[CSD]2011年3月27日号《ヘッドライン》

[CSD]2011年3月27日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎東北太平洋沖に巨大地震 被災地教会無事か——信友ら急行 住民避難も
★福島第一原発 放射能漏れ——直近の教会…祈りを!

 = 2 面 震災/祈り=
★東日本大震災:歩いて、走って その晩祈るため来た——第11回国家晩餐祈祷会に交通マヒでも81人
★東日本大震災:有志ら国政覚えとりなす——地震対策本部から柴崎正直議員が報告
★東日本大震災:KGK東北地区から祈り要請
★東日本大震災:毎晩8時 心合わせ祈りの輪が広がる
★<落ち穂>息の長い救援活動を、教会から始めていこう

 = 3 面 震災/祈り・安否=
★東日本大震災:「神の家族」は世界大——各国から「日本のため祈ってます」
★東日本大震災:各教団・教派安否情報
★<オピニオン>阪神淡路大震災の経験から言えること 記・小平 牧生

 = 4 面 ビジネスパーソン=
★元呑 昭夫さん[下]([有]カラーランド研究所代表取締役)——神様はどんなところにも 記・清水 茂則
★<働く人の境界線>[18]願いは神からか妬みや欲望からか? 記・中村佐知

 = 5 面 情報 =
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか
★RECRUITMENT:ハワイでのボランティア(2011年5月16~6月14日、http://www.ifc-japan.org/)
★BOOK:『ハワイで見つけた素敵なクリスチャンライフ』黒田 朔著(いのちのことば社、1,155円税込)
★REVIEW:『ルター神学討論集』マルティン・ルター著(教文館、3,990円税込)評・江口再起

 = 6・7 面 震災/原発 放射能漏れの恐怖 支え合う教会 =
★礼拝で被災者のために祈り合い——いわき市:平キリスト福音教会
◎居合わせた学生もボランティア——教会への救援物資を市内で配布
★避難県内ギリギリ 教会は屋内退避——南相馬市:原町聖書教会
★「原発が復興の妨げ」収束に祈り——いわき市:小さき群教会
★牧師、信徒ら県外の親戚の家に身を寄せる——いわき市:いわきホームチャペル
★事務所が30Km圏内に 操業停止に追い込まれる——相馬市:マルコーシュパブリケーション
★津波被害にあった教会などの安否情報
★原子力の危険性学び 見張り人の務めを 記・内藤伸吾

 = 8・9 面 特集/宣教の課題を追う・埼玉 =
★「雰囲気が素敵 自然と足が」——Cafeたね
★問題抱えている人のために——こころの相談室
★教会員同士で相互ケア——ぶどうの会
★日本人と同じように接する——川口神召キリスト教会

 = 10 面 震災/子どもたち =
★地震の中、「イエスさま!」と児童ら祈る——福島旭町キリスト教会
★教会学校生徒ら「励ましたい」と子どもから子どもへ手紙送る——白百合福音キリスト教会

 = 11 面 クリスチャンライフ =
★震災の中で守った礼拝:「このような時こそ」と涙の礼拝——仙台青葉荘教会
★震災の中で守った礼拝:寒空の下で守った礼拝——大富キリスト教会
★震災の中で守ったいのち:苦難中も「イエス様はいる」——被災地に電話越しの信仰告白1103271103
★海外からも「一人で祈っています」

 = 12 面 教会 =
◎福島第一原発放射能漏れ:迫る脅威に信徒離散——保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会



