[CSD]2003年7月6日《ヘッドライン》

[CSD]2003年7月6日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎「暴力は何も生まない」——イスラエル・パレスチナのテロ犠牲者遺族来日
★私は「将棋」宣教師——将棋5段のジェイムズ・ミルビーさん(5面に関連記事)
★タイへの宣教までの主の導き——OMF宣教師・牧野委員長の証し
★キリスト教古書バザール、都内で開催
★<落穂抄>教会の課題——減少する青年層


 = 2 面 =
★戦時未払い賃金問題——日本の過去のアジア侵略の責任
◎「有事法に従わない」——各派が抵抗と不服従を声明
★<論説>一人に集中する——効率・実績主義と対極にある原則 記・内川 寿造
★<神のかたち>[45]女が、女が男の創造者である、と教えることを許しません(3) 記・稲垣 緋紗子
★<今週の本棚>『非キリスト教思想入門』R.C.スプロール著(いのちのことば社、1600円) 評・上山 要
★<今週の本棚>『くまちゃんといっしょ もうだいじょうぶ』リンダ&アラン・パリー著(女子パウロ会、620円)
★<今週の本棚>『神と本当の関係をもつ』ケイ・アーサー著(いのちのことば社、900円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 読書特集=
★平和を考える本——木村公一「人間の盾」、他7冊
★店長いち押し・旬の本——キリスト教書店の店長が選んだおすすめの本

 = 4 面 関西だより=
★ペンテコステとリベラル両神学から研鑽——「京都説教塾」
★「失敗の恐れが教会の力奪う」——「日本伝道会」大阪でも発足
★ビジネスマン伝道から——IBC5周年記念会
◎聖なる事業は聖霊の事業——フリーメソ・大阪日本橋教会創立100周年
★私は伝道の後方支援部隊——便利屋グレイスプランニング:関 恵嗣さん

 = 5 面 =
★将棋で人間関係作り伝道(1面に関連記事)
★祈りのサポートが励み——ガンバ大阪、松波正信選手の妻桂子さん語る
★「物語に人間の豊かな智恵がある」——京都、円町隣保育園創立60周年記念講演会
★若者が楽しく礼拝——神奈川、Jユース
★<今月の試写室>「マトリックス・リローデッド」「アニマトリックス」——信仰に通じたメッセージ 評・高梨 大

 = 6 面 家族のページ=
★教会に来なくなった父——「カタクリコ」が語る家族
★父の受洗はただ憐れみのみ——家族の証し
★<カウンセリングカフェ>[3]夫婦の「一体」は創造の一部 記・丸屋 真也
★<家族診断>[11]お前が一番かわいい 記・碓井 真史
★<うちのオカン>我が母親エピソード 記・内越 努

