過去の罪の責任を負うとは? 「キリスト者遺族の会」ヤスクニ反対運動の展開 吉馴明子

吉馴明子 恵泉女学園大学名誉教授。キリスト者遺族の会世話人代表。著書『海老名弾正の政治思想』(東京大学出版会)、編著『現人神から大衆天皇制へ』(刀水書房)

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頼んでいないのに父が「英霊」?

1970年代に入って、ヤスクニ反対のデモに参加した時、私は「戦争は父を奪った。靖国神社国家護持は私の心を奪う」という自筆の横断幕を持って歩いた。私は遺族、つまり靖国神社問題の当事者であることを表明するためだった。

父は44年8月(38才)軍医として応召、ルソン島で翌年7月14日に戦死した。「戦争は父を奪った」。ただ、何しろ物心ついたときから父はいないので、実感はほとんどない。教会での記念会や周囲の人々の話をきいて「心の中」に父の像を思い浮かべるだけだった。そんな訳だから、ヤスクニ「神社」に父がいるなど思いも及ばない。

ところが、69年に上程された靖国法案では、靖国神社を一宗教法人から日本政府の管理下に移し、政府が英霊を慰める儀式・行事を行い、国がその役員の人事を司り、経費の一部を負担または補助すると規定していた。天皇のために戦って死んだ兵士が祀(まつ)られることを栄誉とした戦前の靖国神社を思い起こさせるものだった。いないはずの父の「英霊」も慰められる? 誰も頼んでいないのに。

43年生まれの私は、「戦後民主主義」の全盛期に義務教育を受けた。大学紛争での「当局対学生」のアナロジーで、「国家対市民」も覚え、「国家」という機構が持つ統制力・強制力、「隣組」という共同体の「多勢の」圧力も多少は理解し、その中で個人の「内面」が崩され、「信仰」も上手に懐柔されていく様も見た。結局「天皇制とは何だったのか」という問いに突き当たり、67年『超国家主義の論理と心理』の筆者丸山眞男の指導を受けるべく大学院(日本政治思想史専攻)へ進学した。

 

遺族? 第三者?  ヤスクニ運動へ

 

先述のヤスクニ法案国会上程を目前にして、私は渡辺信夫牧師に促され、小川武満牧師らと共に「キリスト者遺族の会」を立ち上げることにした。

最初の行動は「霊璽簿記名抹消要求」で、靖国神社を訪ねた。宮司は靖国神社の創建の由来が明治天皇の御聖旨であり、「遺族や第三者」らは口出しすべきでないと、邪険に要求を斥けた。

 

しかし戦死者当人からみれば、 神社こそ第三者ではないか。臣民は生きている時天皇のために戦う義務を負い、死んでからも天皇の臣下としての「栄誉」に縛られ、私たち遺族の「思いの中に静かに眠る」ことさえ許されない。

「キリスト者遺族の会」は第一に「信教の自由」を守るために戦う。ただ神のみを主とする信仰を持っているキリスト者は、戦死者の霊が祀られているからと靖国神社に参拝することはできない。第二は戦死者を国に祀ってもらうことに、栄誉を求めることに対する否定である。私たちは国に魂は売らない。

発会から10年間に、初めは「靖国神社法案」制定への攻勢、ついで「神社」の枠を超えて「天皇の威光」を高める試み、さらに首相や閣僚ら「公人の参拝」。「靖国神社は特別な神社」のPRが続き、一般の人々に広げられた。このような情勢の中で、ヤスクニ反対活動が行われた。

74年にはヤスクニ違憲訴訟の提起宣言をした。対外交流と地固め(73年津久井集会、78年アジア証言集会、82年台湾遺族団との交流)もした。「戦没者はアジアに対する加害者である」「遺族もアジアに対する加害責任を覚えるべきである」との主張は、西川重則委員長にも引き継がれキリスト者遺族の会の基本姿勢となった。

「人がしかねないこと」の教訓に

戦争体験の継承・戦争責任の追及と模索、そして非戦の願いと決意

 

辻子実、金丞垠編『図版で見る侵略神社・靖国』では、「八紘一宇」のスローガンを掲げる日本が、アジアの近隣諸国へ侵略的に広がっていく様、靖国神社の「臣民」に対する有無を言わせない迫力を、白日の下にさらしている。このような日本の侵略行為に対して、私たちは日本人の一人として、どう「戦争責任」を負うのか。

戦争推進の総責任者であった天皇の責任は当然であるが、それをサポートした人々にも相応の責任がある。「各人」が、誤謬・過失・錯誤の性質と程度をえり分けて行かねばならぬと、丸山真男は言う。私たち「キリスト者」「遺族」もこの問いの前で、自らの「責任」を明らかにすべき。それは、「戦争責任」を「キリスト者遺族」という「集合体」にまとめてかぶせることではない。一人一人が、歴史的な経緯のなかで、自らの責任を問わねばならない。

発会初期に根岸愛子さんが寄せた文章がある。敗戦を境として「靖国の母・妻」が一転して「国賊」と見られ、敗戦の責任を一身に負わされて肩身の狭い思いをした。ヤスクニの復権が戦死者の名誉回復のように思われたのも想像がつく。夫を失った根岸さんは「自身の中に戦争を受入れる原罪のようなものがあることを認め……神に出会う」と述べ、「自分も加害者」であると自覚してヤスクニ反対運動に連なるのだと話した。

人には「原罪」があるとはいえ、自分で意思的・主体的に負わねばならぬ「罪」が消えるわけではない。また、結果的に明らかになる過ちについても、知らなかったでは済ませられない。他方一人でそれらの「罪」「過ち」「犯罪」に対してすべて責任を負うことも無理だ。

戦後ドイツの大統領ヴァイツゼッカーも演説「荒野の40年」で「過去に目を閉ざす者は結局のところ、現在にも盲目となる」と言う。歴史から「人間はなにをしかねないのか?」を学び、何とか「たがいに敵視するのではなく、たがいに手を取り合って生きていってほしい」と結ぶ。半藤一利、加藤陽子、保坂正康編著『太平洋戦争への道』(NHK新書)は、初心者にも、長い間この問いを抱えていた者にも、15年戦争について考える手助けになるのでお勧めしたい。