中川州男大佐・光枝夫妻。 (C)2015「追憶」製作委員会
中川州男大佐・光枝夫妻。 (C)2015「追憶」製作委員会

2015年4月9日、南洋ソロモン諸島に浮かぶ美しい島ペリリュー島を天皇・皇后両陛下が慰霊に訪れた。太平洋戦争末期、最大級の飛行場を有し、約1万人の日本軍守備隊と5万人を超す米軍海兵隊・陸軍が70日間におよぶ壮烈な戦闘を繰り広げた玉砕戦の島。硫黄島、沖縄戦などに比べるとほとんど語られていないペリリュー島での戦闘。地区守備隊の総指揮を執った中川州男(なかがわ くにお)大佐の知略と妻・光枝さんに送った簡潔な文章の行間に込められた思いやりあふれる書簡など、その生涯をとおして戦争の惨さと悲哀が伝わってくる。

【あらすじ】
かつてはドイツの植民地であったペリリュー島は、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約によって日本の委任統治領になった。太平洋戦争が始まる1940年頃には、島民よりも多く日本人が移民していた。ローズ・テロイ・シレスさん(96歳)は、当時の島民と日本人の温かな交流が戦争によって引き裂かれ、日本軍は島民を島から避難させて軍人だけの島になったと語る。

1944年4月26日、ペリリュー島地区隊長に任じられた中川州男大佐と守備の主力・第14師団歩兵第2連隊がペリリュー島に上陸。珊瑚隆起の小さな島(幅は約3Km、全長約9Km)を鍾乳洞も利用する全島トーチカ要塞とし、堅牢な洞窟陣地を築いて持久戦にに持ち込むための準備を進めた中川大佐。その間にも7月7日にサイパン島玉砕、8月3日テニアン島守備隊玉砕と戦火はペリリュー島へと迫る。

8月中旬には、陸軍5,332名、海軍3,646名、総勢8,978名の守備隊がペリリュー島に配備された。9月12日、輸送船50隻、戦艦3隻、空母11隻、巡洋艦20隻、駆逐艦30隻、水雷艇100隻、掃海艇数十隻から成る米軍艦隊が沖合に現われ猛烈な艦砲射撃を開始し、瞬く間に島の山林ははげ山と化した。9月15日早朝、米軍海兵隊の上陸作戦の火ぶたが切られた。

米軍第一海兵師団の師団長ルパータス少将は、この上陸作戦は「3日で終わる。もしかしたら2日かもしれない」 と、自信満々に従軍記者と側近に語った。だが、決選態勢に入ったときから中川大佐は全守備隊員に、いわゆるバンザイ攻撃(玉砕)を禁じ最後の一兵になるまで一人でも多くの敵兵と戦い、敵に少しでも高くつく犠牲を支払わせろと命じていた。文字通り地中から這い出てくる日本軍の必死の攻撃に、米軍の第一海兵隊の死亡率は40%以上に達し戦闘能力喪失と判断させるほどの凄まじさ。当時、第一海兵隊一等兵だったブラズウェル・ディーンさん(90歳)と第一海兵師団第二大隊少尉だったビル・カンバさん(96歳)は、その驚異的な攻撃精神と恐怖感を昨日のことのようにリアルに証言する。だが、圧倒的な兵力差に玉砕を意味する「サクラ、サクラ」を日本へ打電するときが近づいてくる…。

(C)2015「追憶」製作委員会
(C)2015「追憶」製作委員会

【みどころ・エピソード】
ペリリュー島の玉砕戦は、最後の一兵まで兵士として戦うことを命じた責任を負った中川大佐の自決をもって70日間の戦闘を終結した。だが、その終結を知らずに戦後1年8か月もの間、地中塹壕に身を隠し続けていた34名の兵士らがいた。その一人、土田喜代一さん(95歳、当時は海軍上等水兵)は、戦場での中川大佐を語る。また、天皇・皇后両陛下が慰霊の旅で尋ねられた際には、車いすの身体を押して来島した。

このドキュメンタリー映画本編の原作は、升本喜年著『愛の手紙 ~ペリリュー島玉砕~ 中川州男大佐の生涯』熊本日日新聞社 (2010/09)刊。升本喜年も本作で中川大佐の人柄を語り。原作に記されている中川大佐から光枝夫人へ送られた最後の手紙と光枝夫人の覚悟して送り出した心情も描かれている。

本編では、原作の書簡と生涯をとおして中川大佐夫妻の覚悟と心情よりも、守備隊を統括して負け戦に挑んだペリリュー島戦記に少し比重が置かれているようにも思える。本編ではあまり語られていないが、中川州男大佐の父・文次郎は18歳の時に西南の役で薩摩軍として戦い、その凄惨な戦場で自らも重傷を負い、その後この体験を一切語らなかった。教育こそ国の礎(いしずえ)と目覚め教師の道を歩んだ人物として原作では紹介されている。三男三女の三男として生まれた州男少年が東京の陸軍中央幼年学校本科(後の陸軍予科士官学校)を目指していることを知った時、父・文次郎は初めて自らの戦場体験を語り、「人は負けると分かっていても戦わねばならぬ時がある。陸士を出た将校は部下の命と名誉を背負って戦わねばならぬ。生半可な気持ちで陸士にすすんではならん」と語って州男に受験の願書を手渡したという。

山本五十六大将や中川州男大佐のように果たすべき責務と取るべき責任を自覚している人物は軽々に戦火を切るような軽薄な行動はとらないのだろう。だが今日の日本では、政務経費の問題などで不信感を招くような抗弁や疑義記載などを「誤りがあった」と言い張る行政官僚らなどの責任感の軽薄さを見せつけられている。本作と原作をとおして戦争と平和への責任をあらためて考え、見つめ直したい。 【遠山清一】

監督:小栗謙一、 語り:美輪明宏 2015年/日本/76分/ドキュメンタリー 配給:太秦 2016年11月5日(土)より東京都写真美術館ホールほか全国順次公開。
公式サイト http://www.tsuiokutegami.net
Facebook https://www.facebook.com/tsuioku1105/

*AWARD*
京都国際映画祭2015オープニング上映作品。第8回沖縄国際映画祭島ぜんぶでおーきな祭正式出品作品。