「暴力は何も生まない」−−イスラエル・パレスチナのテロ犠牲者遺族来日0307060101

米国が主導する中東和平のロードマップ(行程表)により打開の兆しが見えたかに思われたイスラエル・パレスチナ紛争の行方が、武装闘争の激化でまた泥沼化の危機に立っている。そうした中で、家族が暴力の犠牲になったイスラエルとパレスチナ双方の遺族らが6月中下旬に初来日し、広島、京都、東京で平和共存の実現へ向け国際社会の協力を訴えた。この訪日の懸け橋となり、世話役を務めた柿内ルツさん(イスラエル政府公認ガイド、日本ホーリネス教団所属)に聞いた。  「イスラエルとパレスチナというと日本では戦いのイメージしかなく、接点などないと考えている人が多い。でも、実際はそうではないことを紹介したい」。柿内さんが今回のボランティアを引き受けた動機だ。
 パレスチナ問題では、クリスチャンであってもなくても、もっぱらイスラエル支持か、全面的にパレスチナ支持かのどちらか一辺倒になりがち。だが柿内さんや遺族の会は、市民を巻き込むパレスチナの自爆テロや投石にも、テロ掃討を理由にしたイスラエル軍の過剰攻撃にも反対だ。「暴力や憎しみからは何も生まれない」と講演で双方の代表らは繰り返した。
 遺族の会は、94年7月、19歳の息子を過激派ハマスに誘拐され殺害されたイツハク・フランケンタールさん(51)が、悲しみの中から「和解をつくるために何でもできることはやろう」と仕事を辞め、当時のラビン首相の支持を得て発足させた。「私は正統派ユダヤ教徒。以前は、パレスチナ人は人間じゃない、敵だと思っていたが、平和がないために息子は殺されたのだと分かったのです」。現イスラエル側遺族の会代表のフランケンタールさんは6月21日、朝日新聞社主催の講演会(東京・浜離宮朝日ホール)でそう話した。
 テロの犠牲になった家族に連絡を取り、賛同の輪が今では約250家族に広がった。パレスチナ側にも和解を考えている遺族がいるに違いないと考えてガザや西岸の占領地を訪問し、「そこにも和平を求めるすばらしい人たちがいることが分かった」。パレスチナ側遺族の会も210家族に及ぶ。
 パレスチナ側遺族の会代表のリハブ・エサウィさん(55)は、母、弟、甥、婚約者の4人をイスラエル兵に殺された。自身も4回投獄され、「初めは復讐を誓ったが母を亡くして考えが変わった。暴力では何の解決にもならないことに気が付いた。裏切りだと言われるが、私はイツハクのような人に出会って人生が変わったのです」。
 両遺族の会は協力して、双方の政府指導者に闘争の即時停止と和平交渉再会を直訴したり、関係各国政府関係者とも会見。平和集会、共存教育セミナー、出版、交流会、両民族を結ぶフリーダイヤル、困窮するパレスチナ難民への援助などを展開している。
 イスラエル兵に弟を殺されたパレスチナ人のガズィ・ブリギスさん(41)は、「最初は弟を殺したやつを私の手で殺してやろうと思った。だが、それでは暴力が繰り返されるだけ。そりゃだめだ、と自分に言い聞かせて遺族の会に入ったのです」。
 復讐心から和解へと気持ちが変わったきっかけは何か、と問われてブリギスさんは答えた。「私はイスラム教徒だが、キリスト教も勉強したしユダヤ人とも知り合った。宗教は人を殺せとは決して教えない。イエスは『右の頬を打たれたら左の頬を出せ』と言った。人間としてこの教えは正しいことが分かる。私もそうありたい」
 柿内さんによると、メシアニック・ジューの中にもパレスチナ人は「約束の地」から出て行くべきだと考える右派がおり、パレスチナ人クリスチャンの中にも親パレスチナ的な考えの教会があるが、そうした中で双方の福音派を中心とした少数のクリスチャンは、相互に支援をし、平和を求める一般のイスラエル・パレスチナ両市民に良い証しになっている。双方の交流を進めている組織「ムサラフ」のキャンプには、どうして仲良くできるのかと不思議がるユダヤ人やイスラム教徒のアラブ人も参加し、彼らの働きを通してイエスを知り、和解のために役立っているという。
 来年2月にはムサラフ代表らの来日を計画しており、柿内さんは支援団体や教会を求めている。連絡はEメールで、hanaserv@aol.comへ。

