[CSD]2004年6月6日《ヘッドライン》

[CSD]2004年6月6日《ヘッドライン》
 = 1面 =
◎炎のランナーが教えた「自分の敵を愛せよ」——E・リデルと出会ったS・メティカフ元宣教師の著作を発刊
★ハワイで日本人伝道学ぶ——マキキ聖城教会100年の歴史たどる
★英国:信じていても教会行かない——「文化的キリスト者」の見方も
★<恵みのどんでん返し>コンサート主催、苦労飛ぶ観客の涙 記・長倉 基之
★<落穂抄>若者の心に届いた本

 = 2 面 =
★ミャンマー少数部族ゾトゥン語新約聖書完成——制作支援の日本聖書協会に感謝
★<聖書訳語の最前線>[7] 「ひとりの違反、ひとりの義の行為」 記・内田和彦
★「自己責任論」は誤り——日キ教会東京中会靖国委が声明
★イラク派遣自衛隊、地元は看過できず——日基教団北海教区
★<教界の動き>西日本ルーテル、東京キリスト教学園ほか。
★<論説>牧師の異動と教会——平静と勇気と知恵を 記・津村 春英
★<今週の本棚>『悟りと救い』藤井圭子著(一麦社、1,365円) 評・守部喜雅
★<今週の本棚>『メシアニック・ジュダイズム』ダニエル・ジャスター著(マルコーシュ・パブリケーション、2,835円)
★<今週の本棚>『ママの手 催眠術みたい』松居 直編(女子パウロ会、1,400円)
<情報クリップ>催し情報ほか

 = 3 面 児童伝道特集=
★子どもたちのための祈祷会:「お受験」に傷ついた親子
★子どもたちのための祈祷会:自殺願望中学生、教会に電話
◎広がるチャーチスクールの今——聖書土台、スタイル様々
★教会の「?」に答える一冊
★月刊「らみい」ますます好評

 = 4 面 関西だより=
◎「もうひとつの言語」手話を楽しむ——NHK「みんなの手話」講師・米川明彦教授
★大阪水上隣保館で「ゆりの礼拝堂」建築中——創立者の愛の実践知り野村義照画伯が「懐妊の聖母」模写を寄贈
★時代超え語り続ける三浦文学——『氷点』発表から40年
★<この人に聞く>教会を狙う盗難被害が増えている——小林雷三さん(小林保険サービス)
★VIP京都が歌と講演でパワー発信

 = 5 面 =
★アフガン難民学校が閉鎖の危機——NPO「燈台」が現地報告
★カリスチャペル:ミュージカル「イエスの復活」で教会一致——プロ顔負けの演出
★ミクタム:プレイズ&ワーシップ第19弾——初の一般公募曲収録
★<CDの時間>「CRYING THE CHPEL~涙のチャペル」 NATSUKI (ブライトサッポロ、1,000円)
★<召天>『北国に駆ける愛』の三橋萬利氏逝く(みつはし・かずとし、単立・札幌キリスト福音館ニューライフチャーチ牧師、75歳)

 = 6 面 チャ・チャ・チャーチ=
★互いの顔を見ながら礼拝——大阪/MB・枚方キリスト教会
★会堂建築に墨彩画絵はがきも一役——神奈川/日基教団・横浜岡村教会
★教会の喜寿祝いコンサート——東京/単立・小岩四恩キリスト教会
★<もりべぇのへぇ~>「ヘップバーンさんの職業」 記・守部 喜雅
★<今月の買いどき>十字架とヘブル語のネクタイ(シーアール企画、2,100円)
★<いいもんみっけ>卓球台で敷居を低くした教会

