ヘッドライン
[CSD]2003年3月2日《ヘッドライン》
[CSD]2003年3月2日《ヘッドライン》= 1面 =
◎山間部で小さなリバイバル 私塾「子どもの家」——問題多い子らが変わってきた
★祈りを聞くという信仰——戦争回避祈り断食した吉高 叶牧師
★米国:キリスト者迫害 北朝鮮が首位——オープン・ドアーズが報告
★<恵みのどんでん返し>若い説教者から示され、再び神の側へ 記・山東克己
★<落穂抄>経済社会の状況を執り成す姿勢も
= 2 面 =
◎ミラード・エリクソン『キリスト教神学』刊行の意味 記・宇田 進
★米国:新たな教会連合構想——カトリック、正教会、聖公会、福音派、ペンテコステ派含む
★<論説>障害者を迎える教会——聖書的障害者観の確立がカギ 記・内川 寿造
★<詩>「土砂降り——M姉妹に」 作・中山 直子
★<今週の本棚>『子供服を着たクリスチャン』デイビッド・A・シーモンズ著(イムマヌエル綜合伝道団出版部、1500円) 評・斉藤善樹
★<今週の本棚>『マルコ福音書のイエス像?』阿部洋治著(聖学院ゼネラル・サービス、4300円)
★<今週の本棚>『高齢の聖徒たち』I&M・リープサム著(CLC出版、800円)
<情報クリップ>催し情報ほか
= 3 面 =
★日本バプテスト連盟 平和宣言——教会は戦争に役立たない群れに
★宣言は社会に対する説明責任——起草作成者らに聞く
= 4 面 建築特集=
★豊郷小問題——「もし私がヴォーリズなら」 片桐郁夫氏に聞く
★素朴なレンガ造り「スコットホール」——建築が人を教育する
★ヴォーリズ建築絵画公募展開催——近江兄弟社ハイド館で展示へ
★ミケランジェロの教会壁画に感化——聖書テーマにステンドグラスを製作する田が原
★各地の教会を巡る一冊『日本の教会をたずねて』——「別冊太陽」から発行
★21世紀の教会堂のあり方と方向性——手を加えても使い続けること 記・鬼頭 梓
= 5 面 教会教育=
★教会学校を参加体験型グループ学習で——西大寺キリスト教会
★チャーチ&ホームスクーリング教科書相次いで発売——チア・にっぽん
★マンガで信仰と友情描く「教会に戻っておいで」——あっぱれドンマイズ
◎教会学校情報ホームページCEOLISのアンケート調査出そろう——礼拝に遊び要素入れる傾向
= 6 面 関西だより=
★たこ焼き屋「笹やん」の屋台伝道——浪速のおっちゃん牧師・笹木四郎さん
★肉の糧も霊の糧も何でも話せる信仰の場——同志社大学聖研イエス会
★国際都市に伝道の拠点——神戸バイブル・ハウス再建
★大阪市内に新しく5つ目の教会建築——単立・カリスチャペル
★ユーオーディア関西公演実現
= 7 面 =
★不登校の体験思い出し楽曲に——「My only reason」をリリースしたゴスペルシンガーMIGIWAさん
★1月にVIPシカゴ発足——日本語で在住日本人に福音を
★<北から南から>福島:キリストの愛教会——片思いのあの人にバレンタインコンサート
★子らの祈りの会話集が大人にも大反響——コイノニア社から出版
★<CDの時間>「約束の旅路」森繁 昇(ヴァインレコード、2600円)
★<脱北—川向こうの基督>[7]「目に見える世界が全てじゃない」 記・松本 望美
= 8 面 家族のページ=
★普通の家族?——子育てから自分育てへ
★親自身が学んでいかなければならないことは——『家族が仲よくなるひけつ』玉置 功著
★<家族診断>[7]あなたの幸せを求めてよいのです 記・碓井 真史
★<魂の健康を目指して>[6]精神科に行ったらだめ? 記・矢野 悦子
★<うちのオカン>我が母親エピソード 記・内越 努
山間部で小さなリバイバル 私塾「子どもの家」−−問題多い子らが変わってきた0303020101