「有事法に従わない」−−各派が抵抗と不服従を声明0307060202

6月6日、国会で有事関連法が成立したことに対し、抗議と抵抗の声明が相次いでいる。
 日本バプテスト連盟靖国神社問題特別委員会(藤田英彦委員長)は、 聖書から「剣をとる者は剣で滅びる」(マタイ26・52)、「狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく…」(7・13~14)、「平和をつくり出す人たちは、さいわいである」(5・9)を引用。昨秋、連盟総会で「たとえ有事法案が成立しても、悪法には従わず、戦争協力を拒否する」旨の信仰的宣言を採択したことを踏まえ、「キリストの『平和の福音』に立つ者として、私たちは有事法制に従わず、イエス・キリストのみに従う」と表明。「あらゆる『基本的人権』の侵害と、『信教の自由』の侵害に対し、見張り人として反対していく決意」を表した。
 福岡地方バプテスト連合社会委員会(松藤一作委員長)も、昨夏の臨時総会で「宣言 私たちは戦争協力を拒む」を採択したことに触れ、「『平和を実現する人々は幸いである』(マタイ5・9)というキリストの招きに応え、『あなたは殺してはならない』(出エジプト記20・13)という戒めに堅く立ち、平和と和解を実践していく」として、「一切の戦争にも、有事法制にも協力せず、平和の主キリストにのみ従う」決意を示した。
 日本キリスト教会東京中会(久野真一郎議長)は「戦争協力の強制に対する抵抗の声明」を発表。第52回定期中会において採択した有事法案反対声明の中で、使徒言行録5章29節に基づき「イエス・キリストを主と信じ告白する自由が不当に制限されるにいたった場合には、わたしたちは人に従うよりも神に従う方を選ぶでありましょう」と宣言したことに基づき、▽戦争に協力するために教会堂、牧師館、その他の教会施設や土地を提供しない▽主日礼拝と同じ時間に避難訓練などが行われても参加しない、など一致して抵抗の姿勢を貫くことを宣言した。

聖なる事業は聖霊の事業−−フリーメソ・大阪日本橋教会創立100周年0307060404

日本フリーメシジスト教団大阪日本橋教会(津村春英牧師)の創立100周年感謝礼拝式が6月7日、大阪市中央区にある同教会で開催された。この日のちょうど100年前、大阪市南区で北米フリーメソジスト宣教師河邊貞吉により第1回目の礼拝が行われている。
 式ではまず主任牧師の津村氏が、同教団の創設者であり、同教会の開拓者である河邊貞吉にふれ、「主よ、あなたは河邊先生に願いを起こさせ、良い業を行わせて下さいました。100年前の今日に最初の礼拝が献げられてから、幾度もなく困難、試練に遭遇しましたが、このような感謝礼拝を献げることの恵みに感謝いたします」と祈祷。
 同教団理事長の島田巌氏がルカ4章16節から21節の聖書個所から、「主の霊を受けて」と題してメッセージをした。
 島田氏は、創立者河邊貞吉の説教集、日記にふれながら、河邊の聖霊観、伝道論、教会観を語った。
 河邊は米国から帰国後、淡路島で伝道。その後、1903年に開催された第5回内国勧業博覧会に集まる人に伝道するため大阪に来た。日記の中には、飼い主のない羊になんとか福音を伝えなければならないという思いが記されている。
 島田氏は、「飼い主のいない羊たちに対する温かい同情と聖霊の熱い思いから、河邊先生は聖霊を受けよと絶叫されました。先生にとって聖霊がすべてでした。その根底に流れる失われた魂に対する情熱は今なお新鮮です」と語った。
 また、聖霊を強調した河邊だが、そこには独自のバランスがあったと指摘。「都会の真ん中に大きな教会を作ることだけが伝道ではない。人を神の前に立たせ、自分の罪を言い表し、キリストを信じ、聖い生活を送り、その生活によって伝道すること。伝道とホーリネス、大衆伝道と個人伝道のバランスを強調しました」と述べた。河邊が淡路島の家を一軒残らず、草鞋履きでトラクトを配ったのは伝説となっている。
 「聖霊によって、火の玉のように伝道することと同時に、聖霊によって自分の内側が聖められる必要があることを河邊先生は自覚していました。それは教会を営利目的の会社にしてしまう危険があるからです。牧師が聖められないで、どれほど教会が大きくなっても意味がない。聖なる事業は良心の事業であり、聖霊の事業です。聖霊によって勝利し聖霊にあふれる教会にさせていただきましょう」と締めくくった。
 100周年を記念して同教会の記念誌も発行された。