[CSD]2012年2月26日号《ヘッドライン》

[CSD]2012年2月26日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎君が代予防訴訟:原告教員ら敗訴——教訓から預言者の使命を
◎被災地にも届けたい ウガンダ子どもたちの歌と踊り——ワトト・チルドレンズ・クワイア「希望のコンサート」主催者募集中

 = 2 面 ニュース =
★2.11集会:信仰内面化の危険を警告——同盟基督関東地区で山崎KGK総主事
★2.11集会:教育統制で国家神道徹底——大阪・教育基本条例案に危機感
◎2.11集会:第2の敗戦もごまかしあった——戦争の生き証人 渡辺信夫氏が見た3・11
★<落ち穂>「十分に悲しむこと」

 = 3 面 教界ニュース =
★<竜馬をめぐる人々>[77]坂本直寛の章:36——初週祈祷会のリバイバル 記・守部喜雅
★<オピニオン>多数原理に単純化する「民意」の危険 記・根田祥一
★集会・イベント情報

 = 4・5 面 新学期特集=
★随想 新しい学びの季節 記・守部三浦 喜雅
★学びを始めた人:自分と違う考え方に発見がある
★学びを提供する人:教会が元気になり、力になる

 = 6 面 神学/震災=
★キリスト者は震災の問題をどのようにとらえたらよいのか——聖書と神学から考える? 記・中澤啓介

 = 7 面 伝道・牧会を考える=
★ケープタウン決意表明(17)——私たちが愛する主のために(15)
★解説:宣教の統合性
★<小さき人々のパラダイス>[16]共働学舎の挑戦——生きて働く御手 記・佐原俊幸

 = 8 面 レビュー=
★CD:「Live for someone」神山みさ(ライフ・クリエーション、全7曲、2,100円)
★BOOK:『ヨハネの黙示録講解 苦難の中にある希望』望月 昭著(いのちのことば社、2,100円税込)
★Movie:「戦火の馬」S・スピルバーグ監督(3月2日<金>より公開)
★INFO:シンガーMigiwa NHKラジオ番組で不登校体験と神の愛を語る
★BOOK:『聖書の世界が見える 植物編』リュ・モーセ著(Duranno Japan、1,580円税込)
★BOOK:『きぼうノート』みなみななみ著(いのちのことば社、1,050円税込)
★BOOK:『キリスト教入門 歴史・人物・文学』嶺重 淑著(日本キリスト教団出版局、1,260円税込)
★BOOK:『おやすみまえに ちいさなてんしたちへ』サラ・ドット文、ドゥブラウガ・コラノヴィッチ絵(女史パウロ会、1,365円税込)



◎君が代予防訴訟:原告教員ら敗訴−−教訓から預言者の使命を=1202260101

 東京都教委が03年10月に出した国歌の起立斉唱などを規定した通達(10・23通達)の無効確認などを、都立学校の教職員ら約400人が求めていた「国歌斉唱義務不存在確認等請求訴訟(通称「予防訴訟」)で、最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)は9日、上告棄却を言い渡した。 同訴訟は06年東京地裁判決では教員らの主張を全面的に認めたが、昨年1月東京高裁では教員らが敗訴した。原告でクリスチャンの教員らが8年の訴訟を振り返り、この時代に生きるクリスチャンのあり方を述べる。

 判決文の反対意見では宮川裁判官が10・23通達は憲法19条違反とし、「思想の多様性を尊重する精神こそ、民主主義国家の存立の基盤であり、良き国際社会の形成にも貢献する」と主張、補足意見では櫻井龍子、横田尤孝両裁判官が都教委に自制するよう注意した。
 岡田明さん(都立高校教諭・原告)は「一審の勝訴判決文を維持できなかったのは残念」とし、「予防訴訟の中心となっていた団塊世代は多くの方々が定年退職した。私(50歳)より若い世代はこの問題に関わらない。処分を受ければ給与、出世、異動等処遇面で多大な不利益があるからだ。信仰ゆえにどうしても起立・斉唱・伴奏できないと思うクリスチャンだけが取り残されつつある」と現状を話した。 「東京のクリスチャンの教員でネットワークを作っているが、多くの人が自分の教派、教会でも支援されない、むしろ批判されると泣いている」という。
 「これは信教の自由の問題。日本の未来の国家体制に繋がる大問題だ。歴史の教訓からも諸教会は預言者の使命を果たしてほしい」と呼びかけた。
 木村葉子さん(元都立高校教諭・原告、現浜松ウェスレアン教会伝道師)はこう述べる。「『10・23通達』は、戦後、最大の教育行政からの悪質な『命令と処罰』による教育介入。予防裁判は教育の良心と、この命令の『踏み絵』の苦しみから教職員が必死で不服従を提訴した初の403人の裁判。1月にも、石原慎太郎都知事は『肉体の動作をもって、行事の中で刷り込んでいくことを先生が体現して見せず、一番大きな教育の責任を放棄している』と発言した。しかし最大の教育の責任は、生徒の個人の尊厳を尊重し真実を教え希望をもてるよう育てることです。都公立学校は言論の自由がない場へと破壊された。今回反対意見と多数意見3人(桜井、金築誠志、横田裁判官)の補足意見があった。5人中4人が都教委に自制を求めたのは多数意見の「合憲」が動揺して「違憲」に近いことを示す。宮川裁判長の違憲意見は、明瞭に都教委による教育の危機を捕らえている。 教会は個人の尊厳について深くキリストから教えられている。教育に対し、苦しむ人、子どもに対し責任があると思う」
 戦前、神社参拝拒否のために迫害を受けた美濃ミッション代表の石黒イサクさんは、10・23通達について「地方公務員が都歌・府歌・県歌などを式典で歌うことを規定して服務規程違反というのであれば、一応の論理は通るが、国歌『君が代』を振りかざして、『俺のいうことを聞けない者は、天皇に逆らうことになる』という論理で脅迫するのは、よく取りざたされる『愛社精神』と比較したとしても、全くもって横暴としか言いようがない」と批判する。
 以前から裁判が有効・最善の方法ではないと指摘していた。「三権分立とはいえども、当局側に不利な判決は出せない最高裁が、キリスト者の立場を認めたり、私たちの意見・主張を公平に評価するとは思えない。条例、法律などにこれらのことを盛り込んで思想弾圧などをしているのは、戦前美濃ミッション迫害の時に、大野伴睦が言った『合法的に弾圧せよ』という政治家特有の手法を、現在にいたるまで遂行しているということだ」
 マタイ28章20節を引用して「戦前も今でもキリスト者に対する社会の風当たりは強く、すんなりと認められることは期待できない。だからといってあきらめたり、悲観する必要はない。続いて全国どこでもキリスト者としての立場を明確に表し、迫害されても、馬鹿にされても地道に証しをしていくしかないと思う。主は常に、私たちと共に居てくださるのだから」とキリスト者教員にメッセージを送った。

