碓井 真史 新潟青陵大学大学院教授/心理学者

若者が投票しない。なぜだろう。投票する理由がないからだ。ここで若者を批判するつもりはない。まったくない。若者たちよ、批判されることを恐れるな。「近ごろの若者は」といった言葉は古代遺跡からも発見されているように、若者はいつも批判され続けてきたのだ。
ただ大昔からの若者批判は、過激だ、伝統を重んじない、急ぎすぎるといったものだったろう。若者は、本来衝動性が高く活発で好奇心にあふれ新しもの好きだ。ルールを破り危険も冒すけれど、そのおかげで社会は進歩してきた。ところが現代青年への批判は、元気がなく保守的だといったものだ。若者がこのように批判される時代は珍しい。若者が悪いわけではない。社会全体が、その若者を育てたのだ。
日本社会は、極めて安定し、複雑で、巨大だ。民主的な選挙が当たり前で、投票してもしなくても、だれが当選しても、安定した平和な生活は変わらないと感じられる。良い変化も悪い変化も起こりにくく、そして若者たちは意外と現在の生活に満足している。
これでは投票に行く理由がない。政治家たちや中高年の熱心な人たちは、激しく討論しているが、その様子を見て、「怖い」と語る若者もいる。若者たちが激しい議論をしなくなってから久しい。だが毎回必ず投票に行く中高年も、実はあまり熱心ではない人は多い。それでも、彼らは投票には行くべきだと考えて投票にいく。この、行くべきという感覚も、若者は薄い。彼らは、もっと自由で優しい世界に住んでいる。対立も嫌だし、義務感に縛られ我慢したくもないのだ。
また、自分は無力で無価値だと自信を失っている若者も多い。私たちは無力だろうか。そうだ無力だ。私たちが無力だと感じている限りは。たしかに国政選挙が一票差で決まることはないだろうが、そんな一票の集まりが当選者を決める。市議会でも国会でも、一人の議員の一つの質問が、議会全体を動かすこともある。
議会も、マスコミも、大企業も、ある部門の直接の担当者はそれほど大人数ではない。一人の市民の声が届き、小さな変化が生まれることは決して夢物語ではない。そして小さな変化は、次の変化を生み出していく。

現代の若者像と、教会が果たせる役割

政治から離れた若者たちは、宗教からも離れている。伝統宗教だけでなく、明治から昭和に生まれた新宗教も高齢化が進んでいる。大きな望みも悩みもなく、堅苦しい宗教セレモニーに我慢して参加する気もなければ、宗教とは距離を取るだろう。
しかしそれでも、若者の本質は変わらない。現代の若者たちも、映画の中の大恋愛や大冒険を楽しみ、友情努力勝利成長のマンガを読んでいる。現代青年の特徴を理解しつつ、同時に本質も見失いたくない。無気力にさせず、歪(ゆが)んだ形でオカルトや陰謀論などに走らせず、君も愛されている、君にも存在意義と使命があると伝えたい。それが教会の役割だろう。若者たちは、活躍することを望んでいるのだ。(次回は8月7日号に掲載)

クリスチャン新聞2022年7月10日号掲載記事)