「秋になってぼくはお母さんといっしょに洗礼を受けました。勉強は今でもきらいです。でも、やらなくちゃならないと思っています。大きくなって神さまのご用をするために勉強は必要です」「神さま、多くの人に部落への橋をわたらせてください。神さまの橋を私の家族みんないっしょにわたれるように、信仰の道をひらいてください」。これらは谷口いつ子さん(51)=桔梗ケ丘ルーテル・キリスト教会員=が自宅で開く私塾『子どもの家』にやってくる小学生の作文の一部だ。三重県上野市の山間に、今小さなリバイバルが起こっている。2年前に開所した『子どもの家』の子供たちや家族の中から次々と洗礼を受ける人が起こされているのだ。両親の離婚に苦しむ子ども、同和地区で差別を体験する子どもら6人の小学生のほか、不登校や受験の問題を抱えた中高生も出入りする。「神様しか解決できない生々しい現実」を生きる子どもたちや地域の暮らしを通して、谷口さんの「この村に教会があれば」という願いは日ごとに切実さを増す。子供たちのために命を捨ててもいいが、国の政策のために命を失いたくないというイタリアの教育家モンテッソーリのことばに共鳴する。28年間の小学校教員の経験の上に、数年前オーストリアのウィーンで開かれた日本人の子どもたちを対象にしたモンテッソーリの教育を行なう『子どもの家』の立ち上げを手伝った体験を踏まえ、一昨年の4月から自宅を開放した。
キリスト教精神に基づいてモンテッソーリ教育をやりますと書いた生徒募集チラシには、行事は教会の暦と共に行ない、希望者は日曜日に教会学校へと明記した。
現在昼間は幼稚園児が4、5人集まり、夕方から小学生、ときに中高生も顔を出す。学習面ではわからないところを教え、学童保育のように遊びや行事の中で心を開いて話しあえる場を作る。送迎の車の中はおしゃべりや賛美でにぎやかだ。片道40分以上かかる子供もいるので、車中も動く『子どもの家』のようなものだ。
子どもたちに洗礼を受けなさいと言ったことはない。ただ、物事を始めるときに祈ったり、会話の中で神様はいると話したり、教会学校に連れていって聖書の話を聞くことが子どもたちの目を開いていった。洗礼を受けた子どもの1人は牧師になりたいと望み、孫2人が洗礼を受けた家では、仏壇を買うはずだったがやめようと思うと話したという。
「いやなことは必ずいいことになる。大きくなって役立つために神様が経験させてくれてるんだと思う。どうしようもないときはイエス様がいてくださる」と、家庭に問題を抱える女の子は言った。創り主を知ったときどうしようもない現実を体験している子供たちの中に真実希望が生まれるのを谷口さんはまのあたりにしてきた。
谷口さん自身、順風満帆の人生を送ってきたわけではない。優秀で人望ある教師としていずれ管理職へと嘱望され、家ではやさしい夫とその両親と3人の息子に囲まれた平穏な暮らしを送っていたが、ふとしたきっかけで仕事をやめ、家族の元を去る。何もかも捨てて上京した谷口さんを待っていたのは、思いもよらない裏切りや暴力だった。
「教会でヨブ記みたいと言われるんですが、神様はこうでもしなければ私というラクダは針の穴を通らないと思われたんだと思います。2年間荒野をさまよいましたが、どこにいても、どこに行っても、神様がおられました。神様のなさることに無駄はひとつもなかったし、最後には恵みだけが残ったんです。あの2年間がなければ今の私はなかった、今の幸せと喜びはなかったと確信しています」
試練の中で体も心も傷つきながら、どこかで常にこの経験は子どもたちに教えるとき必ず役立つと考える自分がいたと、谷口さんは振り返る。根っからの教育者。神は谷口さんを荒野に放り出して、タラントをさらに練り上げようとしたのかもしれない。学校とは違う教育という新たな使命感を抱いて帰郷した谷口さんを待っていたのは、放蕩息子を歓迎する父親のように大きく温かい家族の愛だった。帰ってきた谷口さんを冷たい目で見る人がいても、家族が結束して偏見をはねのけてくれている、塾の働きにも全面的に協力してくれると、谷口さんは深く感謝している。
この地域に長い谷口さんは、子どもたちだけでなく老人にも本当の創り主に出会う機会を提供できたらと願っている。病院も警察も郵便局もない、もちろんキリスト教会もない、あるのは寺と神社と天理教会と創価学会という高齢者の村。