炎のランナーが教えた「自分の敵を愛せよ」−−E・リデルと出会ったS・メティカフ元宣教師の著作を発刊0

 太平洋戦争中、中国山東半島のフェイフォンにあった日本軍の捕虜収容所で、映画「炎のランナー」の主人公エリック・リデル宣教師に出会った少年が、戦後宣教師となり日本で38年間、神様の愛を伝え続けてきた。OMF(Overseas Missionary Felloship International)の元宣教師スティーブン・メティカフさん(77)だ。収容所で開かれたリデル氏の聖書クラスで、メティカフさんは山上の垂訓「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」の言葉はただの理想ではなく実践できることを知る。引退後、英国で日本の捕虜として虐待された英軍人の和解と赦しを促す「アガペ」の活動にかかわっているメティカフさんは「真の赦しと和解は、互いのことを理解し合うことから始まります。日本人は過去の真実を知る必要がある」と語る。スティーブン・メティカフさんの単行本が、いのちのことば社フォレストブックスから8月に出版予定だ。
 1924年のオリンピック・パリ大会、100メートル走の英国代表だったリデル氏は、日曜日に開催された100メートル走競技に出ることを拒絶した。フランス革命以後、フランスでは日曜日にスポーツイベントが開催されるようなった。安息日を守るクリスチャンたちは、スポーツに一切参加できなくなった。リデル氏の行動は同じクリスチャンに対する深い愛からきていた。
 次にあった400メートルリレーでは、アンカーとして走った。最下位でバトンを受けての劇的な逆転優勝。世界新記録を樹立してゴールドメダリストになった。しかし、リデル氏はすべてのキャリアを捨てて、中国伝道に生涯をささげた。1980年に英国で上映され、その後日本でも話題になったアカデミー最優秀賞(オスカー賞)映画「炎のランナー」の隠されたストーリーだ。
 そのリデル氏は、1945年2月に日本軍の強制収容所の中で43歳という若さで亡くなった。2千人いた収容所のすべての人間が参列した葬儀で、メティカフさんはリデル氏の棺を担いだ。3週間前、冬場に履く靴がなかったメティカフさんに、リデル氏はボロボロのランニングシューズをくれたという。
 「でもその靴は履けませんでした。なぜなら靴中が南京虫だらけだったからです。でも私は靴よりもすばらしいものをもらいました。宣教という『バトン』と福音という『聖火』です。もし生還できたら日本人に宣教しようと思いました」
 宣教師の両親とともに雲南省に渡ったメティカフさんは、1938年、山東省ヤンタイにある学校に入学した。1941年12月、真珠湾攻撃を機に、日本はアメリカ、イギリスなど連合国に宣戦布告した。中国北部にいた同盟国人は、日本の憲兵によってフェイフォンにある捕虜収容所に集められた。そこにリデル氏もいた。
 ある日、聖書クラスで山上の垂訓を学んでいる時に、リデル氏とメティカフさんは「汝の敵を愛せよ」という言葉で対立した。
 「この言葉にリアリティーがあるだろうか。私たちが日本の憲兵を愛することなどありえるだろうか。これは目指すべき理想か、実行しうる言葉なのか。議論は『理想』の方に流れていきそうでした」。その時、リデル氏はこう語ったという。「私もそう思うところだった、でも次に続く言葉に気がついたんだ『汝を迫害する者のために祈れ』という。私たちは愛する者のためには時間を費やして祈るが、イエスは愛せない者のために祈れと言われた。だから君も日本人のために祈れ。祈るとき君は神中心の人間になる。神が愛する人を憎むことはできない。祈りは君の姿勢を変える」。リデル氏は日本人のために祈り続けていた。
 52年、メティカフさんは宣教師として来日する。ダグラス・マッカーサーの「日本へ宣教師を」というスピーチをラジオで聴いた時、リデル氏のことを思い出した。
 以来、日本宣教の38年間、引退後のロンドンの日本人教会での伝道と50年以上にわたって日本人にイエス・キリストを伝えてきた。それは人間と神との和解のメッセージだった。  「しかし、日本にいた38年間、私に戦争のことを話す日本人は誰もいませんでした。そのことはタブーでした。若い人たちは先の戦争で日本がアジアで何をしてきたのか知らないのです」。昨年10月、「アガペ」の働きで来日したメティカフさんはこう講演した。
 「世界中の多くの国々で、まだ戦争の傷は悲しい遺産として若い世代に受け継がれています。本当の和解、赦しは、互いに理解し合うことから始まります。この若い世代が真の歴史を知り、和解の途を踏み出してほしい。そのためにも本を書く予定です」 【藤岡竜志】

広がるチャーチスクールの今−−聖書土台、スタイル様々0406060303

 教会が学校教育の代替教育として行うチャーチスクールがここ数年で急激に増えている。本紙の確認するところでは、ここ2年間だけでも新たに13校が開校している。
 この背景には、不登校やいじめの増加、学級崩壊や教師の不祥事などが問題化し、公教育の現場が荒廃しているという現状が考えられる。
 一方で、チャーチ&ホームスクーリングを推進するチアにっぽん(稲葉寛夫代表)の活動や、96年に沖縄で始まったワールド・ミッション・クリスチャン・スクール(喜納邦子校長)の存在が大きな影響を与えている。聖書の価値観に立ち、学校任せにしないで親や教会が子どもを教育することのすばらしさを知り、実際にその現場を見聞きすることで、「自分たちも始めたい」と準備を進めているクリスチャンや教会が確実に増えている。
 聖書に基づいた教育を掲げるチャーチスクールの始まるきっかけ、スタイルはまちまちだ。  幾つかの教会は、幼児教育の延長としてチャーチスクールをスタートさせている。
 03年4月に開校した岡山県の同盟基督・西大寺キリスト教会「サムエル国際キリスト教学園」(ダビデ・セドラチック学園長)、03年9月に開校した埼玉県のKFG志木キリスト教会の「シャローム・インターナショナル・クリスチャンスクール」(久保眞理学園長)は、幼児教育を長年してきた実績をもつ。
 不登校、引きこもりの子の面倒を見ていたことが、開校につながったケースもある。群馬県の伊勢崎キリスト福音館「インターナショナル・クリスチャン・スクール伊勢崎」(田村正幸校長)は、開校前に2人の不登校、引きこもりの子を教えていた。その教育効果に手応えを感じ、今年4月にチャーチスクールを開校した。
 教会学校に力を入れてきた教会が、チャーチスクールをスタートさせるケースもある。神奈川県の単立・みどり野キリスト教会は教会学校にMEBIGを取り入れ、子どもの教育に力を注いできた。その中でチャーチスクールの必要性を実感し、01年4月に「ハレルヤインターナショナルクリスチャンスクール」(西村内弘校長)をスタートしている。
 「チャーチスクールの原点はホームスクール」と位置づけているところや、「ホームスクールを始めたいが妻、夫のどちらかが反対でできない。でもチャーチスクールならば可能」というケースもある。
 千葉県野田市の保守バプテスト同盟恵泉キリスト教会関宿チャペルの恵泉インターナショナルスクール(後平一校長)は、「学校でなく教会に子どもを預けたい」と願う親がいたので、生徒1人でチャーチスクールをスタートした。
 茨城県下館市の下館ハーベストチャペルはホームスクーリングができない家庭の子ども対象の「マスターズクリスチャンスクール」(渡辺亨代表)をこの4月に開校している。
 埼玉県越谷市にあるグレースインターナショナルスクール(森川幸紀夫校長)は「週3回チャーチスクールで、残りの日々はホームスクールで勉強」という生徒も受け入れている。
 時間割的にきちっとするところもあれば、比較的融通がきくところもあり、必要によってチャーチスクールの内容、形態は様々だ。しかし、「聖書を土台とした教育を実践する」という理念は共通している。今後も「聖書に立った教育を」と願う教会が増えることは確かだろう。   【中田 朗】

