夫の友人を名乗るレザは、未亡人でシングルマザーのミナが直面する様々な困難にも親切に援助の手を伸べるが…

物語は、コーランに記されている預言者モーセの言葉から始まる。「モーセは民に言った。“神は牛を犠牲せよ”と命じた。 民は答えた。“我々を嘲るのですか”」(雌牛の章)。 刑務所の広場の壁伝いに並び立つ囚人たち。広場の中央に白い牛が一頭立っている…。

クリスチャンには、モーセがカナン定住前にイスラエルの民に施行するように規定した、旧約聖書の申命記21章1~9節につながる。申命記では、カナン定住前にモーセが預言を受けてイスラエルの民に伝えた規定の一つ、何者かに刺殺された者が野に放置されているのを見た場合、殺された者の町の近くの町の者もそのまま見捨てておかず殺人犯を探すこと。もし殺人犯が見つからない場合は、事件をそのままにしておかずに使役にも使ったこともない雌の子牛を身代わりとして首を折り、以後はその事件に関して罪のない者の血を流すことがないようにと教えている。本作の“白い牛”は、“死を宣告された無実の者”の隠喩だと主演で共同監督のマリヤム・モガッダムはいう。

夫が処刑してから1年後
裁判所が誤審認める宣告

テヘランの牛乳工場に勤めるミナ(マリヤム・モガッダム)は、聴覚障害で言葉を発することもできない7歳の娘ビタ(アーヴィン・プールラウフィ)と暮らすシングルマザー。夫ババクは、裁判当初は殺していないと言っていたが、後に自供し殺人罪で死刑判決を受け、1年ほど前に処刑されていた。だがある日、ミナに裁判所から召喚状が届いた。夫ババクの弟(ブーリア・ラヒミサム)と一緒に赴くと、説明を担当した判事(ファリド・ゴバディ)は、ババクが告訴された殺人事件を改めて精査した結果、事件に関わった別の人物が真犯人だと確定したという。その真犯人はババクと一緒に事件に居合わせていた男でババクを犯人だと証言していた。ババクは被害者を殴ったことは認めていたが、真犯人の証言などからババク自身も殴った後に死んだのだろうと自らの犯行と思い込んでいったようだ。判事は誤審の責任は裁判所にあることを認め、「遺族には賠償金2億7000万トマン(約7,380万円:1トマン=0.0273435円)が支払われます。もちろん命の代償にはなりませんが、これも神のご意志でしょう」と告げる。

あまりのショックに泣き崩れるミナは、理不尽な現実を受け入れられないでいる。夫の義弟は「家族なのだから家に戻ってきて一緒に暮らせばいい、義父も望んでいることだ」と勧める。だ がミナは、娘ビタの親権を欲しがっている義父の魂胆を見透かしている。ミナは、ビタに父親のババクが刑死した事実を告げられず、仕事で外国で働いているなどと娘の自尊心が壊れないようにと夢のような作り話をしてきた。だが、それは娘のいじめの要因になりかねない。周囲の困難な環境や心の動揺にもまれながらも、ミナはただ一つ、事件を担当したアミニ判事本人から謝罪の言葉を聞きたいと裁判所や所轄の役所に求め続ける。だが、本当かどうかいつも不在で、役所も賠償金支払いの決定がなされているので終わったこととして取り付く島もない。

視覚障害を持つ娘のビタには父親が処刑された事実を教えていない。やがてそのことがビタの問題行動を引き起こす要因になっていく

そんなある日、ミナの家にババクの古い友人でレザ(アリレザ・サニファル)と名乗る見知らぬが訪ねてくる。用件は、ババクから1000万トマン借りていたので返したいという。だが、ミナは生前にババクからそのような大金を貸していた話は聞いていなかった。ババクの処刑が冤罪だったことは聞いて知っているという。それでも借金は(妻のミナに)返金したいという。銀行での換金手続きを終えて帰宅する車中。ミナは「誤って夫を処刑した人たちは、私に答えてくれない。夫が無実を主張しても信じなかった」と、胸中治まらない判事への怒りの言葉を漏らす。レザは「神に定められたのかも。人は誰でもいずれは死ぬんです」と諭すが、ミナは「そうね……でも死に方が重要だわ」と釈然としない…。

イスラム教の戒律が社会生活の法律の基になっているイラン。まだ若い未亡人でシングルマザーのミナを見る目は厳しい面もある。ビタはいじめにあっているようで学校に行きたくないと言い続けている。義父の不満を伝えるためまとわりついてくる義弟。何かと相談に乗り始めているレザが、幾度かミナの家に入るのを見て、「ふしだらな女に家を貸せない」と借家の持ち主に告げられ立ち退きを迫られた。問題山積のミナの日々。職場との都合や家賃などを考えながら新居探しに取り組むミナに、レザが知り合いの借家があると、破格な家賃で好条件の物件を紹介してくれた。引っ越しなどにかかわるこまごましたことにも行き届いた配慮で親切にしてくれるレザ。見知らぬ夫の友人だったレザに徐々に心を開いていくミナ。娘ビタもレザに懐いていく。だがついに、義父がミナからビタの親権を奪う裁判訴訟を起こした…。

死刑、冤罪、女性の社会的地位国や
文化を超えて描かれる普遍的な問い

イスラム教の戒律が国の法律の基に据えられているイランは、「キサース」と呼ばれる同害報復刑が施行されている。危害の範囲を超えて罰することを禁じる面もあるが、死刑の執行は中国に次いで世界2位に達している。その処刑が冤罪による誤審であったら…。理不尽な情況を受け入れられないミナの願いはただ一つ担当判事が非を認め謝罪の一言を聞きたい、それだけだが周囲の理解は得られず、「神の御心」と宣告されるだけ。一方、同じ事件を担当した判事らの同意見を確認したうえで、本人の自供もあり証言も揃っているとして下した死刑判決が誤審だったことを知らされた責任担当判事の心中はどうなのか。宗教と法体制、死刑制度の問題だけにとどまらず、ミナが経験するさまざまな不公正や女性の社会的地位の低さ、シングルマザー母子が生活していく困難な現実もリアルに描いていく。聴覚障害で口話できない娘ビタのキャラクターは、まだ自分の声は持っていないが「彼女は自分のために闘い、未来に希望を抱いている」ミナと一心同体の存在として「二人とも闘志と強い自尊心を持った清らかな人間」としてベタシュ・サナイハ共同監督は描いている。本作は、宗教や法律の異なる遠い国の物語では終わらないメッセージと普遍的な問いを投げかけている。

監督:ベタシュ・サナイハ、マリヤム・モガッダム 2020年/105分/イラン=フランス/ペルシア語/原題:Ghasideyeh gave sefid、英題:Ballad of a White Cow 2022年2月18日[金]よりTOHOシネマズ シャンテほか全国公開。
公式webサイト  https://longride.jp/whitecow/
公式Twitter https://twitter.com/whitecow_movieitecow/

*AWARD*
2021年:第71回ベルリン国際映画祭コンペティション部門金熊賞・観客賞ノミネート作品。バリャドリッド国際映画祭新人監督賞受賞。チューリッヒ映画祭国際長編映画賞特別賞受賞・国際長編映画賞ノミネート。ノイエ・ハイマート映画祭作品賞受賞。その他多数受賞・ノミネート。