◎東北太平洋沖に巨大地震 被災地教会無事か−−信友ら急行 住民避難も=1103270101

 3月11日午後2時46分ごろ、東北を中心に東日本一帯を襲った三陸海岸沖を震源とするマグニチュード9・0の巨大地震は、東北各県の太平洋岸で大津波による甚大な被害をもたらした。加えて、福島第一原子力発電所では4つの原子炉で相次ぎ水素爆発や水位の低下、炉心溶融などを起こし、未曾有の大災害となった。
 東北太平洋沿岸にある諸教会は、牧師や教会員の安否確認に追われた。犠牲者の数は日を追うごとに増え、地震発生から1週間が過ぎた18日現在で、死者6千数百人、行方不明者は2万人以上。特に津波で壊滅的な打撃を受けた地域では安否不明が多発。関係教団や近隣教会から被災地に急行し、確認に追われた。また急速に普及しつつある「フェイスブック」には12日、公開ページ「クリスチャン地震被災状況」が開設、安否を尋ねる投稿や懸命の祈りの要請が飛び交った。ウェブ上のネットワークもフル活用され、ようやく数日後に無事確認の報が相次いだ。
 津波によって壊滅したと伝えられた岩手県陸前高田市では、市内唯一の教会である日本ベテル・ミッション陸前高田キリスト教会の安否が心配されていたが、15日になって、森田為吉牧師夫妻の無事が確認された。
 現地で森田牧師夫妻に会ったのは、単立・花巻キリスト伝道所(岩手県花巻市)の熊谷英三郎牧師。「親戚の様子を見に行った際、陸前高田教会にも寄りました。そこで、ばったりご夫妻にお会いしたんです。先生は避難所と教会を行き来しておられるようで、少しでもタイミングがずれていたらお会いできませんでした」。陸前高田キリスト教会は海岸から約2キロだが、高台に位置する。会堂から10メートル手前で水が止まったため難を逃れた。「手前に小学校がありそれが波のブロックになったのかもしれない」と熊谷牧師。「森田先生は安否の分からない教会員の方を心配しておられました。花巻に一人住んでおられるのですが、伝言を頼まれています」
 陸前高田市の様子について熊谷牧師は、「壊滅状態。戦後の焼け野原のよう」と語る。橋が流され、道もふさがれて実家へはたどりつけなかったが、家族や親戚は県外にいるなどして無事だという。「道端に遺体があって、消防団員や警察の方が身元確認などをしていました。所々旗が立っているところがあり、『あれは、あの下に遺体があるという目印』と地元の方が教えてくれました」
 気仙沼市の様子も見に行った。「気仙沼第一聖書バプテスト教会(保守バプ)は会堂がなく、がれきの山でした。あそこは数年前に会堂を建てたばかりです。線路や鉄橋が流され、町の中心はもうだめという印象でした」

◎居合わせた学生もボランティア−−教会への救援物資を市内で配布=1103270602

 地震発生から6日後の3月17日、平キリスト福音教会に東京、千葉の教会から救援物資が届いた。教会員とボランティアは手分けして、これからいわき市内で救援物資を配布する。以下は高橋良知さんからのレポート。
   ◇   ◇
 長老教会・おゆみ野キリスト教会(千葉県緑区)とグレースシティーチャーチ東京(東京都中央区)が、救援物資を送ってくれました。午前8時頃、救援物資を積んだトラックが到着。ウェットティッシュ、消毒液、洗剤、石鹸、オムツ、ベビー用品、生理用品、ドリンク、皿、わりばし、コップ、乾燥麺、レトルト、缶詰、ドリンク、また大量の衣類、毛布などが届けられました。
 積荷を会堂に一時置いた後、トラックは救援があまりされていない沿岸の四倉地域に物資を運びました。また復路に教会の女性、子どもと2家族を乗せ、避難のために那須、千葉に送りました。
 物資の仕分けの後、改めて全員で、物資配送を計画。いわき市は全国で3番目の大きさの市で、場所は選別する必要がありました。
 近隣の人々、避難者が、教会に訪ねてきています。水道が遮断されている四倉からも、水をもらいに来た人がいました。教会メンバーと、山間部からATM(現金自動預け払い機)にお金をおろしに来た人と遭遇しました。物資が非常に不足しており、野菜、食料などをお渡しすると、涙ながらにお礼を言っておられました。近隣からも、物資の到着を聞いた人が訪ねて来られ、野菜などを取りに来ました。
 必要な物資は後を絶たないと言います。医療機関には薬がなく、一般のボランティアである私たちに薬を要請するほどです。また、「避難所で調理はできないので、インスタントメンなどよりは、そのまま食べられる缶詰などがいい」との要望もあります。
 避難場所の責任者もそのニーズをすべて熟知しているのでなく、実際の避難民の声を聞く必要がありました。地域の結びつきによって、マンパワーも違います。
 大きな避難場所には、公の救援が行きますが、小規模の場所、個人の場所、特に介護施設に救援が行き届いていません。そういう所に救援物資を届けるために教会に残る人、避難場所に行く人と分かれて作業を進めています。
 森牧師の話によると、同盟基督・好間キリスト福音教会(猪俣俊平牧師)、いわきホームチャペル(金本友孝牧師)、アンバサダー・キリスト教会(トーマス・デイビス牧師)、同盟基督・内郷キリスト福音教会(金成孝悟牧師)の牧師、信徒は無事避難し、いわきアッセンブリー教会(奥田冬樹牧師)は奥田牧師のみ残っています(その後、16日に奥田牧師も千葉の教会に避難したとの知らせがあった)。
 兄弟団・四倉教会には恐らく被害があり、勿来キリスト教会は牧師の無事を確認。そのほかの消息は分からないそうです。

◎福島第一原発放射能漏れ:迫る脅威に信徒離散−−保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会=1103271

 地震、津波、原発の3つの被害に遭い、佐藤彰牧師はじめ教会員が各地への避難を余儀なくされている保守バプ・福島第一聖書バプテスト教会(福島県双葉郡など)。佐藤牧師が、同教会のホームページ(http://f1church.com/ )に地震発生から3月16日までの自身の動き、教会員の安否、避難先、緊急の祈りの要請などを書き込んでいる。

