映画「教誨師」ーー生と死、罪などの問いを死刑囚らと真摯に向き合う会話劇
いま日本にはおよそ2000人の教誨師が、拘置所や刑務所・少年院などの矯正施設で収容されている者の宗教上の希望に応じて、受刑者らの心の救済に努め、回心へ導こうと奉仕されている。教誨を受けようとする受刑者の宗教・信条が反映するため教誨師の66%が仏教系、キリスト教系は14%という。今年2月に急逝した演技派俳優・大杉漣がキリスト教プロテスタント牧師で教誨師の佐伯保役を主演し、自身初のプロデュース作品が遺作となった話題作。物語構成の中心は、佐伯牧師が教誨室で6人の死刑囚と交わす会話。いつ処刑されるのか分からない恐怖。“死”に直面させられている死刑囚たちが捉える“生”への執着やあがきが、緊迫した空気感のなかで時にはユーモアを交えた多様な会話によって死刑囚たちの人間性を浮き彫りにしていく。佐向大監督のオリジナル脚本、出演俳優たちの好演が、“死”を突きつけられている者たちからの“生”への物語を作りあげている。
死刑囚6人の人間模様から
描かれる命奪われる恐怖心
半年前に教誨師に就任した牧師の佐伯保(大杉漣)は、拘置所を訪れ6人の死刑囚たちと月2回定期的な教誨面談を行っている。拘置所外部の人間との接触が厳しく制限されている死刑囚たちに、堂々と讃美歌を歌い聖書の話を語り合える。一方で、死刑囚たちにとっては、自分の心情を語り、ときには心の憂さぶつけることができる存在でもある。
教誨する死刑囚たちは、いずれもくせ者ぞろい。ヤクザの組長の吉田睦夫(光石研)は面倒見のいいお節介だが、まだ隠している犯罪があると佐伯にほのめかし裁判での死刑延期を狙う。当初は無言を貫き佐伯に何もしゃべらなかった鈴木貴裕(古舘寛治)は、徐々にストーカー殺人の被害者と彼女の家族のことを話し始めるが自分は悪くないと思っている。関西出身のおしゃべりな野口今日子(烏丸せつこ)は、自分が主犯格として死刑になることが不服だ。息子の喧嘩相手と彼の親をバットで殴り殺してしまった小川一(小川登)だが、息子は面会にも来ない。福祉施設の入所者17人を殺傷した高宮真司(玉置玲央)は、社会批判をとうとうと語り、牧師の佐伯を偽善者呼ばわりして攻撃的に議論を挑んでくる。グラビアガールのページを大事そうにしている老齢ホームレスだった進藤正一(五頭岳夫)は、殺人を犯したようには見受けられないほど穏やかな語り方をする。佐伯は、文字を読めない進藤に文字を覚えることとを勧め、励ましながら教える。その新藤が、こんな自分でも洗礼を受けられるのだろうかと、心を開いていく…。
佐伯自身、死刑囚たちとの真剣勝負のような会話を重ねるうちに心の奥底に封印してきた重い出来事と向き合い、自分の人生と罪の深味とに想いを馳せることになる。そして、教誨師として初めて死刑執行に立ち会う日が訪れた…。
聖書の言葉で問いかける
人間の罪と死刑制度
教誨室ではヒムプレイヤーを使って讃美歌を歌い、聖書の話や受刑者たちの身の上話などで一人ひとりのキャラクターが描かれていく。台詞の多い会話劇だが、構成の佳さとストーリー展開の妙味で飽きさせない。とりわけ死刑囚たちの心にいくらかでも寄り添おうと努める佐伯牧師の真摯な姿と、彼らとの交流によって自らの心によみがえってくる葛藤と戸惑いが“いま”生きていることの大切さと生かされていることの事実を言外に醸し出していて印象に深く残る。
このような作品では、死刑制度の是非などが重く取り扱われそうなものだが、そのような大上段の取り扱いはせず、障害者らの大量殺人を犯した高宮との論戦と回心を示し受洗しようとする進藤との交流の中で死刑制度の厳しい現実が描かれている。進藤が佐伯から文字を教わりながら覚え、書き贈った一つの聖書の言葉は、佐向監督の死刑制度への見識を示しているようにも思われる。その問いかけは、聖書を人生の指針とする者たちへの問いかけでもあるのだろう。 【遠山清一】
監督・脚本:佐向大 2018年/日本/114分/ 配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム 2018年10月6日(土)より有楽町スバル座、池袋シネマ・ロサほかロードショー。
公式サイト http://kyoukaishi-movie.com
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