【いのちのことば社物語5】福音理解の転換 1990s~
福音理解の転換 1990s~ 福音を文書で伝えた70年 いのちのことば社物語 第5回
福音派の強調点とその変遷
地獄からの救い→無条件の愛
「世と敵対」から「世に届く」福音へ
いのちのことば社のアイデンティティーは、いわゆる「福音派」にある。では、その福音派は「福音」をどのように理解してきたのか|イエス・キリストの福音は永遠に変わらないことが一面の真理であると同時に、その福音をどう理解し提示するのかという「福音理解」には、時代とともに変遷がある。
連載第3回で、「聖書信仰」が創立以来、今日まで一貫した会社のポリシーであることを述べた。聖書を「誤りなき神のことば」と信じる聖書信仰は福音派のアイデンティティーを考える際に外せない重要なポイントだが、それは聖書をどう位置付けるのかという聖書論の観点からの捉え方である。「福音理解」は、その聖書が示す中心点である「福音」をどう捉えるのか、ということを問題にする観点だ。
連載第2回で紹介した最初期の月刊誌「百万人の福音」(前身の「生命の糧」)の特集テーマや記事の見出しには、1950年代の福音派の福音理解が端的に表れている。
上は当時の同誌に掲載された挿絵である。「救の門 既に遅かりき」という掲示を骸骨(死者)が見て動揺しているイラストに「今日と言う中に救われよ〝汝らは明日のことを知らず〟ヤコブ書4・14」とキャプションが付けられている。その左のイラストには「悪魔に立ち向え、さらば彼なんぢらを逃げ去らん」とヤコブ書4・7の聖句を掲げ、「罪」と書かれたビールのジョッキを男性が断っている。
そこには飲酒を罪悪と見なし、それを避けることを悪魔に立ち向かう信仰の戦いと捉える、当時の北米の保守的福音派の宣教師らが福音とセットで持ち込んだ「罪理解」が反映している。そして罪の結果は死後の永遠の滅びであることを強調し、地獄へ行かないように生きている間に罪を悔い改めて天国を目指せという「救済観」がうかがえる。
54年9月に台風で沈没し死者・行方不明者1千155人を出した日本海難史上最大の惨事・青函連絡船洞爺丸の事故を伝えた「百万人の福音」は「地獄船洞爺丸」とショッキングな見出しを掲げ、今では考えられない次のような記事を掲載した。
―漂流死体は皆救命具をつけていたと言われる。しかしあの状態では救命具など役に立つものではない。…さて、あなたの救命具は何であろうか。お金であるか。成程、お金という重宝な救命具は人生の色々な試練の波を乗り切らせてくれる。また教育や技術の救命具は、就職難の荒波を乗り切らせてくれる。運が良いという人は運命の救命具によって危機を乗り越えた人だ。しかし台風十五号のような、とてつもなく大きな人生の嵐が襲来した時、そのような人間製の救命具は主人の生命を救ってくれないのである。-
記事は続いて、人は一等二等三等の区別なくみな等しく死に、神のさばきを受けなければならないことを説き、
「地上だけの幸福を求めて来た人の最後はかくもはかなく無残である」
として、
「みずからの罪を悔い改めなければ、同様に滅ぼされるのである。…今危険を悟り、あなたの乗っている地獄への連絡船洞爺丸を降りなさい。そして、主イエスのお備えになった天国への連絡船あがない丸に乗り換えることです」
と結ぶ。
今から見れば、なんとも過激な福音の提示である。だがこれはいのちのことば社の出版物に限らず、戦後間もない時期の福音派が当時の人々にキリストの福音を提示する典型的なアプローチだった。今日では、災害や大事故を取り上げるにしても、被災した人々やその関係者への配慮を優先した表現をする。
しかし1950〜80年代前半までは、天国と地獄を容赦なく突きつけ、罪の世をさばくようなトーンが前面に出た記事が少なくない。そこには教会、キリスト教、信仰、霊的なことを是とし、世や教会外のことを非あるいは無価値と考える二元論的な思考がうかがえる。単行本でもハル・リンゼイ著『地球最後の日』(82年)など、終末の警告から救いを説くアプローチなどがしばしば見られた。
そのような福音理解に一石を投じたのが89年に出版された工藤信夫著『信仰による人間疎外』だった。クリスチャン精神科医の視点から、クリスチャンや教会の人間理解の欠如によって、「救い」を伝えるはずがかえって人間を疎外する結果を招くという鋭い問題提起である。発売当時は反発も受けたが、広く共感を呼び版を重ねた。
90年代に入るとそれまでの欠けを補うかのように、心理学やカウンセリングの視点から人間の現実と向き合い福音を適用しようとする手法の出版物が続々と登場する。そこに盛り込まれたのは、「あなたはありのままで神に愛されている」というメッセージだ。
ありのままの自分が受け入れられるというメッセージの典型が、98年に発売したマックス・ルケード原作の絵本『たいせつなきみ』だろう。本書は教会の外の人々に福音を届けようと立ち上げた別レーベル「フォレストブックス」の第一弾だったが、その狙いどおり一般書店でヒットし、社会の疎外感に悩む大人をひきつける絵本としてメディアでも話題になった。以来、今日まで装丁を変えながら累計15万7千部を記録するロングセラーとなった。
本書には当初から、罪からの救いがない、福音を薄めた普遍救済だとの批判もあった。だがいのちのことば社の出版物がみな罪や救いの問題を避けるようになったということではない。むしろ罪の世の現実の痛みの中で生きる人々に、無条件で愛されるという福音の価値観を人間性回復のカギとして提示したのだ。一般の人々がより興味を持ちやすい切り口で聖書の真理に招く「福音への入口」として、文書伝道の新しい次元を開いたといえよう。(つづく)
毎週火曜、土曜に公開
全8回一覧→ 70周年記念「いのちのことば社物語」全8回を再掲載
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1950年に創業した、文書伝道グループいのちのことば社は、昨年70周年を迎えました。コロナ禍と重なり、公けの70周年記念会などは延期となりましたが、クリスチャン新聞では、昨年8回にわたり、黎明期から現在までの歩みを振り返る「いのちのことば社物語」を掲載しました。
それは、一つの文書伝道団体の歩みではありますが、書籍、雑誌、グッズ、事業の変遷は戦後の聖書信仰を中心とした教会の歩みの一端をかいま見させるものとなります。
今回改めて、オンラインで8回の連載を掲載します。