「ここには若い人にとり残されて一人暮らすお年寄りがたくさんおられます。寂しくて寂しくてどうにもならないという嘆きの声を聞きます。お寺も神社にいくらお布施やさい銭をあげても何も変わらないということを、本当はみんな知っています。ただ、変わるチャンスがないんです。本当に教会がほしいですね。時間を知らせるサイレンの音の代わりに教会の鐘を響かせたい」
本当の神がおられるのだということを1人でも2人でも伝えたいと谷口さんは熱く語る。神に鍛え抜かれた人の行動力は目覚ましい。
ミラード・エリクソン『キリスト教神学』刊行の意味 記・宇田 進0303020201
米国「福音派」(エバンジェリカル)の代表的神学者の一人、ミラード・エリクソン教授の代表作『キリスト教神学』(1999)の第1巻が、3月に出版の運びとなった。また、出版を記念して再来日が決まり、各地での講演の日程もたてられた。この際に、翻訳・出版にたずさわった者として一文をということなので、特に本書の意義について簡潔に記させていただくこととした。
(1)今日、キリスト教は多元化分衆の時代ナルシシズム文化による個中心真理そのものよりも実益・結果を重視するプラグマティズムなどの逆風にさらされながら、福音宣教のむずかしい時代に直面している。教会の教勢の下降傾向は、今や世界的な現実となりつつある!
こうした状況の中で、キリストの教会はあの手・この手とまず方策を練り、種々戦術をこらしながら脱皮と前進を計ろうとしている。
だが近年、この現実を、キリスト教界における「実践のテクノロジー支配」の状況であるとする分析と警告がなされている(拙著『総説現代福音主義神学』2002いのちのことば社刊、参照)。そこでは、「宣教のHow(いかに)」が中心となり、「福音とは一体何か」の、すなわちキリスト教の信念体系のファジー化と消失が結果していると指摘されている。宗教社会学者のピーター・バーガーも、キリスト教における「信憑性の危機」を指摘している。結果は、福音の浸透どころか、むしろ福音の不透明化とその影響力の後退である。
こうした今日的状況の中で、エリクソン教授による本書は、キリスト教の信念体系の内容を今一度順序立ててわれわれの前に明示してくれると言えよう。
(2)最近、「福音派」だとか「リベラル派」だとかいう区分や論議は無益であるかのような意見を目にしたが、これは2千年にわたる戦闘の教会の歴史と伝統を顧みないばかりか、現代の神学的世界を看過している無定見な見方であると言えよう。
日本において、聖書的信仰を重んじる福音派教会は、歴史的にはアメリカの極端な「ファンダメンタリズム」(根本主義。最近原理主義という訳も登場)とほぼ同一視され、時代遅れ頑迷反動形成産業社会の邪魔ものなどと取り沙汰されてきた! また、しばしば「保守派」とも呼ばれ、反知性主義と情緒的タイプの信仰の持ち主たちと見られがちであった。
こうした傾向が生まれてしまった一半の責任は、「福音派」とか「聖書信仰」を名乗る者たちの側にあると思うが、このたび出版の運びとなったエリクソン教授の本書は、福音主義キリスト教とは何かをよりはっきりとした形で、そして現代における一つの意味あるオプションとして、日本のキリスト教界に提示する貴重な媒体になる、と考えている。
(3)今まで「福音派」と言うと、古い伝統に固執して、それをひたすら堅持することばかりに熱心な群れと見られがちであった。だが、「殉教者たちの血は教会の礎石である!」は、万華鏡のような現代社会にあって、すべてのキリスト者のハートにしかと銘記さるべき歴史の事実であろう。
歴史的な福音主義キリスト教にコミットするエリクソン教授は、しかしながら現代との対話と福音の今日化とを決して忘れない。たとえば、プラグマティズム、実存主義、言語分析哲学、プロセス哲学、脱構築(ポストモダニズム)の問題も取り上げて論じている。また、福音派はしばしばプレ・クリティカルと批判されるが、様式史をはじめ、編集史、構造批評、そして最近の読み手応答批評などの聖書批評学の功・罪も明らかにしている。
