ウクライナ「避難民」として日本宣教の道が開かれたナディヤさん 沖縄で働き開始
「戦争避難」という形で日本宣教へ 沖縄で働き開始 ウクライナ人宣教師ナディヤさん
長年日本宣教の思いを抱いてきたウクライナ人宣教師が、「戦争からの避難」という思わぬ形で来日し、働きを進めている。ウクライナ西部のザカルパッチャ州に住んでいたナディヤさんだ。隣国スロバキアをへて、ハンガリーから空路で英国を中継し、3月22日東京に到着した。コロナ対策の隔離期間を、以前から親交がある吉川直美牧師が牧会する単立シオンの群教会で過ごし、沖縄県で働きを始める。東京滞在中の28日に状況や思いを聞いた。【高橋良知】
首都キエフ出身だが8年前、家族はザカルパッチャに移住し、昨年広い家を購入。ロシア軍の侵攻後、親戚、友人を13人かくまう。「神様の助けだった」と言う。
キエフ周辺に2人のいとこが暮らしていたが、一人のほうの町は壊滅。ザカルパッチャでも、時々空襲警報があり、不安だという。妹はベラルーシで現地の人と結婚生活をしているが、同国は親ロシアのため、妹家族はウクライナとの戦闘を避け、来日準備をしている。
ナディヤさんは、15歳から献身し、宣教師としてウクライナやベラルーシで活動していた。2006年17歳の時、キエフナイチンゲール合唱団の交流活動で来日した経験から、日本宣教への祈りが始まった。
14年から、仲間と日本で短期宣教を数回実施し、 様々な教会を訪問。「チームはバプテスト派からペンテコステ派まで多様。やがては超教派の団体として活動していきたい」と話す。コロナ禍でも週2回オンライン集会を開催。日本の都道府県ごとに写真を紹介しながら祈ってきた。ロシア人やカザフスタン人も参加する。
吉川氏とは、15年に2年間日本語学校で学んだ時に出会った。電車から教会の十字架が見え、訪ねたという。 吉川氏は「まだ日本語がほとんど話せなかったが、日本で使命があるということは伝わった」と話す。結婚式や葬儀にも積極的に参加し、日本の教会生活を知ろうと努めた。
今回、 以前何度か奉仕した沖縄県うるま市の沖縄バプテスト連盟・ ジョイチャペルで働くことは戦争前から決まっていたが、 金銭面やビザ取得の困難を抱えていた。「日本がウクライナからの難民を受け入れてくれたことが心強かった」と話す。
(ナディヤさんは、在日ウクライナ人の救いについても重荷を語ります。2022年4月10日号掲載記事)