「もうひとつの言語」手話を楽しむ−−NHK「みんなの手話」講師・米川明彦教授0406060401

 梅花女子大学教授でイエス・キリスト福音の群・茨木キリスト福音教会(永井基呼牧師)教師の米川明彦さんが、毎週土曜日夜9時30分から55分まで放送されているNHK教育テレビ「みんなの手話」の講師・司会として出演している。4月の番組改編で、手話を専門に研究し、世界初の『日本語|手話辞典』(監修、全日本ろうあ連盟、第17回新村出賞受賞)など、手話に関する著作も多い国語学者の米川さんが抜てきされた。米川さんは、手話に対する人々の認識が改まるような内容にしたいと番組に臨んでいる。
 「この番組はへえ~!の連続。今までとは違うものを出していきます」
 手話はもうひとつの日本の言語、と聞いただけで目からウロコの人も多いはず。手話は、耳の聞こえない人のための単なる伝達手段やことばの代用品ではなく、独立した文化を持つ視覚言語なのだ。番組ではそのことをまず明確にしたうえで、従来のように手話を日本語の単語に置き換えて指導するのではなく、言語学の視点からとらえ、日本語と比較対照しながら学んでいく。と、言っても、堅苦しい内容ではなく、手話落語なども登場して、手話の魅力が存分に楽しめる番組になっている。  信仰にも通じる
 理解し合う心  「25週見て、やっていったら手話で話せるようになりますよ。何よりもまず手話に近付くこと。聞こえない人と親しむこと。手話は手にこだわる必要はないんです。身振り、表情、なんでも使って表現することが大事なんです。ことばはコミュニケーションの手段。正確さよりも理解し理解されようとする心が一番大切なんです」
 信仰もそうだと、米川さんは言う。イエス様の中に飛び込めばいいのに、待っているばかり。教会の中でも、他者との交わりを拒否してしまう人が多くなった現状を憂う。
 番組は、手話を教えることが目的ではなく、手話を通して人と人とのコミュニケーションの大切さを知ってほしいと願っている。
 米川さんが書いた「手話との出会い」というエッセーが、小学校の国語の教科書(光村図書・4年下・02年度版~)に載っている。前年度の5年生用の教科書に書き下ろした「『その人』と出会って」という文章をやさしく書き直したものだ。耳の聞こえない女性と出会った青年時代。初めて知る手話のひらひらと動く手の美しさと雄弁な瞳。米川さんの手話との出会いは、妻との出会いであったと文章は終わる。この美しいエッセイに感動した小学生からの手紙が全国から届いたという。
 教科書に書ききれなかったことがある。妻あけみさんと出会ったのは教会に向かう途中。互いに求道中だった。
 米川さんは人生について思い悩む多感な学生だった。宗教になんか近付かぬぞと思っていたが、路傍伝道をしていたクリスチャンの湯上がりみたいな表情にひかれた。「真理とは何ですか」と聞くと、すぐさま「真理はイエス・キリストです」と返ってきて驚いた。19歳で洗礼を受け、10年後に結婚した。  手話が結んだ愛  あけみさんは聞こえない自分を否み、親を恨み、生きることに失望していた。高校生の時教会に行ったが、手話通訳がなかったので帰ってしまったことがある。再び教会に行ったのは社会人になってから。そこには通訳者 がいたため、メッセージが理解できた。信仰が憎しみを愛に変え、人を引き付けずにはおかない温かさと明るさで今、教会のパッチワーク教室や手話講習会の中心となって活躍している。
 手話は互いが目をそらせていては通じないことばだ。ろくに顔も見ずに生返事で過ごしている夫婦にも、番組は教えてくれる。見つめ合い、理解しようとする心が愛を育むことを。 【藤原富子】