原子力研究者を口語文編訳に駆り立てた3.11原発事故の罪 現代に語る内村鑑三 『ロマ書の研究』が今を問う①

 「これまで文語文が苦手で読み解くだあけに多くの時間を要し、その文意を深めるまでに至らぬことになりやすい状態でしたが、本書はその点をカバーして読者に余裕を与え、内村の信仰を現代人に広める器であると思います」。今年2月に上下巻が出揃った新刊『現代に語る内村鑑三 ロマ書の研究』の発行元いのちのことば社に、そんな感想が相次いでいる。

 明治大正期を代表するキリスト教伝道者のひとり内村鑑三の代表作『ロマ書の研究』が口語体の現代文で読めるようになった。福音の神髄を伝えるこの名著を若い人にもぜひ読んでほしいと情熱を傾けた編訳者の佐々木忍さんとは、どんな人なのか|。

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 佐々木さんが『ロマ書の研究』を現代語に、と思い立ったのは2011年3月11日の東日本大震災後のこと。原子力研究所で定年まで研究者として勤めた佐々木さんにとって、福島第一原子力発電所の事故は大きな衝撃だった。原子力を推進してきた重い責任を感じるとともに、事故後の対応に動こうとしない国や東電に憤りを感じていた。自分が命をささげてきた研究にむなしささえ覚える中で、残りの人生をかける決意をしたのが『ロマ書の研究』の現代訳だったと、妻の千沙子さん(日本基督教団武生教会牧師)は明かす。下巻の巻末「ごあいさつ」でこう述べている。

 「夫は研究者として何もできない悲しさと悔しさの中で、(当時千沙子さんが在学中だった)東京聖書学校吉川教会・深谷春男牧師の前で悔い改めの祈りをしました。そして示されたのが、『内村鑑三ロマ書講解』編訳の道でした」

 それは原子力研究者として安全神話に安住してきたことへの「悔い改め」だったという。命を奪い地球を滅ぼす原子力の恐ろしさを目の当たりにして、佐々木さんは神の前に大罪を自認した|その中で「内村の信仰に奮い立たせていただき、感激の連続で完成に至りました」。

 だが上巻の上梓を目前に控えた昨年7月11日、忍さんは75年の地上での生涯を閉じた。肺嚢腫(のうしゅ)の疼痛(とうつう)と闘いながら最終ゲラに目を通し、「一人でもいい。この本を通してイエス様が、信仰がわかりました、という人がいてくれたら」と願いを託して。その声は今、何人もから千沙子さんのもとに届いている。

 忍さんは3代目クリスチャン。中学の時に結核を患い、体が弱い中で勉強に打ち込んだ。高校生の時に受洗。内村鑑三の本はその頃から愛読してきた。深谷牧師も大の内村ファン。意気投合して話がはずむ中で、名著『ロマ書の研究』を誰もが読めるよう口語に翻案しては、というアイデアがどちらからともなく浮かび盛り上がったという。

 『ロマ書の研究』を学ぶ価値を佐々木さんは上巻の「まえがき」で、こう書いている。

 「一般にパウロの四大書簡の一つであるロマ書の理解は、専門家ですら一筋縄ではいかないと言われている。しかし、木を見て森を見ずの教えのように、概略の趣旨や、中心となる思想に絞った上で、詳細分析は内外の専門家の注解書や碩学の諸々の意見を参考にする柔軟な方針を内村は貫いてきた。つまり、パウロの訓練されたキリスト教的思考は、通り一遍の通読や安直な手解きで満足な理解が得られることは到底期待できず、そこに祈りと神からの手厚い援後射撃(聖霊の助成)を求めながら一句一句、一節一節の言葉を疎かにせずに、注意深く掘り下げていく真摯な態度が、ロマ書に隠された途方もない真理(つまり、神の隠された計画、御心、奥義)を探り出す上でもっとも適切なアプローチと言われる。本書では、日常生活において、神を意識せずに生きる未信徒、あるいは神を崇め信仰者として生きる信徒、そうした区別はいっさい問わない。その際、人類を創造された至誠至高の神の存在を頭に思い浮かべながら、人間本来の生き方や目的を見つめ直してみてはいかがだろうか」

 次回から、本書の内容を抜き書きで紹介する。

(編集顧問・根田祥一)