[CSD]2010年4月11日号《ヘッドライン》

[CSD]2010年4月11日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎新連載<竜馬をめぐる人々>[1]聖書と出合った侍の変革——初の正教日本人司祭 若き日の過ち
★<逝去>クリバリユミコさん(イラストレーター)——がんと闘い、神の愛描き続けて…

 = 2 面 ニュース=
★卒業生を奉仕者に育成——hi-b.a.トレーニングキャンプ
★<逝去>田淵喜朗氏(久喜福音自由教会牧師、66歳)——娘の死 乗り越え牧会
★<落ち穂>北海道にある坂本龍馬家の墓所

 = 3 面 =
◎目的主導へ教会変革に期待——米サドルバック教会3ヶ年トレニーング導入セッション
★日韓併合100年で和解と平和を——南北朝鮮の教会を覚えるイースター公式祈祷文
★バチカン:6言語でツッター始める
★<オピニオン>危機の時代に求められる牧会 記・根田 祥一

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★小林 実さん[中](ペテロ建設[株]代表取締役)——父からバトンタッチ。いきなりトップに
★<モノトーンからの脱出>[7]「無縁社会」に「恵みによる縁」を 記・小川 巧記

 = 5 面 情報 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★DVD:「誰でもわかるビジネスマナー 身だしなみ・姿勢編」秋山いずみ(アイテン[株]、18,900円税込)
★BOOK:『そこに喜びの明日が!』羽鳥明ほか共著(いのちのことば社、300円税込)
★REVIEW:『正しすぎてはならない』高橋秀典著(いのちのこと社、1,365円税込)評・太田和功一

 = 6・7 面 全面広告 =
☆エジンバラ100周年記念 世界宣教東京大会
——世界的教会の一致と世界宣教達成のため——
5月11日(火)~14日 会場:東京・中野サンプラザ

 = 8・9 面 特集/地域宣教の課題を追って 栃木・群馬 =
★青少年の健全育成——教会を子どもたちの居場所に
★お年寄りを見守る——孤独な高齢者を見守る
★自殺者3万人への対応——心病む人の重荷を受け止める
★「安らぎ」がキーワード——教会堂は町のコンサートホール
★女工哀史 教会が慰め
★外国人住民の架け橋

 = 10 面 教会学校 =
★第43回CSK教師研修会:批判でなく成長に寄り添う——信仰とは神に向かうプロセス
★<CSもうひと味>聖書の年表軸で「神の国」の全体像に目を向ける

 = 11 面 クリスチャンライフ =
★最期まで生きる希望を絵に託しクリバリエツコさん逝く——『乳がんだって生きていくあたし』
◎人から人の感動 生き方を物語に——映画「降りてゆく生き方」

 = 12 面 教会 =
★ネバダ砂漠を駆け抜けて——米国・ラスベガス・ジャパニーズ・コミュニティーチャーチ



◎新連載<竜馬をめぐる人々>[1]聖書と出合った侍の変革−−初の正教日本人司祭 若き日の過ち=100

 今、巷では、「龍馬ブーム」だそうです。一般の書店に行っても、龍馬コーナーが設けられ、ここ数年で、400冊を超える坂本龍馬に関する本が出ているとか。NHKテレビの大河ドラマ「龍馬伝」で、この近代日本を拓いた一人と言われる人物に興味を持った人も多いことでしょう。ところで、龍馬と関係のあった人物のなかには、聖書との不思議な出合いにより人生の変革を体験した人々がいたことをご存知でしょうか。連載は、その信仰の足跡を追ったノンフィクションです。