さらに、独立した一章を設けて、論理実証主義、後期ヴィットゲンシュタインの「言語ゲーム」、オースティンの「言語行為論」などにふれながら、神学的言語の性格とその有意味性とを明らかにしている。
(4)最後に、福音派はよく、伝道には熱心だが教理に弱いと言われてきた。「ここに幸あり!」という信仰的確信の末長い保持と、それの他者への説得力のあるあかしには、教理の学びは不可欠である。エリクソン教授は、この面でも大きく貢献されると信じている。(東京基督教大学名誉教授)
教会学校情報ホームページCEOLISのアンケート調査出そろう−−礼拝に遊び要素入れる傾向030302
教会学校(CS)に関する情報をいつでもどこでも入手できるホームページ(HP)「CEOLIS」(セオリス)が昨年立ち上がってから半年がたつ。現在アクセス件数が徐々に増えており、「ジョイジョイ・バイブル・アドベンチャー」を紹介した西村敬憲氏(同盟基督・西大寺キリスト教会牧師)のインタビューなど、教会学校情報を見る件数が多いことから「他の教会がどういうことをやっているのか関心がある、知りたいという人がアクセスしてくる」と、HPを立ち上げたCS活性化委員会(矢吹博委員長)は分析する。
HPの内容も充実してきている。今までに同委員会がインタビューしたCSに重荷のある教師、牧師、超教派団体のスタッフなどは約20人。各教団、教会でCS教育のためのセミナー講師の人材リストも充実してきたという。
さらに昨年3月から7月にかけて教案誌「成長」(CS成長センター)にアンケート用紙をはさみ込むなどして「CEOLISアンケート調査」を実施したが、その結果もほぼ出そろったという。
アンケート回答率は、関東の教会が43%、全体の95%が日本福音同盟(JEA)加盟教会で1.関東圏2.都市部3.福音派4.戦後設立教会5.中規模以上でCS生徒の人数が20人以下の傾向を反映しているが、興味深い傾向が出ている。
第1は、CS活動形態の自由化傾向。従来の「子ども向け礼拝と分級」という形態を取っている教会は全体の31%に満たず、半数以上の教会で1.CSの時間が根本的に再構成されてきている2.礼拝そのものに遊びやゲームを取り入れてきている。
礼拝そのものに遊びやゲームを取り入れてきている一方、CS教師研修会で礼拝そのものを学ぶ教会はほとんどない、とも。同委員会メンバーの一人福井誠さん(バプ教会連合・玉川キリスト教会牧師)は、「礼拝と聖礼典に関する聖書的な考え方が整理されないまま、礼拝の中身がどんどん変わってきている。子どもを集めたい、礼拝を楽しくしたい、という人受けのよい礼拝になってきているのでは」。
第2はCS教師の意識の質問で、「このCSでは、奉仕を適切に遂行するために必要な情報、材料、道具類がそろっている」「このCSでは奉仕の成果を自他共に認める経験があった」の2つの質問に対し「そうではない」と答える傾向が強かったこと。どの教会にも「環境」や「評価・表彰」の不十分さに拘る傾向がある。それは教会が成長している、していないに関係がない、との分析結果が浮き彫りになった。
そのほか1.「自分の救いを証しできる」「基本教理を説明できる」とはっきり言える教師のいる教会は受洗者を出している2.インターネット活用や手紙を出すことよりも、CS教師が家庭訪問し直接コンタクトしている教会が伸びている3.月に1度中学生と小学生が一緒の活動を持ち、小学校5、6年生ごろから中学科に組み入れている教会は、小学校から中学校への移行がスムーズ、などが今回の調査で明らかになった。この調査結果は近々HP上で紹介される予定だ。
福井さんは「今、CSが日本全国でどういう状況になっているか、傾向が見えるまでにはまだ至っていない。今後もできるだけ多くの情報を集め、それらを公開し、情報を共有することで、CS活動が底上げされていけばよいと思います。またキリスト教教育の理論や実践など、神学校教育が何を教えてきたのかもはっきりさせる必要があります」と語った。
[CEOLIS]http://www.wlpm.or.jp/ceolis/