©2012 Documentary Japan, Big River Films
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町は人が住むから活きている。「もう町はないです。土地はあっても…」と語る避難者の言葉が、福島原発事故の放射能で住めなくなってしまった双葉町の寒々とした風景をいつまでも記憶させる。原発からわずか3Kmほどの所にあった町だ。

3月11日、福島原発1号炉機の水素爆発の音を双葉町の人たちは耳で聞いた。だが、緊急の避難指示は発せられず、町は被曝した。やがて町全体が警戒区域になり、1,200人の住民が遠く250Km離れた埼玉県加須市の旧・騎西高校へ一斉に移住。ピーク時には1,423人余がその校舎に避難した。このドキュメントは、震災後3週目からその避難所生活を9か月間にわたって追っている。

旧高校校舎の教室に畳を敷き、10数人で寝食を共にする共同生活。毎日のお弁当で命をつなぐも、肝心の原発事故は収束したのかどうか定かではない。被曝したことの不安に対しても「ただちに健康に影響が及ぶ数値ではない」と通り一遍の回答。地震被害の住宅復旧、移転対策に比べほとんどなんらの対応策も見えない。まさに取り残されていくような遠く離れた避難所のやるせなさがひしひしと伝わってくる。

ようやく住んでいた町に帰れたのは、被災から3か月後。それもわずか2時間という時間制限。津波に流された家族の追悼の思いさえままならない。近くに居残っている酪農家の男性は、置き去りにされた乳牛たちの屍骸に心を痛める。その惨状に人間の身勝手さが映し出されているようだ。

©2012 Documentary Japan, Big River Films
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日本でメルトダウン事故を起こした原発の町双葉町の井戸川町長は、(いい意味でも悪い意味でも)「放射能にまみれていた町」と評する。自身、町長として福島原発の7号機・8号機を誘致した推進派だった。「放射能にまみれていない東京は、(原子力で発電された電力で)栄えてきた」。だが、共に繁栄していたかに見えていた原発の町は、文字通り放射能まみれになった今、どうなのか。

不測の事態と事故に対応する対策は不十分であったし、復旧・復興への道筋さえ見えない。事故の経験をとおして井戸川町長の考え方は、しだいに変わっていく。原発推進から脱原発へ。だが、原発に関連した財源で維持されてきた自治体の長としては、まず、避難を余儀なくされている住民の安全と救済策への手立てに奔走する。被ばく検査の対応さえスムーズに進まない国の対応。

原発を誘致している自治体の首長の会議に、担当大臣は’公務’を理由に挨拶だけで立ち去っていく。空席になった大臣席の後ろに座る担当官や他自治体の首長に、「双葉町のこれからにどのような対応がなされるのか。しっかり見ていてほしい」という井戸川町長。だが、その言葉に返ってくる言葉はほとんどない。

被災地の双葉町ではなく、避難地のフタバの人たちに寄り添うようにその日々を追っていく。奪われた土地・家・財産の補償さえおぼつかない避難住民の人たち。そのフタバの過去と現在の風景と現状が、ドキュメントの進展に合わせて映し出されていく。5年ともいわれる補償の今後に、人々の関心は薄らいでいき、フタバの人たちの声に無関心さが募っていくのだろうか。「話すことがはばかれるような空気があっても、話していかなければいけない」という井戸川町長の言葉は、原発の電力で栄えてきた大都市圏の人たちに他人事ではないという忠告と被災難民の現実を示している。無関心であっては、いけない。 【遠山清一】

監督:舩橋淳 2012年/日本/96分/英題:Nuclear Nation 配給:ドキュメンタリージャパン、ビックリバーフィルムズ 2012年10月13日(土)よりオーディトリウム渋谷ほか全国順次公開

公式サイト:http://nuclearnation.jp