物資を運ぶ北野さん(左)。2011年3月末ころ。写真提供=門谷信愛希さん

 

東日本大震災後、日本福音自由教会協議会では、仙台福音自由教会を拠点とした支援活動が始まり、4月には石巻に活動は焦点化していった。やがて有志教会によって「石巻ミニストリー」が立ち上がり、石巻福音自由教会が形成された(2021年連載「私の3・11 仙台での一週間」参照)。一方国内外の超教派の働きで石巻クリスチャンセンター(ICC)設立にも協力した。【高橋良知】

前回まで

☆新連載 石巻の新しいことー序ー  2つの「川」

☆「同じ痛み」で愛に動く    ~1~ 

支援・伝道協力で次世代育つ  ~2~

悲しみの先の「復興」祈り活動 ~3~

地域にとって教会が持つ意味  ~4~

 

当時日本福音自由教会協議会会長だった服部真光さん(大治福音自由教会牧師)は震災2週間後に東北を訪れ、「この働きは一時的なものではない」と実感した。「痛み、苦しみにある人に、本当の意味の救いを伝える必要がある。震災の早い段階から、留まり続ける働き、教会を生み出したいという思いが仙台にあった」と振り返る。

「石巻ミニストリー」について、「一つの思い、一つの民のように協力すれば、思わぬ働きができる。チームミニストリーがテーマになった」と言う。

「全国の30~40代の牧師たちが支援活動でつながり、絆が生まれた。当時の協議会役員も何かあればすぐに駆け付ける関係になった。後方支援の重要性も認識した。後方に立つ人がいてこそ、前線がある」と述べた。

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北野献慈さん(広島福音自由教会牧師)は震災後、広島からも支援をする必要を感じていた。教会員には日本国際飢餓対策機構のスタッフがおり、自身も神学生時代に阪神淡路大震災の支援活動をした経験があった。

 

東北のみならず、関東、中部、関西でも物資が不足しているのを知り、建築資材、食料、ガソリン携行缶などを調達した。県内の超教派による広島宣教協力会からも支援を集め、震災3週間後に教会員3人とともに東北へ向かった。高圧洗浄機を使い、基督兄弟団石巻キリスト教会の泥だし、洗浄をし、文房具を近隣の学校に届けた。

広島に戻ってからは、イースターに招く予定だった宮城県出身のゴスペルシンガー岩淵まことさんと協力してチャリティーイベントを実施した。その収入すべてと宣教協力会からの支援金を合わせて、5月に女川町の小学校に届けた。震災で図書が失われていたため、図書券を寄贈した。

5月には、香港、シンガポール、アメリカなどの福音自由教会からのボランティアも同行した。アジアの福音自由教会の支援金が、超教派5団体によるICC設立の後押しになった。借家だった基督兄弟団石巻キリスト教会の土地を購入し、新しく建物を建て、教会活動を継続するとともに、災害支援、宣教の地域の拠点にする構想が固まり、11月にはICCが発足した。

「日本は、災害はいつ来てもおかしくない。教会が災害対応をすることは大事なこと。また教会が地域にどう仕えるか考えさせる機会になりました」

世界宣教の観点でも、「日本は世界で2番目に福音が届いていないとされる。東北、さらにその沿岸は特に届いていない。ある意味、世界でもっとも宣教が難しかったところ。震災を通して、キリスト教の影響が少ない地域こそ、愛を届けるべきだと神様が教えてくれたと受け止めた。苦しんでいる人にキリスト者がどう仕えるか。長い目で見た、支える仕組みが必要と思った。その場で福音を語る働きでなかったとしても、イエスの心をもって仕える証しが大切」と語った。

片付け途中の石巻キリスト教会。同3月末
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阪神淡路大震災以降、災害支援の経験を重ねてきた兵庫県のクライストコミュニティ牧師の大橋謙一さんも石巻キリスト教会の支援に協力した。物資配布から炊き出し、傾聴という流れを調整するなど具体的な部分に協力した。

「心掛けたのは、まず被災地の教会のニーズに応えること」と言う。「教会のニーズに応え、そこから地域の必要に応える。教会員が互いに愛し合うことができるように支えたい。その姿を見て、周りの人々への証しとなります」

クライストコミュニティからICC現地ディレクターとして中橋スティーブンさんを送った。大橋さんは「教会にとって大きなことは、物だけではなく、人を派遣できたこと、教会にとって恵みでもあり、チャレンジ」と話した。 (つづく)

クリスチャン新聞web版掲載記事)