 3月11日の震災当日、佐藤牧師は千葉県にいて難を逃れた。次々と飛び込んでくる信徒の安否情報を、身を切るような思いで聞いたという。「地震と津波で町は壊滅状態。ある姉妹は、津波が足元に迫る中、危機一髪で泳いで難を逃れたとのことです。公衆電話から一人ひとりの携帯電話に安否確認をしていると涙がこぼれ、『これは夢だろうか』とも思いました」。3月14日には150人の信徒の安否が確認できたが、依然50~60人は不明という。
 福島には、もう一つ大きな脅威があった。福島第一原子力発電所の事故だ。「強制避難が出て、教会員は着の身着のままバスに乗り、各地の学校や体育館に分散していきました。当初は毛布が全員に行き渡らず、寒さの中一睡もできなかった人もいたようです」。入院中の病院から避難を余儀なくされた95歳の信徒や、透析の必要な信徒、小さい子どもや傷害をもつ子どもを抱える信徒などが心に浮かんだ。
 3月14日には、長期避難を予想して、他県の親戚や実家に移動する信徒も出始めた。そんな中、保守バプ・恵泉キリスト教会会津チャペル(三留謙一牧師)から十数人の信徒を受け入れると申し出があった。
 15日深夜1時、佐藤牧師は長老教会のチームとともに関東を出、会津へと向かった。トラック2台に救援物資を積み込んで。「スーパーに並んで、避難所への物資を手当たり次第、山のように買いました。『買いだめしている』とささやく声もありましたが、弁明する気になりませんでした。その後携帯ショップに行き、『避難所に充電器をもって行きたい』と話したら、余っている充電コードを分けてくださいました。『頑張ってください』と手渡され、ぐっときました。海外の救援チームが来たなどを耳にすると、目頭が熱くなります。このところ、涙腺がすっかりゆるくなったようです」
 3月16日、出発から10時間後の午前11時に会津チャペルに到着。被曝検査を終えた教会員も合流し、約60人の信徒と再会した。その日にもった礼拝。あちこちですすり泣きが聞こえてきた。「それぞれ、よほどのところを通ってここについたのだと実感しました。夜は近くの温泉に行き、5日ぶりにお湯に浸かりました。会津チャペルの心づくし一つひとつに感激し、教会員があちこちで『生きていたの』と抱き合う姿を見て、また涙腺がゆるんでしまいました」
 しかし「流浪の旅はまだ始まったばかり」と佐藤牧師は言う。「家もなく、着の身着のままで出てきた人たちに『洗濯の必要はありますか』と聞くと、『洗濯する物がありません』と。返す言葉が見あたりません。3日間飲まず食わずでいた人や、寒さに凍えて過ごした人もいるようです。まずはガソリンと、次の生きる場所の確保が急務です。長期戦を見込んで山形に北上し、体制を整えます」という。「高齢者から小さな子どもまで、神の大家族として出エジプトのように荒野を旅することになりそうです。バスに乗り、福島から北へ、南へ、避難した教会員は、途中でバラバラになったり、ひとりぼっちでいる人や数人で肩を寄せ合っている人もいるそうです」
 奇しくも震災前の3月6日、礼拝メッセージは「ヒゼキヤ、緊急の祈り」だった。「アッシリヤによる国家存亡の危機に際して、ヒゼキヤは緊急の祈りを要請しました。すると、脅威が去っていたという個所です。まさかその週、私たちの群れが緊急祈祷を要請し、流浪の民のように日曜の聖書個所をかみしめることになろうとは、想像だにしませんでした」と振り返る。
 同教会に出席したことのある原子力センター関係者により、教会堂が無事だという情報もあるが、「果たして私たちがあの町に戻れるのか、いつになるのか、教会や家の扉を開く日がくるのかわかりません」と佐藤牧師。「すべて手探りの中、力を合わせて火の柱雲の柱に誘われ旅をするしかありません。大自然をおさめる全能の主が、新たな宣教の1ページを導いてくださることを信じ、告白いたします」
 17日からは、恵泉キリスト教会米沢チャペル(千田次郎牧師)が受け入れ先となる。「大きな犠牲を払ってくださいます。今は、人々のいつくしみや思いやりに感謝し、甘えて生き延びていくほかはありません。主よ、漂流を始めたこの群れと、各地に散っているレムナント(残された民)を、あなたのひとみのようにお守りください」
 佐藤牧師は、「放射線の漏れがこれ以上ないように」との祈りを、緊急に要請している。「最悪を考えると、教会は閉鎖となり、宣教の歴史も3月6日の礼拝で終わりとなってしまいます。再び町に人々が戻り、教会の門が開かれ、賛美と礼拝がささげられるように、どうか祈りのご支援を熱く、よろしくお願いします」


 対応が急がれる福島第一原子力発電所の事故。福島第一聖書バプテスト教会に出席する原発関係者の多くも、現在原発内で作業中といい、佐藤彰牧師が教会ホームページで安全のための祈りを要請している。