[CSD]2013年3月10日号《ヘッドライン》

[CSD]2013年3月10日号《ヘッドライン》

 = 1面 ニュース=
◎ 被災地の焦点は「孤立と不安」——東北ヘルプ川上氏
★「流浪の教会」から「翼の教会」——福島第一聖書バプテスト教会が入堂礼拝

 = 2 面 ニュース=
◎新たな宣教、福島の痛み報告——日韓教会交流で 東北被災地から感謝
★カンビル氏 繁栄の福音に警鐘 キリストこそ唯一の主 ラム氏——日本ケズィック・コンベンション東京大会
★<落ち穂>カルヴァンの実像


 = 3 面 =
★<いのちへのまなざし>[47]QOLとSOL 記・柏木哲夫
★ナパーム弾の少女 ゆるしと平和の証人に——西南学院創立100周年記念で来日
★<オピニオン>隣国の女性大統領誕生と私たち 記・根田 祥一
★<情報クリップ>催し情報・放送伝道ハイライトほか

 = 4-5 面 全面広告=
★51回 首都圏イースターのつどい


 = 6 面 仕事と信仰 =
★最後のひと押しで販売促進——日本プロモーショナル・マーケティング協会専務理事 坂井田稲之さん(上)
★『もしドラ』教会編[27] メガチャーチ(2)

 = 7 面 伝道・牧会を考える =
★教会ルポ<ここも神の御国なれば>?[41]保守バプ・盛岡聖書バプテスト教会?——共に立つクリスチャンが必要だと
★<神の宣教>神のことばを神の世界へ[20]—— クリストファー・ライト講演抄録

 = 8 面 レビュー =
◎「折れそうな心救って くれてありがとう」——岩手沿岸部の人々に寄り添ういわて教会ネットワーク現地スタッフ


◎ 被災地の焦点は「孤立と不安」−−東北ヘルプ川上氏=1303100101

 甚大な被害をもたらした東日本大震災から2年が過ぎようとしているが、被災者の「孤立と不安」は続く。原発事故による放射能の影響も識者の見解が不可解だ。一方キリスト者は支援で被災地に直面する中で、伝道や教会の在り方を問われた。被災地で広域な支援とネットワーク形成をした仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク[東北ヘルプ]事務局長の川上直哉氏(日基教団・仙台市民教会主任牧師)は2月25日、東京・お茶の水クリスチャン・センターで開かれた東京ミッション研究所(TMRI、金本悟所長)冬季フォーラム(同主催)で「被災地の現在とキリスト者の責任」と題して講演した。

 被災地の問題は「孤立と不安」に焦点化されるという。「被災地は見た目では震災が終わっているようだが、住民は多くの知人を亡くし、がれきや泥を掻き出した辛い思いがある。高齢化、過疎、孤独…など震災後の日常の中に普遍的なものがある。個別的なことの中に普遍的なものを見つけ、他の地域とつないでいかないと被災地は浮いてしまう」
 放射能問題については「甲状腺ガンが福島で3人確認されたが、専門家は原発や放射能の影響ではないと言う。福島の人々は不安なまま、孤立感を強めている」と危惧する。
「支援の終了は牧会の開始」と考える。「被災者の苦悩は深く、一人に何時間もかけて話を聴かないといけない。世界で様々な災害が起こる中、様々な団体が撤退した。撤退できないのが教会、牧会だ。だが牧師は息切れしている。新しい教会が必要だ。看板を立てるだけでは人は来ない。だが牧師は必要とされている。仮設住宅に牧師が行くと喜ばれ、教会がない被災地で『キリストはすごい』と言われている。伝道を継続できる仕組みが必要です」
 そこで教会の「密着性と直結性」に注目する。地域で密着してきた教会は、全世界・全国と直結し、支援を得た。それで、震災後は住民が信頼して物資を取りに来た。
 だが多くの教会は地域の人間関係に疎く、「密着」に限界がある。しかし寺と一緒に行った支援活動には活路があるという。「法話に続いて説教をし、寺でクリスマスの話をするなど伝道の機会が拡大した」という事例を紹介した。
 震災後、東北ヘルプが協力する東北大学の「実践宗教学寄付講座」は、「排他主義でも、多元主義でもない」。「排他主義はカルトと同じ。多元主義は必ずしも現場では尊敬されない」。各宗教が自らに確信を持ち競争しながら、臨床の現場では可能な限りの協力をする。「大事なことは苦しんでいる人のためになることです」
 翻訳語「責任」の語源は「応答すること」だ。「誰に応答するかが問われる。神様に対して、目の前で苦しんでいる人に対して応答する必要がある。可能性は無力の力にある。何もできないから助けを求める。そこにネットワークの可能性が広がります」
 最後にキリスト者の責任について、「すべての人が『天の父なる神よ』と祈る手伝いをする。あなたは神の子、絶望してはいけない、と言うこと。大事なことは、いつも身に『死』を帯びておくことだ。自分は十字架につけられたままのキリストしか知らない。しかしイエスは復活した。だから希望があると伝えていけます」と勧めた。

