東日本大震災から10年を迎えます。この災害を教会、個人はどのように迎え、痛みを覚え、祈り、考え、行動したか。

いのちのことば社で刊行された手記について、クリスチャン新聞の当時の記事から振り返ります。

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日本福音同盟=JEA=神学委員会(山口陽一委員長)編『原発と私たちの責任』は、福音主義の立場から原発問題を検討しまとまった形で発表した初の神学的取り組みだ。

 

同書中の論文「原発と私たちの歴史的責任」で山口委員長が書いているように、日本のキリスト教界では、日本キリスト教協議会(NCC)の関係団体が1970年代から反原発の取り組みを始めていた。だが福音派では一般に、原子力利用の是非をめぐる問題を正面から論じる目立った動きはなかった

 

同書刊行によせて安藤能成JEA理事長が述べているように、日本福音同盟は一つの神学思想による単一の宗教団体ではなく、参加団体それぞれの立場と意見がある。だが、福島原発事故後の今日、「このことについて沈黙していることは許されない」との認識に立っている。

 

神学委員会では『原発とキリスト教-わたしたちはこう考える』(新教コイノニア、2011年11月1日)を読み合わせ、聖書への思索を踏まえて反原発を主張した科学者・髙木仁三郎の論考「聖書は核を予見したか」への応答を、委員会としての取り組みの道筋にすることを確認した。

髙木は、地で生きる者の守るべき領域として、「地球場」、「総体としての生態系」、「原子核の安定性」を挙げる。そしてスペースコロニー建設、生命操作、原子力を、地球の生命の平和への挑戦であり、許されるべきことではないという。

これを受けて山口は、「確かに原子力発電は、神が与えられた原子核の安定を破壊する技術であり、神があらゆるエネルギーの源として天に置かれた太陽を地に造ろうとすることである。神は、水や風や地熱、海流などに加えて化石燃料を与えられたと考え、これらを最善に利用するための技術革新を人間の分として追求すべきであろう」と考察。そして「『核の平和利用』という名の下に、原発を『安全』と言い続けることは、もう終わりにしなければならない。これは、私たちの歴史的責任である」と結論する。

鞭木由行は「地を従えよ」(創世記1・28)との命令を原発との関係でどう理解すべきかを検討。聖書釈義から「神のかたちとそれを担っている人間の地を従える支配とは、切り離すことができない。人間が神のかたちであるゆえに、人間が自己利益のために地を乱開発していくことはあり得ないし、ましてやそのようなことが命じられているのでもない」と指摘。

古代オリエント世界、とりわけ聖書の世界において、「支配者であるということは、民を導き守る羊飼いとしての役割を担っていた」として、「『地を従えよ』との命令は、人間にむしろ大きな責任と自制を負わせる言葉と言える。自然を破壊する原発のようなエネルギーを持つことを是認しているとは思われない」という。

そして「原発技術それ自体が、絶対的な意味において、悪か善かと断定することは難しい」としつつ、原発の是非を倫理的な観点から考察。原発推進の意志決定の背後に人間の限りない「欲望」があったことを認めざるを得ないとして、「核の技術的限界と不道徳が明らかになった今、私たちに必要なことは、原発なしで生きていくためのライフスタイルの確立である」と説く。=敬称略

以上、2013年06月23日号から


関野祐二は「自然科学から考える原発とキリスト教」の観点から、「西洋キリスト教こそ生態系破壊の元凶」というリン・ホワイトの批判を受け、ガリレオまでの自然科学略史や、核反応の発見と応用などを概説。聖書への思索を踏まえて反原発を唱えた科学者・髙木仁三郎の考察を検討し、それを受けて聖書の自然観を確認、キリスト者の持つべき聖書的自然観の適用を整理した。