 「命の値段」というタイトルが印象的でした。
 2月28日放映のNHKテレビ大河ドラマ「龍馬伝」、この第9話に、後に日本人初の正教会司祭となった山本琢磨の若き日の苦難のエピソードが出てきたのです。
 事件は、1857年(安政4)の夏に起こりました。当時、龍馬は江戸は築地にあった土佐藩の武家屋敷に身を寄せ、千葉周作の弟・貞吉が開いていた道場で剣術修業に励んでいました。
 当時、龍馬だけでなく、剣術修行のため、江戸に出てきていた土佐藩の下級武士たちは多く、その中に武市半平太や沢辺(旧姓=山本)琢磨もいました。ちなみに、「月さま、雨が…」、「春雨じゃ、ぬれて行こう」の名台詞で知られる行友李風の戯曲「月形半平太」のモデルは武市半平太と言われています。
 土佐藩きっての剣の使い手でもあった半平太は後に、外国の勢力に立ち向かうべく攘夷の旗印をかかげ土佐勤王党を立ち上げた人物ですが、龍馬の遠縁に当たり、妻・富子の叔母は山本琢磨の母親になります。
 この3人はお互いが親戚関係にある仲ですが、琢磨がとんでもない事件を起こしてしまったのです。ある夏の宵、友人と酒を飲んだ琢磨は、酔った勢いで、通行人の佐州屋金蔵にからんで、金蔵が落としていった高価な懐中時計を拾い、それを質屋で金に換えてしまいます。
 ドラマでは、奉行所の取り調べで事件を知った武市半平太が琢磨に切腹を迫ります。やがて土佐勤王党を旗揚げしようという矢先、武士の風上にもおけぬ身内の不祥事を見逃すことのできない半平太の苦悩が痛いほど伝わってくる場面です。新渡戸稲造はその著『武士道』の中で、「名誉心の病的な行き過ぎ」を問題にしていますが、平民であれば窃盗事件の被疑者として刑は受けても命まで奪われることはありません。この武士故の不条理に異を唱えたのは龍馬でした。何とか琢磨の命を救おうと力を尽くしたようです。
 ドラマでは、8月中ごろの宵、龍馬が小船に琢磨を乗せ、「二度と江戸に戻ってくるな」と送り出すシーンが出てきます。実際は、この脱出劇には龍馬は関与せず、琢磨一人が逃げたということのようですが、ドラマでは「命の値段」が、名誉心の病的な行き過ぎの故に、あまりにも軽んじられた封建社会の闇の部分を劇的に描きたかったのでしょう。
 江戸を脱出した琢磨は見えざる手に導かれるように、思いもかけない方法で真理へと導かれていくのです。(つづく)
 

◎目的主導へ教会変革に期待−−米サドルバック教会3ヶ年トレニーング導入セッション=100411030

 教会がこの世に置かれている存在目的・使命を明確にし、教会がそれによって主導されるとき健康になるという、米国サドルバック教会のリック・ウォレン牧師によって唱導された「目的主導の教会(Purpose Driven Church)」。その聖書的理念に賛同し、日本に紹介するため教派を超えて集まった日本人牧師らが主催し、牧師やリーダーのための3ヵ年トレーニング・プログラム「パーパス・ドリブン・フェローシップ」が今秋から始まる。6月に東京、名古屋、福岡でイントロダクション・セッションを行い、11月に最初のワークショップを開催する。そのための説明会が3月26日、東京・新宿区の早稲田奉仕園リバティホールで開かれ、牧師、教会リーダーら54人が参加した。

 説明会では、講師として来日するサドルバック教会グローバル・トレーニング・ ディレクターのデイブ・ホールデン牧師が3年間のトレーニングの内容について語ったほか、すでに目的主導教会の理念を取り入れている日本の教会の例として、河野勇一牧師(日本バプテスト教会連合・緑キリスト教会)、尾山清仁牧師(聖書キリスト教会・東京教会)、渡辺聡牧師(日本バプテスト連盟東京バプテスト教会)が実践例を証しした。
 3年間のトレーニングでは、2日間のワークショップを年に2回開く。1年目「神の目的」と「目的主導型説教の仕方」、2年目「目的主導型小グループ」と「目的主導型子どもやユース」、3年目「ピース・プラン」と「ビジョンと牧会リーダー」について学び、期間中に「みことばを深く掘り下げて学ぶこと」、「コミュニティーを建て上げること」、「神の目的に焦点を合わせること」を目的とした「40日間キャンペーン」も実施する。
 ホールデン氏が最初のトレーニング・コースを行ったルワンダでは2千の教会から参加者があり、「40日間キャンペーン」では3万3千人がイエス・キリストを救い主と信じ、1万8千人が洗礼を受けた。同様のコースをフランス、北欧、南米でも行ってきた。
 ホールデン氏は20年前から日本への強い愛が与えられ、これまで30人以上の日本人学生をホームステイさせるなどし、日本のために祈ってきた。「私は今、どの国よりも日本を最優先に考えています。皆さんは私を受け入れてくださいますか? 3年間、このプログラムを通して参加者の皆さんとたくさんの個人的な交流、関係をもたせていただきたい」と語った。
 参加者からは「信徒のリーダーたち数人とトレーニングに来たい。特定の人、プログラム主導だった私たちの教会が、神様の目的に主導される教会に変えられていくことを願います」、「セミナー形式でないため、ほかの参加者との情報交換も出来そう。期待している」などの声が聞かれた。
 同トレーニングについての情報は、http://pdfellowshipjapan.blogspot.com/ を通じて随時確認できる。

