宗教改革の過ちを正す? N・T・ライトの義認論に対する改革派的調停案①

「パウロ研究の新しい視点」に立つ研究が進められる一方、その研究者であるN・T・ライトの評価を巡っては、日本でも賛否が分かれている。そんな中、2010年に米国ホイートン大学での神学会議で行われた、トリニティ神学大学教授ケヴィン・ヴァンフーザー氏の講演が賛否両者の橋渡しになるものとして、評価されている。現在、同大学修士課程に在学中の、岡谷和作氏に講演内容を要約、解説してもらう。

背景
「信仰義認」とは、信仰によって、信じる者にキリストの義が与えられること(転嫁)として伝統的に考えられてきました。しかし近年、N・T・ライトを始めとするNPP(パウロ研究の新しい視点)の立場に立つ学者たちは、従来の考えは宗教改革者達によるパウロ理解の誤解だったと主張しました。中でもライトは福音派の聖書学者であったため─彼は自由主義神学に対してイエスの復活の史実性を学問的に論じました─アメリカでは、ライト派対改革派という福音派内での論争が巻き起こりました。先日邦訳されたジョン・パイパーの『義認の未来』はまさにその論争の最中に記されたものです。
議論が過熱する最中、建設的な神学対話を呼びかける動きが起こります。その発起人の一人が保守的改革派の土壌であるウェストミンスター神学校出身で、現在はトリニティ神学校で組織神学の教授を務めるケヴィン・ヴァンフーザーです。アリスター・マクグラスが「この時代における最も重要な声の一人」と評価するほど、教派を超えてその著作が読まれている神学者でもあります。さらにパイパーとライトの双方とも親交がある(*1)ヴァンフーザーは、2010年に『宗教改革の過ちを正す?』 (*2)と題し、N・T・ライトの義認論に応答する講演を行っています。福音派を分断しかねない議論に対し、対立構造を乗り越える調停案を提示する貴重な講演です(*3)。
今回はその講演の内容を4回に分けて簡潔に要約させていただきます。

1.問題の所存(ライト神学の方法論)
ヴァンフーザーはまずライト神学が投げかける課題を明らかにします。ライトは伝統よりも聖書の権威に従う姿勢を貫き、宗教改革の背景ではなくパウロの背景―当時のユダヤ教の文献―を通してパウロを理解するべきだと主張します。さらにライトは個々の聖書個所を、聖書が描く「大きな物語」を通して解釈することを提案します。ヴァンフーザーは伝統より聖書を重んじるライトの姿勢を評価しつつ、同時にライトの方法論が、時にパウロが意図していない「物語」を個々の聖書個所に読み込んでいないかと問います。また、ライトが重視する当時のユダヤ教の背景理解自体も近年の解釈であり、その理解が変化する可能性も十分あることを指摘します。そして当時のユダヤ教文献や宗教改革者の文脈という聖書外の文脈以上に、聖書そのものを、パウロを理解する上での重要な文脈として捉えるべきであると述べます。
またライトは、福音とは「キリストがユダヤ人のメシアとして、復活を通して全世界の王となられた宣言」であるとします。ヴァンフーザーは、ライトの旧約の契約を重んじる姿勢や、個人主義ではなく共同体に焦点を当てている点を、個人主義化した現代のアメリカにおいて必要な視点として評価します。
しかし、問題はライトが肯定していることよりも否定している事柄にあるとします。ライトは、個人がいかに救われるかについてパウロは語っていないと主張 しますが、個人の救いに関する言及が曖昧であれば「イエスが王となられた」という宣言は「素晴らしい真実の半分 」になってしまい、罪人に対する良い知らせとなり得ないのではないか、とパイパーと共にヴァンフーザーは疑問を投げかけます。そしてパウロが「救われるためには、何をしなければなりませんか」という問いに対して「イエス・キリストを信じなさい」(使徒16・31)と答えていることなどから、パウロは個人の救いに関しても語っていることを指摘するのです。(続く)

*1.パイパーとは『空想的合理主義者―C・S・ルイスの著作における神・命・想像力』を共著し、ライトとは『神学的解釈辞典』を共に編集しています。
*2.原題Wrighting the wrongs of the Reformation?
*3.ホィートン大学のYouTubeで公開されています。URL https://www.youtube.com/watch?v=HwIifBl-H5I&t=2018s