記念碑

 

三浦綾子の小説『海嶺』で紹介された最古の和訳聖書、いわゆるギュツラフ訳聖書『約翰福音之傳』の翻訳に協力した三人の漂流民をご存じだろうか。

天保三年(1832)。大阪で米を満載し江戸へ向かって出航した宝順丸は、途中で荒れ狂う嵐に遭遇した。11人が命を落とし、岩吉、音吉、久吉の三人だけが、1年2か月後にアメリカ大陸に漂着。インディアンに捕らえられ奴隷となるが、マクラフリン博士に助け出され、ハワイからロンドンとマカオへ。マカオで宣教師のギュツラフから聖書の日本語訳を頼まれる。 そして、日本に帰るのだが、幕府は非情にも、彼らを打ち払ってしまう。歴史に残るモリソン号事件だ。

 

音吉像

彼らの功績をたたえて、「聖書和訳頌徳碑」が、彼らの出身地である愛知県知多郡美浜町に1961年に建てられて以来、美浜町と日本聖書協会が交互に記念式典を主催して(今年は美浜町主催)、今年第61回目を迎えた。 昨年は、コロナのために関係者だけで行われたが、今年は人数を40人に限定して、10月4日にまだまだ暑さの名残を感じる中、行われた。

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齋藤宏一美浜町長は、式典の挨拶で、「音吉たちが、帰国後に果たした外交的な働きを思うとき、平和を祈りながらも、まだまだ音吉らのことが日本で知られていないことを残念に思う」。と語った。また、日本聖書協会の具志堅聖総主事は、「先日のエリザベス女王の国葬のときに、『私は復活であり、命である』(協会共同訳)と聖書が朗読されたが、それは音吉たちが訳したヨハネの福音書11章25節だ。イギリス人に初めて帰化した音吉との間に、不思議な力が働いているような気がする」と語った。

ギュツラフ訳聖書が朗読され、また、音吉が暮らしたシンガポールの在京大使館から一等書記官のチャン・ジュシュ氏も参列した。

 

廻船と音吉記念館

 

式典後、彼らの墓がある良参寺、小説にも出てくる船主樋口源六の末裔(まつえい)の浩久氏が昨年オープンした「廻船と音吉記念館」も見学した。浩久氏は、2000年にたまたま観光で訪問した北海道旭川市の「三浦綾子記念文学館」で、『海嶺』の中の樋口家の役割を初めて知り興味を持ち、この記念館を作ったそうだ。
映画「海嶺」と「塩狩峠」は、三浦綾子生誕100周年を記念してHDリマスター化が計画され、クラウドファンディングで867万2千円(計372人)が集まり、10月末には完成する。
HDリマスター化の責任者でもあり、今回、聖書和訳頌徳碑記念式典に初めて参加した原島真由美氏は、「61回もこの式典が続いている重みに驚いた。音吉たちの働きを無駄にしないためにも、よりきれいになった『海嶺』を多くの皆さんに観ていただいて、三浦綾子さんが語りたかった『神の愛』を知って欲しい」と述べた。
HDリマスター化映画「塩狩峠」「海嶺」は、10月15、16日に東日本大震災で被災した石巻市で初公開され、11月25日には、東京・中野ZEROホールでプレミア試写会が行われる。申し込みはFax03・5341・69
28、https://forms.gle/pNKZuPwPu4VY4RZL6 (ライフクリエイション)。
【レポート・礒川道夫=クリスチャン映画を成功させる会】

クリスチャン新聞web版掲載記事)