◎被災地にも届けたい ウガンダ子どもたちの歌と踊り−−ワトト・チルドレンズ・クワイア「希望のコンサー

 エイズや内戦で孤児となり、片親もしくは両親とも失うという苦難に耐えてきた、ウガンダの子どもたちによる歌と踊りのグループ「ワトト・チルドレンズ・クワイア」が、今年も5月30日から7月4日まで、日本各地でコンサートを開く。6月2日から8日までは被災地・東北で支援コンサートを行う。
 ワトト・チルドレンズ・クワイアのメンバーは、NGO「ワトト・チャイルド・ケア・ミニストリーズ」により救出された子どもたち(小・中・高校生)。1994年から世界中で「希望のコンサート」を開催し、現代ゴスペルと伝統的なアフリカリズムが融合した歌と踊りを披露しながら孤児となった実体験を語り、感動を呼んでいる。
 日本には08年に初来日後、毎年訪れては各地でコンサートを行ってきたが、昨年は東日本大震災のため中止。予定を変更し、10年に訪問した東北の地域を中心に被災地支援を主とした活動をした。今年は再度、東北を訪れ、現地の必要に合わせた被災地支援につながる交流をもつことが計画されている。
 ワトト・ジャパン(事務局・林桃子)では、ワトト・チルドレンズ・クワイアによる「希望のコンサート」を開催する主催者を募集している。関東は6月10日、12日、三重0関西地方は16日、17日、近畿地方は20日、21日、関西0中国地方は23日、24日、九州地方は30日、7月1日。問い合わせTel&Fax.03・5775・3747、080・3382・8766、Email:japan@watoto.com 林桃子まで。http://www.watoto.jp (日本語)、http://www.watoto.com (英語)

◎2.11集会:“第2の敗戦”もごまかしあった−−戦争の生き証人 渡辺信夫氏が見た3・11=1202

 2月9日、東京・世田谷区の世田谷烏山市民センターで開かれた日本キリスト教会東京告白教会主催「信教の自由を守る日記念講演会」では、同教会牧師で元海軍兵士の渡辺信夫氏(89)が「第1の敗戦と第2の敗戦─3・11からみえてきたもの─」と題して講演した。
 渡辺氏は1945年8月15日の太平洋戦争敗戦時を「第1の敗戦」、昨年の3月11日の東日本大震災を「第2の敗戦」と捉え、講演した。
 被災地を訪問し、「津波の跡を見て、まるで戦場だと直感した」渡辺氏は、第1と第2の敗戦において「死と破壊」の扱われ方に違いがあると注目。「第1の敗戦では、国家によって無造作に死に追いやられ、遺体の多くは、海中や戦場に置き去りにされた。遺族はその悲しみにひたすら耐える場合がほとんど。戦争で愛する者を失った悲しみが経済成長の満足にすり替えられてしまった」
 だが「第2の敗戦では『悲しみを悲しみでないものにすり替えるごまかし』はなかった」と指摘。「第1の敗戦では悲しみが金銭的繁栄にすり替えられ、問題の本質が隠されてしまったが、第2の敗戦では悲しみを悲しみでないものにすり替えようとする試みを誰もしていなかったことがせめてもの慰めだった。国家の介在なしに人間の死が人間の死として尊厳を保つ本来の扱われ方に戻った」
 だが、原発問題に関しては、「平和利用という美名に惑わされ反対運動の気力が鈍った。原子力利用と平和が矛盾することを見抜く知恵がなかった。第1の敗戦で自分自身のごまかしの不正に気づいていたが、第2の敗戦でも自分自身へのごまかしがあった」と悔い改めた。
 「第2の敗戦で明らかになったごまかしは、第1の敗戦処理の時のいいかげんさの継続。隣人がいても隣人であることが見えてこない」と渡辺氏。だが「『私が隣人になる』という道があることが分かれば、隣人は見えてくる」と結んだ。