なのか、家人は言われた通りにハンディカメラをスイッチオンにしたまま外出している。ただカメラをまわして、時折り自分を定点撮影する。撮影禁止になり告訴されたときの脚本について語り始める。セットもせず役者も登場せず、ただ脚本の説明を記録するだけなら「これは映画ではない」とつぶやくパナヒ監督。友人のモジタバ・ミルタマスブ監督を自宅に招き、リヴィングにマーカーテープを貼り、主人公の女性の部屋と家の様子から脚本に沿って説明を始める。カメラを回すミルタマスブ監督。

時折り、軟禁後の世界の映画人たちからの支援の様子や弁護士とのやり取りなどを話題にするパナヒ監督。脚本の説明を撮っている途中、突然、かつての作品でのシーンに話しが及ぶ。ロケショーンシーンでのセリフや表情を超えた状況設定の説得力の大きさ。素人俳優の計算を超えた表情の力強さ。

©Jafar Panahi and Mojtaba Mirtahmasb
©Jafar Panahi and Mojtaba Mirtahmasb

ロケショーンも俳優もいないこの撮影は、映画なのだろうか。「(脚本を)読んで済むなら、なぜ映画を撮るんだ」とつぶやくパナヒ監督に、ミルタマスブ監督は「大切なのは記録することだよ」と答える。気を取り直して、脚本の説明を追っていく。

TVニュースで流れる昨年3.11東日本大震災による津波の映像。その頃の撮影であることがうかがわれる。この日は’火祭りの日’。渋滞に巻き込まれたスタッフからの電話にも、警察官に対する対応に細やかにアドバイスを送り無用なトラブルを起こさないよう心を配る。やがてアパートの住人が「ペットの犬の面倒を見てほしい」と頼みに来た。前の経験から体よく断る。そして、管理人の義兄がゴミ出しの代理でやってきた。なにかと話が合い、青年を撮影し始めるパナヒ監督。自由な発想、自由な行動から生まれる自由な表現はだれにも止められない。それだけに「裁判は法律ではない。裁判は政治なのよ」という支援者の一言が印象に残る。政治へのプロテストなら、やはり日々の生活を力の源泉にという姿が、この作品から聴こえてくる。 【遠山清一】

監督:ジャファール・パナヒ、モジタバ・ミルタマスブ  2011年/イラン/75分/英題:This Is Not a Film ペルシャ語題:In Film Nist 配給:ムヴィオラ 9月よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開。

公式サイト:http://www.eigadewanai.com