◎“人から人”の感動 生き方を物語に−−映画「降りてゆく生き方」=1004111102

 変わった映画がある。広告を出さず、配給も自分たちで行う。オーディションに集った千700人全員を映画に出演させた。この前代未聞の映画は、「降りてゆく生き方」。本紙で「精神障害と教会」を連載する向谷地生良氏は映画のモデルの一人だ。
 しかし、最初からこのようなコンセプトで映画を企画していたわけではない。映画著作権などを専門とする弁護士で、今作のプロデューサー・森田貴英氏は「楽しくてちょっと泣けるエンターテイメントを目指していた」と語る。「でも、ある作家の原作をもとに脚本を作ると、結局お金=幸せという結論だった。何か違うと悩んでいた時に、町作りのエキスパート清水義晴さんの『変革は弱いところ、小さいところ、遠いところ』(太郎次郎社)に出合いました。その中に向谷地先生の『べてるの家』も出てきて」
 「精神障がい者がどのような思いでどのように生きているか、全く知らなかった。べてるの家では『弱さをきずなに自立を促す』『降りていく生き方』を提唱している。これまで自分の人生になかった価値観に衝撃を受けました。お金ではない、本当の幸せを手にしつつあるのではないかと思いました」
 人から人へ。そのような生き方をしている日本全国の人を訪ね歩いて200人以上に取材し、300冊以上の本を読んでシナリオを書きあげた。できあがったシナリオは、ある男が町おこしのために立ち上がり、様々な困難を乗り越えていくというストーリー。涙や笑いを狙うものでも、問題意識を啓発するものでもない。人との出会いで動いていく人生、生き方から「心動かされる実感がある。それを映画にしたかった」という。
 特定の宗教は信じていないという森田氏。作品を通してキリスト教への見方が変わった。「僕は現実主義者。でも、物質や資本主義経済が至上の価値ではないと痛感しています。人を動かすのは心。その心は、自分の中にありながら、他者とのかかわりで絶えず変化する。他者の言葉に傷つき、逆に喜ぶ。取材を重ねて、人の営みの根源に心があるとわかりました」
 「イエズス会の宣教師が日本に来て迫害された時、なぜすぐに棄教しなかったのか。以前は理解できなかったけど、キリストの人生を追体験し、体感するための受難の道だったのかと僕なりに解釈しました。僕自身、映画を通して人と出会い、感動してこんな風に生きたいと願う。クリスチャンはイエスと出会い、180度の転換をしているのでは」
 聖書の弟子たちも同じなのではないかと森田氏は言う。「イエスが福音書を書いたわけではない。イエスに感銘を受け、揺さぶられた人たちが書かずにいられなかったのだと思う。感動した体験は、ナラティブなものを生み出す。人は語る生き物。『言葉は神であった』という聖書の言葉もこれまでと違うリアリティーがあります」
 映画は物語る発露であり、商業のセオリーも数字もそこでは周縁のものに過ぎない。「だから、映画の出演者や協力者が、どんな風にしてできた映画かを伝えて、それに賛同してくれた人たちの協力によって全国50か所で上映してきました。DVD化もテレビ化もしない。一つ所に集まった観客が自分の人生ドラマと重ねて見ている。同じ場面での感動も心に描く像は十人十色。だけど笑い、泣いている。そういう『場の力』を体感してほしいと感じています」