◎新たな宣教、福島の痛み報告−−日韓教会交流で 東北被災地から感謝=1303100201

 東日本大震災から2年を迎える日を前にして、2月14日から18日、日韓教会交流ツアーが、韓国福音主義協議会(KEF)、日本福音同盟(JEA)東日本大震災対策室、東北ヘルプ、東日本大震災救援キリスト者連絡会(DRC net)などの協力によって行われた。東北の被災地域の牧師15人、JEA震災対策室関係者7人、ゴスペルミュージシャン9人などが参加し、東日本大震災に対する韓国教会からの大きな支援と祈りに感謝を表すとともに、被災地域の現状報告とそこで起こっている神の御業を証しした。
 ソウル近郊を中心に各地でのチャリティーコンサートや半徹夜祈祷会、主日礼拝、日本語礼拝に手分けをして出席し、メッセージや証しを分かち合うことができた。
 今回の交流は、1980年代後半から日韓福音派の交流に尽力してきたKEF会長の金ミョンヒョク牧師らからJEA国際渉外室に呼びかけがあり、様々な困難がある中でもお互いの顔がみえる交流を続けていきたいという共通の願いで実現した。
 15日午前に行われた日韓教会フォーラムでは、ヨイド純福音教会の李ヨンフン牧師のメッセージに続いて、中台孝雄JEA震災対策室長が挨拶し、
?東日本大震災に対する支援への感謝、?政権交代後の日本の現状報告と日韓教会交流継続の願い、
?異端問題など韓国教会の混乱収束への祈り、の3点について語った。日本側からの発題は、東北ヘルプの川上直哉牧師の司会により、3・11いわて教会ネットワークの近藤愛哉牧師が外から持ち込まれた宣教手法ではない岩手における新たな宣教の取り組みについて、福島県キリスト教連絡会の木田惠嗣牧師が放射能問題による分断に苦しむ福島の現状について語った。
 韓国側からは、KEF副会長の李ジョンイク牧師が日韓教会交流における歴史問題の重要性、KEF国際委員長の安マンス牧師がこれまでの日韓福音派の交流の歴史、KEF副会長の李スヨン牧師が日韓双方の橋渡しができる人材育成という次世代の日韓交流モデルについて発題した。
 また、期せずして同時期にソウルで開催された第2回アジア日本語教会ファミリーキャンプにも合流し、アジア各地の日本語教会のリーダーたちと、被災地域の現状と課題を分かち合い、次の災害に向けた情報と意識の共有もはかることができた。今後予測される首都圏直下大地震や南海トラフ巨大連動地震に際しては、アジア各地の日本語教会、日本人コミュニティーとの連携が必須となると思われる。
 ツアーでは宣教師墓地、殉教者記念館、西大門牢獄などを訪問して、韓国の宣教史、日本統治下での苦難の歴史を学ぶ機会もあり、東北の被災地域から参加した牧師たちの中から、「痛み苦しみの中からリバイバルが起こってきた歴史的証言を聞き励まされた」という声や、「日韓の歴史的課題の深さを改めて感じたが、このような顔が見える関係を継続していくことが大切だと思う」という声が聞かれた。
 昨年12月の日本の政権交代以降、韓国では日本社会の右傾化を危惧する空気が強まっている。また異端問題を発端とした教会グループの分裂など韓国キリスト教界における混迷もある。日本側では、東日本大震災から2年を迎える中、支援活動をどう継続していくのかという課題がある。そのような中で、今回の日韓教会交流が実現したことには一定の意味があったと思う。何も解決したわけではないが、日韓関係においても、被災地支援においても、それぞれの課題を持ち寄って共に祈り、顔が見える関係を積み重ねていくことの大切さを思わされた。二人三人が主の名によって集まるところには必ず主が共にいてくださるのだから。
 (レポート・品川謙一=日本福音同盟総主事、写真提供・東北ヘルプ)

◎「折れそうな心救って くれてありがとう」−−岩手沿岸部の人々に寄り添ういわて教会ネットワーク現地ス

 東日本大震災から3月で丸2年。東北被災地のニュースがあまり聞かれなくなり、ボランティアも激減、支援団体も撤退していく中、岩手県三陸沿岸部の被災地に足繁く運び、津波被害で家や家族を失った被災者に寄り添い、支援し続けるクリスチャンたちがいる。3・11いわて教会ネットワーク(略・いわてネット=コーディネーター・近藤愛哉牧師、大塚史明牧師)の現地スタッフたちだ。永田道生さんは宮古市で、大塩梨奈さんは大船渡市で、支援活動を通し被災者に寄り添っている。

