東日本大震災から10年を迎えます。この災害を教会、個人はどのように迎え、痛みを覚え、祈り、考え、行動したか。

いのちのことば社で刊行された手記について、クリスチャン新聞の当時の記事から振り返ります。

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「しること」から始めたい
本著冒頭の「推薦のことば」にも記されているが、本著は、原発に対して私たちが知っておくべき諸問題を端的に教えてくれている。同時にキリスト者また教会として、この問題をどう受け止めていくべきなのかということについて深い洞察で記している。
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野中宏樹牧師、木村公一牧師は、私が尊敬してやまない先生方である。私は原発事故が起こった当時、福島県郡山市内の教会の牧師だった。野中牧師は事故当時、私のところにいち早く電話してくださり、事故への対応を指示してくださった。また木村牧師のお連れ合いは、事故後すぐに九州から駆けつけてくださり、夫婦で励ましてくださった。その他にも、野中牧師や木村牧師は、これまで原発の諸問題に具体的に取り組まれながら、問題の只中で苦しんでいる人々と寄り添ってこられた。本著を読みながら、そのようなお二人の思いをひしひしと感じた。

事故後、時々に耳にした言葉がある。それは、「しらない」と「しかたない」である。原発事故が起こる前、私たちの多くが、この問題について「しらなかった」。そうして見て見ぬふりをしてきた私たちがいたように思う。

しかしその後、原発事故を経験し、問題に向き合わされた時、その余りにも複雑で深刻な問題に、今度は原発を手放せないことが「しかたない」と諦めてしまっていないだろうか。しかし、この問題は「しらない」や「しかたない」では済まされないし、世を生きるキリスト者として深く問われているのである。
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そのことを心に刻みながら、本著を通して、「しること」から始めていきたい。そして、願わくば、私たちが問題を知り、原発のことをあれこれ論じたり、問うだけで終わらないようにしたい。私たちが原発問題をあれこれ問うだけでなく、この問題を通して、私たち自身が問われているのだということを忘れないでいたいのである。
(評・鈴木牧人=日本バプテスト連盟姪浜キリスト教会牧師)

2015年02月01日号から

『原発はもう手放しましょう』
野中宏樹、木村公一著
発売日:2015/01/10

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