まとめとして、「ギリシャのアニミズム的自然観からキリスト教的自然観は抜け出したはずだったが、『地を支配せよ』とのみことばを深めることなきまま、一方で技術革新による自然からの奪取が進み、他方で機械的自然観が形成され、自然はそこから人間が利益を得ていく対象との理解が深まっていった。…核反応の発見から原爆投下までの期間の短さは、地の管理を委ねられた人間が分裂した自然観を修復統合しないまま、傲慢と欲望のおもむくままに突き進むと何をもたらすか、まざまざと見せつけた。また、キリスト教国をはじめとするその後の核開発競争や原発乱立、世界的に進む環境破壊などは、政治や経済の問題と相まって、真の悔い改めと本来的自然観への復帰がいかに大切、かつ困難かを教えている」と指摘。

そして「原発事故が壊滅的被害をもたらし、影響が現在進行形の今、『キリスト教が生態系破壊をもたらした』との批判をキリスト者は真摯に受けとめ、本来的聖書的自然観を取り戻すべきである。それには、聖書に立ち戻り正しい釈義に基づく生態学的メッセージを受け取り直すことや、自然科学と技術の歴史を再検証しライフスタイルを見直すこと、関連した罪と欲望の問題を問い直すこと、聖書的な自然との共生を追求することなど、多岐にわたる作業が求められよう。それは、復興支援と並行した、キリスト教会全体の共同作業になるのではないだろうか」と投げかけている。=敬称略

以上、2013年06月30日号から

牧会カウンセリングが専門の斉藤善樹は「原発と人間の貪欲性」に注目。震災後に高まった脱原発の声は小さくなり、政府も原発再建へ動く。「結局、人間の行動は目の前の損得に最も大きく影響されるのだろうか」と問う。「原発運用に関しては様々な人々の利権、利益、怠惰と鈍感と欲望が絡み合って、純粋に正しいこと、誤ったことを判断し、それを実行しようと行動をとるのが至難」で、「人間の罪性と貪欲さが絡んで、今の原子力使用の事実があるように思える」と疑問を投げかける。

無制限に求める人間の貪欲を心理学はどう理解するか。フロイトのリビドー理論を例に、「神から離反した人間のリビドーは神よりも、欲求を満たす対象そのものを目標にしてしまった。本来は人そのものに向かうべきものが、欲求を満足させる対象として人に向かうものとなってしまった。…この歪んだリビドーは際限なく求め続ける。これがまさに『貪欲』である。原発は人のためにあるべきものだが、それを造り、維持しようという欲求は本来の人間のためであること、すなわち隣人への愛からはずれてしまっている」という。

ドン・シェーファーは「原発をめぐる米英教会の動向」を紹介。多くの環境保全主義者が、現在の生態学的危機の責任はキリスト教にあると非難しているが、福音派は北米での環境保全運動の中心であり続けているという。1970年、フランシス・シェーファーはリン・ホワイトの批判に応え『汚染と人類の死』を著した。その中で「真実な聖書的キリスト教信仰だけが、自然界が神によって創造されたという真理から出発しつつ、それに対するバランスがとれた健全な姿勢をとる」と論じた。最近では福音主義神学協会、全米福音主義協会やローザンヌ運動、被造物保護協会や、リチャード・ボウカムら多くの神学者が環境問題に注目している。だがそうした中でも原子力問題は、キリスト教の世界を二分するという。

内藤達朗はかつて無線器機を設計した経験をもとに「教会の取り組むべき『原子力発電』」を検討。▽原子物理学研究者としては、これ以上実施に移してはならないことを明確に提示することが研究者の「この世界を治める」責務、▽原発製造・製作者としては、原料から廃棄物までの一貫した対策がなされないまま見切り発車されていることが、大きな将来的課題を残しており、その解決がいまだになされていない現状では、当初から、製造は開始されてはならなかった、などと実際的なガイドラインを示した。

その上で政府、経済関係者、電力会社、自治体、報道関係者、国民それぞれの責任を指摘。教会に世界を治める使命が課されており、各分野での責任を果たせるよう提言し、世界の各分野での責任ある立場を担える器としてのキリスト者を育成する必要を示した。

以上、2013年07月07日号から

『原発と私たちの責任 福音主義の立場から』
日本福音同盟神学委員会
発売日:2013/06/30

 

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