イースター特別号紙面:腎臓移植のドナーになったAさんにインタビュー “いのち”を救う神に支えられ
現在日本における慢性腎不全の患者数は約30万人。
大半が人工透析を行う一方、もう一つの治療法として腎移植がある。年間1600件ほど行われており、その多くが「生体腎移植」と呼ばれる、健康な人の2つある腎臓の1つを摘出して行う移植手術だ。この数字を多いと見るか、少ないと見るかはなんとも言えないが、現代の医療としては決して珍しい手術ではないのだろう。
それでも、である。人間の腹部を切り開いて臓器を取り出し他の人間に移植するという技術を、医学の進歩として驚嘆すると同時に、いのちを司る神の領域への侵犯と危ぶむ向きもあるかもしれない。しかし、現実の問題として、そのような世界に私たちは生かされている。
この春、腎移植のドナー(臓器提供者)となり、その腎臓を提供したAさんに話を聞いた。
−移植に至る経緯を教えてもらえますか。
私の長男が腎不全で、もうもたないから移植をしようということになったのです。言ってみたらそれがすべてなのですけど。生まれつき肝臓の機能に問題のあった子で、1歳になる前にそれがわかって、医者からは「いずれ肝臓が悪いせいで腎臓がやられるから、透析か移植が必要になるだろう」とは言われていました。でもなんとなく育ってしまって、もちろん投薬も含めていろいろな治療をしながらですけど、あまり深刻に受け止めていなかったというか、移植ということを意識することもなく中学生くらいまできたんですね。
高校に入ってからだと思いますが、医者から「腎臓の機能がだいぶ落ちてきたから、そろそろ透析か移植か考え始めよう」と言われました。でも本人に自覚症状はないし、親の目から見てもどこか悪いようには見えなかったので、「このまま神様がなんとかしてくれるんじゃないか」という、「信仰」以外にはなんの根拠もない楽観視をしていました。
−でも、悪くなっていったんですよね。
それって、検査の数値の問題でしょ。実際に数値は悪くなっていったんですが、いくら数値が悪くても、本人が普通に生活しているなら問題ないわけで、「それこそが神様の奇跡じゃないか」みたいに思っていたんです。でも、医者からもうダメだよと言われると、それに抗って「いえ、この子は神様が守ってくださるので大丈夫です」と言って帰ってくるだけの信仰はなかったので、移植をしよう、ということになりました。
−透析と違って、移植にはドナーが必要ですね。その決断は大きかったのではないですか。
ドナーになるなら、私か家内だろうと思いました。ドナーになるということは、10日か2週間くらいは入院だと思いましたので、うちには下にも子どもがいるのでその子たちのことを考えると、家内が入院するよりは私が家を空ける方が子どもたちは幸せだろうと思って、もちろん話し合って私がドナーになることに決めました。
何人かの人から「よく決心しましたね」というようなことを言われたのですが、あまり深くは考えていませんでした。もちろん、体を傷めるということは大変なことですが、自分の子どものためなら、普通の親だったらためらわずにするでしょ。
でも、体にメスを入れることの不安はありましたし、医者からいろいろ説明を受ける中で、やはり失うものはあるなと思いました。
−実際の手術はどんなでしたか。
手術自体は全身麻酔だったので、もちろん私は何もわかりません。9時半に手術室に入って、病室に戻って医者から話しかけられて気付いた時は、夕方の4時を回っていました。私は毎朝聖書を読むという習慣がないのですが、その朝はさすがに何かみ言葉をと思って、毎日スマホに送られてくる聖句をチェックしたんです。
そうしたらエペソ6章10節の「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい」が出てきて、これはすごい、神様は私のことをわかっている、と思いました。せっかくだからその先も読もうと思って見てみると、この個所は、私たちの格闘は血肉に対するものではなく霊の戦いだ、というところなんですね。
その時思わされたのは、自分に今不安をもたらしているのは体を切るという肉体的な問題であったとしても、神様が戦おうとしているのは、それとは違う、もしくはそれだけにとどまらないものなのかもしれない、ということでした。
霊・肉すべてが神さまの領域
−信仰の戦い、ということですか。
あの時考えていたのは、私が何に対して戦うかというよりは、神様が何をしてくださっているか、ということだったように思います。
これは後になって考えたことですけれど、いのちって、肉体のいのちだけではないでしょう。何から何までひっくるめていのちですよ。永遠のいのちもそうだけれど、それよりもむしろ今生きている時の、感情とか理性とか思いとか、自分でも気付きようのない霊の状態とか、そういうのがあるのかどうかもよくわからないけど、神様がご自分で作って、私に与えてくださって、支配しているいのちというのは、言ってみたら丸ごとの私じゃないですか。その領域というか大きさは、人間の医者がいじくることのできるいのちとは全然違いますよ。人間がいじれるいのちなんて、ほんの微々たるものじゃないですか。
正直なところ、移植の話が出た時に、何か嫌だったんです。できればそんなことはしたくないというか。自分の体を切るとか、腎臓が片方なくなるとかが嫌なのではなくて、そういう行為自体をどこかで拒否したかったのだろうと思います。神様の領域にはできれば触れずに済ませたい、というか。
でもすべてが神様の領域だとしたら、人間って神様の領域に触れることばかりしてますよね。そのケアというか、後始末をしてくださっているのが神様なんじゃないかって思うんです。その最たるものがイエス様の十字架でしょ。神様は人間のいのちを丸ごと支えるために、あれだけ大きな犠牲を払ってくださって、今回の手術の時も、私のいのちを支えてくださったんですよ。そんな神様が、私のすべてをご存知で、私の子どものいのち全体を支えて、生かしてくださっている。それは感謝するしかないですよ。
−お子さんの状態はどうですか。
手術前と変わりませんね、見た目は。でも検査の数値は驚くほどよくなりました。神様が私に作ってくださった腎臓が、今はあの子の体の中で働いてるんです。みんな神様が作ってくださったものです。そして神様が生かしてくださっています。見えませんけどね。人間の目には見えないところで、神様がどれほどのことをしてくださっているのかと考えると、気の遠くなるような思いになりますね。
−ありがとうございました。
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