 昨年夏、宮古市内にある仮設住宅でバーベキューをしていた時のこと。そこは人々で賑わっていたが、永田さんには気になる女性が一人いた。仮設の外に出られない、89歳の寝たきりの女性だ。永田さんは焼き上がった料理を片手に訪問。最近の様子を聞くと、彼女は「自殺することしか考えていない」と呟いた。「液体漂白剤を飲んで死のうとしたけれどヘルパーさんが来てできなかった。津波の時もそうだった。近所の人が私を助けて亡くなり、私は助かった」
 話を聞いた永田さんは「自ら死を望む思い、自分には全く分からない感情を前に、ただおばあちゃんの手を握ることしかできませんでした」。
 「あなたの名前を書いてちょうだい」と腕を差し出され、名前を書く。「これを見る時、あなたのことを思い出すわ」。その言葉に涙があふれた。
 その3か月後、90歳を迎えたお祝いに花束とギターを両手に抱え再び訪問。今度はドアを開けるなり笑顔で迎えてくれた。「ハッピー・バースデイ」を歌うと、彼女は親戚に電話をし「今、ボランティアの子が歌を歌ってくれてるの。本当にうれしい」と目に涙を浮かべていた。そして帰り際、永田さんにひと言こう語った。「もう死にたいなんて言わない。今分かったの。生きていれば良いことがあるということを…」
 永田さんは千葉県のNSSK・インターナショナル・バイブル・フェローシップ(伊野彰一牧師)の震災支援チーム「ユナイテッド・プロジェクト」を通じ、震災から3か月後の11年6月に派遣された長期スタッフだ。初めて宮古に足を踏み入れたのが4月29日。その時は「まさか長期でやるとは思いませんでした」。
 宮古市での働きは単立・宮古コミュニティー・チャーチの岩塚和男牧師と協力し、田老地区の在宅の人たちへの訪問、仮設の人たちに憩いの場を提供する「モバイルカフェ」など様々。「話を聞いたり、肩をもんであげたり、子どもたちと遊んだり、何でもします」。そんな中、初期の頃から訪問していた70過ぎのNさんが神様を信じ、昨年のクリスマスに岩塚牧師から洗礼を受けた。Nさんは「神様ってどういう方ですか」の質問に、こう答えたという。「神様は常にそばにいて、寄り添ってくださる方。私のところに訪ねてきてくれたボランティアの姿を通して見ることができました」
 今年1月、永田さんは今後もこの活動を続けていくべきか迷っていた。そんな時、一通の手紙を受け取った。それにはこう書いてあった。「折れそうな心を救ってくれてありがとう…」。この言葉で続ける決心をした。
  ◇  ◇  ◇
 「イエス様を伝えるに至るまでは、被災者の問題を共に分かち合い、同じように共感し、私たちと同じ問題を抱える一人として接している。震災をきっかけに、福音を携えている私たちが生きる機会を与えられたなあ、と思っています」。そう語るのは大船渡市で支援活動をする大塩梨奈さんだ。
 鳥取出身の大塩さんは昨年5月、いわてネットの現地スタッフとして大船渡にやって来た。支援ネットワークを通じて派遣された現地スタッフとは違い、自ら志願して来たという。「仙台で震災に遭った。その数日後、聖書を読んでいたら『エジプトに下ることを恐れるな』(創世記46・3)の御言葉が示された。神様は私に東北に行けと語られたのです」
 11年夏、夏休みを使って東北へ。キリスト教支援団体クラッシュ・ジャパンを通じ「心のケアトリップ」の一員として岩手県に向かった。ふと新幹線の切符に目をやると「下り」の文字が飛び込んできたので驚いた。
 大塩さんは遠野町、釜石市、大槌町で活動。「人々の心が開かれているのを感じました」。だが衝撃だったのは、大槌町に教会がなかったこと。「被害が大きく、聞く話も重たいものばかり。本当にみんな泣いていた。その上教会がない。ここで救われた人はどうやって成長するのかと思いました」
 その後、同年11月にソロモンが神殿を建てる個所を読んでいた時、「神様から沿岸部に教会を建てる」という声を聞いた。「私はそのお手伝いをする」という確信を得た大塩さんは、12年3月に仕事を辞め、4月に岩手へ向かった。
 しかし、岩手に来たものの、どこに行けばいいか分からない。1か月ほどクラッシュの遠野ベースにいたが、次のステップが見えない。「沿岸部に教会を建てる」というビジョンを理解してくれる所もなかった。「神さまがここにいるように導いておられるのに、行き先がわからない。野田村でアパート探して仕事を見つけよう…」そう思っていた矢先、インターネットで近藤愛哉牧師(保守バプ・盛岡聖書バプテスト教会)のことを見つけた。会って話をするうち、近藤牧師も「沿岸部に教会を」というビジョンを掲げていることを知った。「ここで働かせてほしいと言うと、喜んで迎え入れてくれました」
 大塩さんは、仮設集会所で開かれるイベントのコーディネートをしたり、英会話を教えたり、支援が届きにくいみなし仮設を一軒一軒訪問する活動を続けている。そしてあの日、津波被害に遭った被災者の話にじっと耳を傾ける。
 大船渡に来たばかりの頃は、「地元の人たちの方言が分からなくて苦労した」と大塩さん。しかし、「大船渡の人たちは本当に温かい。これからも大船渡の人たちと一緒に歩んでいきたい」と願っている。