©ノンデライコ、contrail、東風
©ノンデライコ、contrail、東風

1977年に発行された絵本『100万回生きたねこ』は、これまで180万部を超え、2013年にはミュージカル上演が待たれるなど、多く人たちに読み継がれ新たな読み手を生み出してきた。その作者・佐野洋子(1938年6月28日―2010年11月5日)の最晩年のインタビューと絵本『100万回生きたねこ』の読者たちの想いを繋ぐユニークなドキュメンタリー映画。

2010年の夏のある日。佐野洋子は、自宅を訪ねた小谷監督に、「今日は何の用で来られたんでしたっけ?」と気さくに応対する。ドキュメンタリー映画の撮影での訪問だが、「私を写さなければ、いいわよ」と承諾する。映像は、自宅の佇まいや部屋の中の様子が空気感を醸し出す。そうして始められたインタビューは、お茶飲み話の輪に入っているかような不思議な感覚に誘われていく。

幼い兄妹に『100万回生きたねこ』を読み聞かせする母親。自分が子どものときには、「’死ぬ’という言葉がいっぱい出て来るので、この本は嫌いだった。でも、大人になってみて、あなたたちに本を読んであげようと思った時に、これいいかも」と思ったという。母子の読み聞かせの風景だけではない。王様のような存在の親に気に入られるよう’良い子’を演じていたという女性。辛い不妊治療を経て子どもを授かった母親の思い。長年連れ添ってきた夫を亡くしたばかりの老婦人。さまざまな年代層の読者たちの想いとこの作品のつながりが語られ、その合間に佐野洋子の生い立ちや人生観が語られていく。そして、佐野洋子の文章を読み、思い出の地を訪ねる俳優・渡辺真起子のファンタジーな存在感。

©ノンデライコ、contrail、東風
©ノンデライコ、contrail、東風

『100万回生きたねこ』は、100万回死んだ。99万回愛されて死んでいった猫。100万回目の死は、自分が愛した白い猫が死んだ後の死。シンプルなストーリーの中に、死ぬこととと生きていることの繋がりが、読み手にそれぞれの想いを撚り合わせていく。聖書の中にも、死を見つめることで、’生きること’の意味を説く箇所がいくつかある。人は、死で終わるうものではなく、死を経ることで繋がる生があるということなのだろうか。

佐野洋子は、既に自分が癌であり余命宣言されていることは、エッセイで公表していた。「あなた、私の映画を撮るんだったら、私が死ぬこと、どう考えているの?」と、初対面の小谷監督に尋ねる佐野洋子。それは、このドキュメンタリーを観る一人ひとりへの問でもある。 【遠山清一】

監督:小谷忠典 2012年/日本/91分/ 配給:東風 2012年12月8日(土)よりシアター・イメージフォーラムにてロードショーほか全国順次公開。

公式サイト:http://www.100neko.jp